大切なのは”後付け力”全ては何もない所からはじまった。
僕がアウトドアベンチャーを立ち上げた理由ー橋村和徳さんー
『僕は佐賀県の唐津という港町で生まれ育って暇さえあれば川や海で遊んでいました。僕にとっては生活そのものがアウトドアだったんです。』と幼少期から自然に根付いた生活をしていた橋村さん。自然に囲まれた生活をしていた反動で都内での華やかな生活に憧れを抱き、大学に進学するタイミングで上京しテレビ局に入社します。『僕が起業するなんて考えたことがなかった』と会社員の生活に不満を抱いていた訳ではなかった橋村さんがどのような経緯で起業という決断をするに至ったのかお話を伺いました。
2021年より、新しい1歩を踏み出すことを価値としたビギニングプレイスという学生コミュニティ活動を始めました。『進路』や『やりたい事』など将来に対する悩みは、過去に同じような悩みを抱えていて解決した大人に話を聞くのが1番の解決の近道だと僕は考えています。こちらのインタビュー記事はコミュティ活動の一環であるオンラインイベントの備忘録ですがこの記事を読んで、読む前より少しでも新しい気づきや学びになり行動するきっかけになれば幸いです。
カツオ(インタビュアー)
2017年 日本大学文理学部入学
2020年 大学4回生を休学
2020年 川崎ロックヒルズガーデン店長
2021年 4月復学
2021年 日本橋コネクト店長
2021年 ビギニングプレイス始動
大学2回生の時に自分が将来就職活動をして社会人をしている姿が想像できず、『やりたいこと』を見つける為にひとり旅に出る。そこで宿泊したゲストハウスで年齢や国籍、肩書きに捉われない多様な生き方をしている人達と交流していく中で『大学に4年間通って就職活動をする』という生き方がとても視野の狭い考え方だと気付く。
自分が様々な人と出会うことで人生の視野が広がったようにもっと自分と同世代の人に多様な生き方をしている人と出会うきっかけさえ提供できれば、進路に対してモヤモヤを抱える人を減らすことが出来るのではないかと考え、ビギニングプレイスという学生コミュティを起ち上げる。
▽カツオのプロフィール
▽ビギニングプレイス
▽川崎ロックヒルズガーデン
▽日本橋Connect
橋村和徳(はしむらかずのり)さん
1973年 佐賀県唐津市生まれ。
1997年 中央大学文学部社会学科卒業
1997年 サガテレビ(フジテレビ系列)入社
2000年 フリービット株式会社(ITベンチャー)
2007年 同社初の海外進出として上海に赴任
2009年 Village INC設立
東京の大学を卒業後、テレビ局に入社。営業部門の配属となりクライアントや広告代理店を駆け回っていた。営業先からその人柄と手腕を買われ、ITベンチャーの立ち上げに誘われ参画。2000年5月から、このITベンチャーの営業部門でヘッドを務め、東証マザーズへの上場も果たす。08年3月、さらなる事業拡張のため中国に赴任し市場開拓の陣頭指揮に立つ。中国の環境が身体に合わず、東京にいた時に息抜きとしてやっていたキャンプのような自然豊かな環境に囲まれた生活がしたいという願望が溢れてくる。そして南伊豆で見つけた土地を使ってアウトドア事業をすることを決意し帰国する。
▽Village INC
▽好きな言葉
⇨天上天下唯我独尊(オンリーワン)
始まりは『不法侵入』全てはそこからはじまった。
橋村さんの幼少期について教えてください。
僕って佐賀県の唐津という港町で生まれ育って、もう生活そのものがアウトドアだったんです。
小学生の時なんかも、朝学校に行く前に海や川に行って魚や貝を獲って遊ぶんです。そして学校が終わればまた海に行く。
だから僕にとってはアウトドアが日常だし、子供の頃の生活がアウトドアだったということに大人になってから気づきました(笑)
キャンプなんかも当たり前。そして僕にとってのキャンプは、山というよりはビーチや島のイメージでそんな少年時代を送っていました。
出身が佐賀県ということですがどういう経緯でVillage INCの拠点となった『伊豆』と出会ったんですか??
僕は幼少期から自然に囲まれた生活をしていたので上京してからもキャンプやフェスに行っていました。
幼少期の影響で自然に囲まれた生活が好きだったんです。
しかし、たいがいのキャンプ場やフェスは『このエリアまでしか行けませんよ』とか『この時間帯は騒いではいけませんよ』といった『制限』がかけられている。
限られた自然の中でしか遊べない。そんなの全然楽しくないなと思ったんです。
そこで思ったわけです。
そうだ『自分のキャンプ場を作ろう、大人が自由に騒げる、楽しめる秘密基地を作ろう』と。
それが伊豆半島にあったわけですね。
そうです。
会社の後輩を連れて、舟で海辺のエリアに自分たちが探し求める秘密基地はないかと暇さえあれば探しに出かけていました。
それでようやく伊豆半島に日常生活から完全に分断された理想とする場所を見つけて、そこを自分達の秘密基地にすることに決めたんです。
その土地に上陸し草を勝手に刈ったり、素っ裸になって男だけでワイワイ遊んでいました。
漁師さんが近づくとモリで威嚇して追い返したり(笑)
最初は後輩と2人で焚き火をしながら裸祭りをしていたのが、年々人数が増えていき伊豆でのキャンプの参加者が5年後には50人規模まで拡大したんです。
舟でしかいけない所に男だけで30人も集まって裸祭りってすごいですね(笑)
すごいでしょ!
