それって、こだわり or 執着 ?
何かに対して「こだわり」を持っていますか?
その「こだわり」は強いほうですか?
昨年まで東京に住んでいた時は、
仕事がハードということもあり、私は、
健康に強いこだわり
を持って生活をしていました。
コロナ前は、倒れるほどの体調不良でない限り休むことを自分に禁じていました。
「休めない」「休んだらメンバーに負荷がかかる」と緊張感を抱えながら仕事をしていました。
でも、もちろん男性ほどの体力はなく、1ヶ月の中で体調・気分のアップダウンもあるし、疲れが抜けない時もある。
でも、新人の若手社員でもあるまいし、ましてや管理職だし、甘えたことは言ってられない。いい悪いは別として、会社・組織というのは、私の体の状態や仕事のプロセスではなく、私の仕事の成果やパフォーマンスにしか関心がないわけで・・・
と、心の中でうねうねと愚痴を吐露しながらも、自己責任で何とかせねばと思っていたのでした。
健康管理も仕事だ!
と、自分を奮い立たせ、手当たりしだい健康のためにさまざまことを施しました。
※ ※ ※
健康管理のため、
「食事・栄養」にこだわりました。
▶ オーソモレキュラー
オーソモレキュラー(栄養素のバランスを整え、人が本来持っている治癒力へアプローチする治療)という栄養療法を取り入れたクリニックに2年通っていました。
ドクターから栄養・食事指導を受けるレベルの徹底ぶりでした。私は極度の副腎疲労だったので、複数サプリメントも処方され摂取していました。
▶ 無添加生活の導入
無農薬・有機栽培・自然栽培の食材をなるべく選ぶようにしていました。インスタント食品、ジャンクフード、添加物入りのお菓子や飲み物を極力控えました。一時期は小麦粉や牛乳の摂取も止めていました。
▶健康本を読み漁りいろいろ試す
一時期、いろんな食事療法にチャレンジしました。糖質制限、グルテンフリー、マクロビオティック、酵素、スーパーフード、ベジタリアンもどき ect
※ ※ ※
で、今は?
全て止めました(笑)
途中まではこだわりを持って取り組んでいたのですが、やっていく中で、途中から
「こだわり」から「執着」へと変化
してしまって、「食事・栄養」に注意を払う生活がほとほと嫌になっちゃったんですよね。
健康を失うことをあまりにも恐れ過ぎると、
「こだわり」は、健康への「執着心」に変化します。
これは、健康に限ったことではなく、
お金、モノ、キャリア、価値観、地位、名誉、生、命 に対して、それを失う恐れが強すぎると「執着心」が芽生え、「絶対、失うものかぁ~」と全身に力が入り、世界は敵だらけに感じます。
※ ※ ※
私は、健康への「こだわり」の段階では楽しめていましたが、次第に「これも、あれも食べてはダメ」、「ジャンクやお菓子は絶対ダメ」、「これ食べると病気になる」と、自分が認めない食品に対して怒りに近い敵意を感じるようになりました。
ほどほど、いい加減の「こだわり」のままでいられたらよかったのですが、「執着」になると、自分で自分を縛ることになり、自ら苦しみの沼に入ることになります。
「こだわり」と「執着」の境界線って?
実はハッキリと分けられた線はなくて地続きです。
「こだわり」と「執着」を行ったり来りするもので変動します。でも、自分は今「こだわり」にいるのか、それとも「執着」にいるのかはわかります。
「こだわり」は楽しい。自分も他人も自由です。
一方、「執着」は苦しい。自分も他人も不自由です。
※ ※ ※
今は田舎暮らしとなり、十分な睡眠が取れるようになったお陰で、副腎機能も回復し、ストレスが減りました。
それほど食材に神経質にならなくなり、今ではたまにインスタント食品、ジャンクフードも食べます。お菓子もスーツも少量いただきます。
健康を失うことはもちろん今でも怖いですが、
今は心に余裕ができたお陰で、健康への執着心が薄れました。
でも、他にも「こだわり」という仮面を被った「執着心」が、私のどこかに潜んでいると思います。
「これは、ひょっとして執着かな?」と気づいたら、「こだわり」レベルに緩めて、余裕を持っていきたいなと思います。
執着を一つひとつ脱いでいけると、人生ラクで清々しい。背中に羽が生えたように、身軽に生きられますね。
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