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毎日のビールをやめて、花を買ったら暮らしに彩りが生まれた話

私は映像の制作を生業にしている。
その仕事柄、夜は遅く帰宅することが多い。

家路への途中に、ちょうどいいコンビニがあるため、
230円の缶ビールとつまみを買い、家族の寝静まった自宅の部屋で一人、晩酌をするのが日常の一部となっていた。

コロナ禍になり、在宅勤務が多くなったが、飲酒の量は減らず、仕事終わりには缶ビールを開けるのがナイトルーティンとなっていた。


在宅作業をしていると、仕事の息抜きに洗濯物の処理、食器洗いなどの家事を行うことができる。

共働きの我が家のリビングの床には、子どものおもちゃ、洗濯物の山で荒れ放題である。

この有様を目にしていると、結婚してから今まで家事育児全般を嫁に押し付けていたのが大変申し訳なく感じる。
今まで見て見ぬふりをしていたけれど、生活の場所兼、仕事をする場所になると、否が応でも、片付けなくては、作業ができない。

片付けても片付けても、終わりはない。

この殺伐としたリビングで、花瓶に生花が生けてあったら、少しは気持ちに余裕が生まれるかな?と思った。急に。

ちょうど近所にお茶を飲める花屋があり、そこで500円のブーケを購入して帰宅した。

物で埋もれた戸棚から花瓶を探し出し、買ってきた花を生ける。

静まりかえったこの部屋に、自分以外の生物がいることで、
思っていた以上に気持ちが和んでいる自分を発見した。

まだ若かった頃、20代―30代は、花を買って飾ることは、ファッションの一部というか、表面的なことでしかなかったが、歳を重ねると、この花の美しさが有限であること(やがて萎れて枯れてしまう)を認識すると、花が咲いている、この一瞬がいかに尊いものか、わかるようになった。


今、咲いている花が、とても眩しい、今しかない、かけ替えのないものとして見えるようになった。


ビールを飲み干し、「疲れ」や「むしゃくしゃした気持ち」を胃に流し込むのも悪くない。でも、それがないと、気持ちがリセットできない体質になってくると、ビールって美味しく感じなくなる。
美味しいから飲むのではなく、疲れを忘れるために飲むビールになっていた。

その500円を別のことに使ってみよう。

お花を部屋に迎え入れることで、花から人生の短さ(有限であること)を
教えてもらった。

必ず終わりがある生命の中で、今一生懸命に輝いている花を見ると、一瞬一瞬を噛み締めて生きることの大切さに気付かされた。

花の命は短くて、苦しきことのみ多かれど、
風も吹くなり、雲も光るなり。 林芙美子

生きていると、苦しいことも多い。
アルコールで、全てを洗い流すこともいい。
それでも風は吹いて、雲は流れていき時間は経過していく。

有限である命(時間)をどう使うかは個人の自由だ。


花を愛でて、花を観察し、花から、「人生の大切な時間」をどう過ごすか?
教えてもらうこと。

自分の人生と重ね合わせて自分の心と対話すること。

たった500円で気が付いた、人生の学びだった。

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