大人と子供の矛盾
今日は僕の現場で起こった『大人』と『子供』の矛盾について話していきたいと思います。
僕は、現在川崎駅から徒歩6分ぐらい(諸説あり)にある住宅用マンションの屋上にあるグランピング屋上BBQ場の店長をやらせてもらっています。
今年で店長をして2年目になります。
働いてくれる人大募集な段階です。特に女性、、、、
ありがたいことに社会人のお客様には『こういうところで働けると経験になるよー』『俺も若いうちにこういう場所で働きたかった』と言っていただけます。もう働く価値のあるとても楽しい雰囲気であることは伝わりましたね。#黙れ
タイトルでは『子供』と書きましたがこの記事の中では大学生のことを指しますが、彼らも『私もこういうところで働きたいー』とか言ってくれます。
僕はここで疑問に思いました。
彼らがいう『こういう場所』というのはどういう場所なのかを。
多分僕の中では『大人』と『子供』で言っている意味が違います。大人は『自由』という側面から『こういう場所』という表現をしていると思います。
やっぱり大人になると必然的に自分の意志とは裏腹にやらなければいけない仕事が多くなります。そうするとやりたいことができないor自分の行動&選択が制限されてしまします。
そこでBBQ場に来て特にルールに縛られてなく自主的に楽しそうに働いているスタッフを見て『人生でこういう経験ができるのは今だけだよ』ということを言いたいのではないかと思います。大人になったらできないよ、と。
それに対して子供は『楽しそうor楽そう』という側面から『こういう場所』という表現をしていると思います。
『楽そうor楽しそう』というのは『マニュアルが厳しくなくo忙しくなさそう』だから楽をして稼ぎたい学生からしたら魅力的な環境だと思いますが、面白いことにいざ働いてみると続かないことが多いです。(おい、店長何やってんだよとは言わず最後まで見て下さい、、、、、、、)
スタッフが続かない理由の1つとしては『共感』と『共同』が発生してなかったことが挙げられますが、今回言いたいのはもう1つの理由です。
それは『主体性』はつまらないということです。
どういうことかと言うと大人は制約がある社会を生きていてもう少し自分の思い通りに生きたいと『主体的』に動ける環境を求めています。だからこそ『若いうちにその経験ができる環境にあるのは羨ましい』と言ってくれますが、いざ子供に主体的な場を用意すると退屈してしまうんです。
こういう状況ではこうすべき、お客様を常に見張っておくというガチガチでお堅いマニュアルがない状況では働く側は自分で仕事を見つけないといけません。この作業がめちゃくちゃ大変です。
今までやることが明確な場所から自由な場所に環境を移すと急に何をしたら良いか分からなくなります。最初は『やるとなくてラッキー』みたいな感じですが段々とやることがないと暇になって、働く意味が分からなくなって、最終的にはつまらないと思うようになります。
ここで分かることは本当に楽な状態とはやることが与えられる状態であるということです。
大人は『自由』を求めて、子供は『制約』を求める。
お客様の発言から結果としてこういった『矛盾』が起こっているということが分かりました。面白いよね。
私たちは自分で何かを考え、行動しなくても生きていける環境があります。でも『制約』がある人生を送っていると『もっとこうしたいなぁ』『こんな経験しとけば良かったなぁ』と後悔という感情が芽生えてしまいます。
だからもし、大人になって後悔したくないのであれば主体的な思考を手に入れるべきなのではないかなぁと思ったりしました。
『主体的な思考を手に入れる為にはどうするの?』って思うかもしれませんがその主体的な思考とは何か?そうやって『考える』ことから新しい日常を迎えるきっかけになるものです。なんてね。
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