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シリーズ・気がつけばお寺の住職

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仏教に縁も興味もなく、まさか住職になるなんて夢にも思ってなかった自分が住職になるまでのお話です。
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記事一覧

気がつけばお寺の住職・EX

気がつけばお寺の住職・EX

今週は二回、老師と一緒に食事をしました。

老師と一緒に食事をするのは、
お寺に居れば、当たり前のことで、
別段、珍しいことでもないんですが、

今週は、東京で、二人きり、しかも•••

一回目は、もんじゃ焼き、二回目は、飲茶

•••非日常を満喫しました。

こうして、お寺の外で食事をしていると、
普段は聞かないようことを、聞いてみたり、
普段は話さないようなことを、話してみたり。

今回も以前

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気がつけばお寺の住職⑩

気がつけばお寺の住職⑩

久しぶりに高野山に来ました。

子供の頃から何度も来た場所ですが、
大人になってからも、仕事の関係で、
より頻繁に来るようになりました。

知り合いになったお坊さんもたくさんいます。

自分がお坊さんになったと知った人からは、
「高野山で?」とよく聞かれました。

それくらい馴染み深い場所です。

でも、自分は高野山ではなく、
伊豆の老師のもとでお坊さんになりました。

年表です。

2004年 

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気がつけばお寺の住職⑨

気がつけばお寺の住職⑨

この話も長くなってきましたので、年表風にまとめてみました。

2004年 あるお坊さんの話を聴きました
2007年 伊豆にある老師のお寺で坐禅と出会いました
2010年 得度してお坊さんになりました

得度の前後で変わったこと。

「宗慧(そうえ)」という名前をいただき、
以来、老師からも兄弟子からも近所の人たちからも「そうえ、そうえ」と呼ばれています。

•••それくらいでしょうか。

厳密にい

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気がつけばお寺の住職⑧

気がつけばお寺の住職⑧

はじめて伊豆のお寺を訪ねた2007年。

たまたま仏教の教えと出会い、大きな希望を感じ、でも•••何ら救われることもなく、仏教への興味を失っていた頃、たまたま再会した老師に誘われての訪問でした。

坐禅(のようなもの)もしましたが、効果も魅力も、特に何かを感じることはなく、「もう二度と来ないだろう」と思いながら、東京への帰路につきました。

特急での移動中、ずっとパソコンを使って仕事をしていたよう

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気がつけばお寺の住職⑦

気がつけばお寺の住職⑦

久しぶりに伊豆に来ました。

この時期、伊豆は桜の季節です。

本山のある南伊豆町も「さくらまつり」が開催され、毎年多くの観光客でにぎわいます。

自分がはじめてここに来たのは2007年です。

・世の中は思い通りにならない

・なのに思い通りにしたいと思うから苦しい

・思い通りにしたいと思うのは自分が何よりも大切だという自己への執着があるから

・でも執着しているはずの自己なんていうもの自体が

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気がつけばお寺の住職⑥

気がつけばお寺の住職⑥

20年くらい前に聴いたお坊さんのお話。

・世の中は思い通りにならない

・なのに思い通りにしたいと思うから苦しい

・思い通りにしたいのは自己への執着(自分が何より大切だと思う気持ち)があるから

・でも、そもそも執着しているはずの自己なんていうもの自体がない

・いろいろ考えてみると、確かに、普通に自分自身の実感としてあるような独立した自己なんていうものは存在しない

・絶えず動き回っている素

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気がつけばお寺の住職⑤

気がつけばお寺の住職⑤

20年くらい前に聴いたお坊さんのお話。

・世の中は思い通りにならない

・なのに思い通りにしたいと思うから苦しい

・思い通りにしたいのは自己への執着(自分が何より大切だと思う気持ち)があるから

・そもそも執着しているはずの自己なんていうもの自体がない

確かに、「自己ってなに?」っていうことを問い詰めてみると、今ここに、こうしてあると実感している自己というものが、自分で思っているほどはっきり

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気がつけばお寺の住職④

気がつけばお寺の住職④

20年くらい前に聴いたお坊さんのお話。

・世の中は思い通りにならない

・なのに思い通りにしたいと思うから苦しい

・思い通りにしたいのは自己への執着(自分が何より大切だと思う気持ち)があるから

そして•••

・そもそも執着しているはずの自己なんていうもの自体がない

えっ、自分は今、こうして、ここにいますが•••と思いました。

確かに、今、こうして、ここに自己があるということは何の疑いよ

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気がつけばお寺の住職③

気がつけばお寺の住職③

20年くらい前に聴いたお坊さんのお話。

・世の中は思い通りにならない

・本来思い通りにならないものを思い通りにしたいと思うから苦しみが生まれる

・思い通りにならないという現実を受け入れて、思い通りなるという理想を捨てれば、苦しみから解放される

非常に合理的で、なるほどと思いました。
そして、苦しみからの解放という点から、仏教に興味を持ちました。

こうして苦しみを定義してみると、苦しみを生

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気がつけばお寺の住職②

気がつけばお寺の住職②

20年くらい前に聴いたお坊さんのお話。

「世の中は思い通りにならないんだ」

この言葉が自分と仏教の出会いでした。

当時、30代半ば、バリバリと仕事をして、それなりの成果も出して、自分で起業したりもして、そんな自分の中には・・・

「世の中はがんばれば思い通りになるんだ」

という何の根拠もない自信がありました。

でも、このお坊さんの話を聴いて、思い通りにならないものを思い通りにしようとして

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気がつけばお寺の住職①

気がつけばお寺の住職①

伊豆から茨城の大子町に戻って、バタバタしていました。

草刈り、掃除、郵便物の処理•••等々、一人で住んでいますので、寺を空けると、いろいろとやることが溜まってしまい、一日、一日があっという間に過ぎていきます。

一日の終わりに布団の中で、ふと思うことがあります。

「なんで自分はこんなところで住職をしてるんだろう?」

思えば、ある時期まで仏教に興味も、縁も無かった自分が、今、こうして住職として

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