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読書記録「日日是好日」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、森下典子さんの「日日是好日にちにちこれこうじつ」新潮社 (2002) です!

森下典子「日日是好日」新潮社

・あらすじ
お茶を習い始めて25年、未だに私はお茶というものが何であるか、すべて理解できているわけではない。

茶人である「武田のおばさん」に出会ったのは私が14歳の頃。母は武田のおばさんのお辞儀を見て「タダモノではない」と思ったらしい。

月日は流れ、母から「お茶を習ったら」と勧められたのが大学生の頃。いとこのミチコちゃんがやりたいと言ったのをきっかけに、武田のおばさんのもとでお茶を習い始める。

初めて体験するお茶の世界は不思議なものだらけ。「畳一帖を六歩で歩きなさい」「お湯は釜の底、水は釜の真ん中から汲みなさい」、「お湯は茶碗の『横』でなく『前』から注ぎなさい」など。

ようやくひとつ覚えたと思ったら、次にはまた別の道具が出てきて、季節が変われば作法も配置も変わる。

「なぜこうなんですか?」と質問しても、武田のおばさんの返答はいつも同じ。

「それがお茶なの。理由なんていいのよ、今は」

同著 40頁より抜粋

人生の節目、就職や失恋のさなか、気がつけばそばに「お茶」があった。

読書会で度々紹介されることもあって、前々から気になっていた本著。

先日実家に帰省した際に訪れた古本屋にて、万城目学さんの「鴨川ホルモー」を手に取ったのと同じタイミングで紐解く。

私自身、お手前は数回見たことがある程度で、茶道については全くのド素人。でも知識がなくともスッと物語が染み入る。

もちろん、形式や所作の意味や知識があって、はじめて物事を理解することができる。表面をなぞるだけでは、本質を見抜けない。

本著の中でも、著者はお点前に関する一つひとつの所作や目的に対して、「なぜですか?」「どうしてですか?」と聞くシーンがある。

ただ、先生は「お茶とはそういうものだから」と返す。

自分がお茶について「何も知らないことを理解しなさい」、お茶を点てるという「今に集中しないさい」、お茶会で「本物を見て学びなさい」。

言葉自体はどこでもよく見かける。古典を紐解けば、今に始まった考え方ではない。

世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐにわからないものは、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。

 同著 5頁より部分抜粋

人によって解釈が異なるが、生き方や感性、考え方というものは、自分が実践で活かせるようになって、初めて理解できたとも言える。

この本もそうで、これを読んで「日日是好日。毎日は良い日だと思おう」というのはあまりに短略的かもしれない。

だからある意味、全体の一部として、この本はきっかけである。

著者が茶道について何も知らなかったのと同様、私が「日日是好日」というものを何も知らなかったように。

そして著者が、書物や文献を読んで知識を蓄えるのではなく、お茶という体験を通じて、「これはそういうものなんだ」と感じ取ったように。

雨の日をこんなふうに味わえるなら、どんな日も「いい日」になるのだ。毎日がいい日に……。(「毎日がいい日」?)自分で思ったその言葉が、コトリと何かにぶつかった。覚えがあった。どこかで出会っていた。何度も、何度も……。

同著 218頁より抜粋

そこに至るまでに何十年の歳月が掛かっているし、それでもすべてを理解しているとも言えないかもしれない。

とは言え、その感覚が大事なんだと思う。

本質は今すぐに気づくものでもないし、いつ、どこで気づくかは人それぞれ。それこそ、気づかぬままってこともあるだろう。

今は言葉の表面をなぞるしかできなくとも、ふと、体験や人生を通じて気づく。いずれであってもね。それではまた次回!

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