「認知症世界の歩き方」を読んで、あらためて思う。人は一人ひとり違うのだと。
認知症かもしれない、という不安
認知症。
昭和生まれの私がまだ20代の頃、祖母が認知症になりました。
「認知症」と呼ばれるようになったのは、2004年からだそうで、当時はまだ、「ボケ」「痴呆」と呼ばれていたと思います。
さて、その祖母の介護をしていた私の母が、軽い認知症になったようです。
まだ医師の正式な診断を受けていないので、ハッキリとは言えないのですが、「認知症世界の歩き方」に書かれている「認知症とは」という説明がしっくりくる状態と感じることが増えてきたのです。
母は、次のようなことが時々あります。
1.今日は何月何日で、何曜日なのか、日付の感覚がわからなくなる。
2.お昼に「今朝何食べたの?」と聞いても、朝食の献立が思い出せない。
3.毎食、飲んでいる栄養補給飲料が何味を飲んでいるか、聞かれると頭が真っ白になってしまう。
「認知症世界の歩き方」によると、
1の場合は、認知症世界では「トキシラズ宮殿」にいる状態
2の場合は、認知症世界では「ミステリーバス」に乗っている状態
3の場合は、認知症世界では「創作ダイニングやばゐ亭」にいる状態
と分類できそうな感じです。
「物忘れがかなり進んでみたい」という状態では、あまりにもつかみどころがなく、大きな不安感がありましたが、この本で「認知症世界によくあることなんだ」ということが分かると、「どう改善すれば良いか」という方向に意識が向くので、ずいぶんと不安が和らいだのでした。
人は一人ひとり違う、という当たり前にたどり着く
今は毎日リハビリに励んでいるものの、一日の多くの時間をベッドや車いすで過ごすことが多い自分で出かけることのない母は、他のハプニングは起きない(体験することがない)ので、他の認知症世界の旅はあまり無いようです。
一方で、テレビやスマホ、Amazonのアレクサから流れる音楽(主に昭和の歌謡曲)と一緒に歌を口ずさむときは、リズムも音程もかなり正確に歌えています。もしかすると、右脳はかなり活発で、左脳が部分的に不調だったりするのかな、などと考えています。
認知症世界の歩き方には、次のようなトラベルガイドの記載があります。
「実際には、認知症になったからといって、みんなが一緒に同じ症状を経験するわけではありません。」
一人ひとり、生きてきた経験が異なるように、認知症といっても、一人ひとり状況は違います。人はやはり、十人十色だな、と思うのです。
医師の診断を受けるのが本人も家族も怖くて、それでいて「認知症ではないか」という不安感が大きかったのですが、認知症世界の全体像を大まかに捉えることができると、霧の中にいるような心境から少し脱却できて、できること・できないこと、得意不得意などはまさに「個性」なんだ、という風にとらえることができてきました。
冷静さを取り戻すと、「人は一人ひとり違う」という当たり前のことに、ようやくたどりつけたのでした。
まとめ:この本は心強い先達
上記の記事で紹介されいる、Canvaのテンプレートを使って、感想文のまとめをPOP風に書いてみました。
医療の研究が進んで「認知症」と呼び方が変わったように、「認知症世界の歩き方」のような優れたナビゲータを得られるようになった令和の時代。
状況を正しく把握し、その上で改善を図ることが最も近道なのですが、正しい情報が無い状態でその近道へ行くことは大変難しいことだと思います。
やはり、先達はあらまほしきことなり、というように、認知症に対しても、先達の知見は、行く道を照らしてくれる光のように感じます。
かつて、情報が無かった時代に比べ、認知症のある人も、その家族も、明るい気持ちで暮らしていけることは、本当にありがたいことだと思います。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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