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なぜ40年ぶりに「ドラえもん」を無性に描きたくなったのか

50過ぎの私が、昨日約40年ぶりに「ドラえもん」を描きました。無性に描きたくなったからです。

それは、ニュースで大山のぶ代さんの訃報を聞いたのがきっかけでした。大山さんは、俳優・声優であり、26年間「ドラえもん」役の初代声優としても活躍された方です。

なぜ長いブランクを経て突然「ドラえもん」を描いたか。今回はその理由を書きます。幼少期に出会った漫画が、その後の人生を大きく変えた話として、お楽しみいただけたら幸いです。

■ 初めて模写した漫画

昨日自分で描いた「ドラえもん」

結論から言うと、先ほどの訃報を聞き、「ドラえもん」に関する記憶が急によみがえり、どうしても描きたくなったからです。

私にとって「ドラえもん」は、最初に模写した漫画でした。現在に至る創作の原点とも言える存在です。

私は今から48年前に小学校に入学し、『小学一年生』を読んで「漫画」という存在を初めて知りました。『小学一年生』とは、小学館が発行していた小学生向けの学習月刊誌の一つ。当時は今よりもエンタメにふれる機会がはるかに少なかったので、『小学一年生』を通して「漫画」と出会い、大きなインパクトを受けました。

「ドラえもん」は、『小学一年生』で連載されていた漫画の一つでした。

当時の私は「ドラえもん」に夢中になりました。幼稚園時代から「メカ」や「絵を描くこと」が好きだったゆえに、そこに描かれた未来の技術や、洗練されたシンプルな絵柄に強くひかれました。

それゆえ、「ドラえもん」を読むだけでなく、繰り返し模写しました。

その後は、オリジナルの漫画を描くようになりました。まず『手塚治虫の漫画の描き方』を読んで漫画の基礎を学び、かぶらペンや製図用インクなどの画材を買う。そして自分だけのキャラクターをつくり、それに合った話を考え、漫画を描き、学校の友だちに見せる。当時はそれらのプロセスを通して、自分の可能性が少しずつ広がるのを感じていました。

また、『まんが道』を読んで、「将来は漫画家になりたい」とも思うようになりました。『まんが道』は、「ドラえもん」の作者である藤子不二雄先生の自伝的漫画で、小学校で出会った漫画が好きな二人(モデルはご自身)が上京し、プロの漫画家になるまでの過程が描かれていました。

ただ、当時の私には、プロの漫画家になるための画力がありませんでした。とくに、人物デッサンが苦手で、きれいな曲線が描けないことは、大きな弱点でした。

そこで絵の基礎を学ぼうと思い、中学・高校で美術部に所属しました。

ところが高校に入った途端に、漫画を描くことを突然やめてしまいました。美術部の顧問の美術教師から漫画を描くことを禁じられたからです。「漫画と絵画は目的がちがう」「漫画の手グセがつくと、デッサンが狂う」というのがその理由でした。

このため、私は中学時代から約40年間「ドラえもん」を描くことはありませんでした。小・中学時代は人前で「ササッ」と「ドラえもん」を描くこともありましたものの、高校時代以降はそれさえもやめてしまいました。

■ 漫画家ではなくイラストレーターに

その後私は、漫画家になることだけでなく、絵を描くことからも離れてしまいました。高校の美術部で「美大・芸大に入っても、美術関係の職業に就くことが難しい」というきびしい現実を知ったからです。

結果的に私は、「メカ」好きだった幼少時代を思い出し、大学や大学院で工学を学び、メーカーの技術者になりました。まずは生活の糧を得で、経済的に自立しないと、何も始まらないと思ったからです。

ただ、そのいっぽうで、絵をまじえた同人誌をつくり、雑誌の編集部に送っていました。絵に対する思いは、まだ捨て切れていませんでした。

その甲斐あってか、就職の直前に『旅と鉄道』の編集部から声をかけられ、イラストレーターとして商業デビューしました。『旅と鉄道』は、かつて鉄道ジャーナル社が発行していた雑誌で、その名の通り鉄道旅行を楽しむ人をターゲットとしていました。私は、その1996年春の号(通算100号)から2009年に休刊になるまでの13年間、毎号の誌面のイラストを描きました。なお、同誌はのちに天夢人が復刊し、現在はイカロス出版が発行しています。

下のイラストは、『旅と鉄道』のためにつくったキャラクターです。同誌休刊から15年ぶりに昨日描きました。

『旅と鉄道』のためにつくったキャラクター

あらためて見ると、「ドラえもん」や、その作者である藤子不二雄先生(正確には藤子・F・不二雄先生)が生み出したキャラクターの影響を強く受けていますね。

■ おわりに

以上述べたのは、私にとっての「ドラえもん」に関する記憶です。つい昨日までは、そのことをほとんど忘れていました。

ところが、大山のぶ代さんの訃報を聞き、その記憶が急によみがえったことで、突然のように
「ドラえもん」を描きたくなりました。

約40年というブランクがあっても、ペンをにぎってそれを描けたのは、頭や手がしっかりとイメージを覚えていたからでしょう。

もし、小学生時代に「ドラえもん」と出会っていなかったら、漫画を描く楽しさを知ることもなかったでしょう。また、イラストレーターとして出版の世界に入り、さまざまな編集者と出会うこともなかったでしょう。さらに、ライターという別の職業(結果的に私にとっての適職でした)を編集者からすすめられ、フリーランスとして20年間活動を続けることもなかったでしょう。

まさに「ドラえもん」は、私の創作の原点だったのです。

幼少期に出会った漫画が、その後の人生を左右することって、意外とあるようですね。

【謝辞】「ドラえもん」を生み出してくれた藤子不二雄先生や、最初にその声をつくり、アニメーションに命を吹き込んでくれた大山のぶ代さん、その他作品を支えてくれたすべてのみなさまに、この場をお借りして感謝申し上げます。

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