当時はSNSもなかったからよくこんなにも人が噂を聞きつけて集まったよね。
年々参加者が増えてきて『今年もやるぞ〜!』って気合いを入れて伊豆の秘密基地に上陸しようとしたらおじいちゃんが1人立ってたんですよ。
『ここ俺の土地なんだよね』って(笑)
ええ、それでどうなったんですか??
当たり前だけど人様の土地を勝手に開拓してどんちゃん騒ぎしてたんだから怒られると思ったら『なんで俺の土地を毎年キレイにしてくれるの?』って感じだったんですね。
向こうからすれば、荒れ放題の草を刈って整えてくれているので『毎年夏になるとなんかキレイになるなぁ』と思っていたみたいなんですよ。
そして、このタイミングで地主さんに交渉したら幸運にも正式にこの土地を借りれたという訳です。
土地を借りたということは正式に起業をすることに決めたんですか?
起業しようとはまだ考えてないです。伊豆でのキャンプは本当に趣味みたいなもので、息抜きみたいなものでした。
ただ、ここでの体験を経ていつかはアウトドアを仕事にしようと思い始めていたのも事実です。
ここでの体験っていうのはどういった事が伊豆ではあったんですか?
何もない大自然の中に見ず知らずの人が集まり、裸になって焚き火をするとその人達にしかない『共通体験』が生まれて結束力が高まっていくんです。
共通体験があると自然と初めまして同士が『あれ、楽しかったな!』とか『今日は準備が大変だった』という風に勝手に会話をはじめて交流をし気が付けば焚き火を囲んで本音をどんどん語り出していきます。
都会で普通に過ごしていたら経験しなかったような体験をすると日常生活に戻った時に活力になるみたいですね。
裸で火を囲んでどんちゃん騒ぎを一緒にしていた人達が各々の職場でどんどん出世をしていったんです。
この時に非日常的な体験は日常をより豊かにすると直感的に感じました。
仕事とプライベートは表裏一体なんかじゃないかって。
仕事とプライベートって分けて考えがちだけど、仕事が上手くいっていれば人生はもっと楽しくなるし、人生が上手くいっていれば仕事も上手くいくし今後その2つの境界線の境目はどんどんなくなっていくんじゃないかと彼らを見て思ったんです。
そして、この体験はいつか俺の天職になるかもしれないなと考え始めるようになりました。
好きな事をするために生き急ごう。人はいつ死ぬか分からない。
橋村さんが起業を決意したきっかけは何だったんですか??
実は、土地を借りることができた翌年に会社の都合上、中国に転勤になったんです。
とにかくこの中国の生活環境が酷かったんです。
もうスモッグがすごくて、空気も悪い。
飯も口に合わないし、こんな環境ではもうやっていられない。
そう思った時に伊豆での自然豊かな環境に戻りたいという願望が蘇り伊豆に戻ることを決心し起業することにしました。
橋村さんは起業する直前『癌』になったと聞きました。これほどの大病を患った時に起業を断念するという選択はなかったんですか?
むしろ、癌になったことによってより好きな事を実現するためのアクセルを踏むことが出来ました。
普通逆の結論に至る気がするのですか、、、、
結果的に早期発見の為、癌を克服することが出来ましたが死に直面して『好きなこと以外に時間をかけるのはもったいない』と思ったんです。
だから好きなことをする為に限られた時間の中で生き急ごうと決めたんです。
(▲2年間好きなことを実現するために1人で伊豆の秘密基地を事業にするために開拓を続けたらしい。凄すぎる、、、、、)
起業するまで、土地探しや転勤、癌など様々な困難があったと思います。それらを乗り越えられた原動力って何ですか?
好きなことをする、ただそれだけです。むしろ好きなことだからこそどんな困難も逃げずに乗り越えることが出来ました。
僕は常に『どうやったら実現できるか』という視点を持つように心掛けています。
人間ってあたかも出来ないことを正論のようにいう人がいますが、それはただの言い訳に過ぎないと僕は考えています。
できないことがあるのであれば、どうやったらできるのかを考えたらいいだけじゃないですか。困難があれば、どう乗り越えるか、知恵を絞るじゃないですか。
僕は目の前に立ち塞がる困難や障壁はむしろ成功の種だと思っているんですよ。
だから、僕は無駄な事なんて人生に1つもないと考えています。
自分の求めるキャンプ場がなかったのも、海外に転勤になったのも、癌になったのもこれらの困難や障壁があったから今の僕がいると考えています。
失ったことや、上手くいかないことばかり数えるのは簡単です。
しかし、視点を変えて過去の出来事を力にできるかどうか自分次第なんです。
こうした過去の出来事を正解に変える為に行動する『後付け力』が人生を上手に生きる上ではとても重要です。この力が何か人生で困った時に新しい1歩を踏み出す時の原動力となります。
一番良くないのは失敗を恐れて何も行動しないことです。行動しなければ何も次に繋がりません。どれだけ生きているうちにバッターボックス(挑戦する機会)に立てるかはめっちゃ大事です。
なので出来る限りたくさん失敗してください。たとえ今が上手くいかなくても最終的には成功に持っていければ良いわけですよ。
僕だって起業するきっかけは不法侵入だったんですから(笑)
橋村さんと初めてお会いした時の印象は『まるで子供がそのまま大人になったような人だな』と思いました。本当にこんなにも『やりたい』という気持ちに素直になれている大人は橋村さんぐらいしか見たことありませんでした。最初は奇抜な生き様に圧倒されてしまいましたが、段々とその背中に魅了されて『僕もやってみたら出来るかもしれない』と思えるようになりました。そして、最初は上手くいかなくても最終的には成功に持っていけるように努力し続ければ良いという『後付け力』に勇気をもらい、行動することの大切さを改めて学ぶことが出来ました。