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【儒教】国家は文明よりも大きいか?小さいか?

#英利アルフィヤ
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#儒教

背景

儒教系統の認識
 (1)「もしある主体が日本国に所属するならば、その主体は東洋文明に所属する。」が成り立たない現実が存在する。

もしある主体が日本国に所属するならば、その主体は東洋文明に所属する。これが成り立つと仮定する。このとき、その対偶も成り立つ。もしある主体が東洋文明に所属しないならば、その主体は日本国に所属しない。

しかし、現実的には、上記は成り立っていない。例えば、アン・クレシーニが日本国に所属する、かつアン・クレシーニが東洋文明に所属しない。アン・クレシーニが日本国に所属する、かつアン・クレシーニが西欧文明に所属する。これらが成り立っている。

このとき、日本国と西欧文明は国家と文明に関する含有関係を持たない。国家と文明が共通部分を持っている。モンゴルという国家と中国という国家が含有関係を持たないが、領土問題に関する共通部分を持っているようである。

国家の場合、その共通部分はそれほど不思議でない。しかし、東洋文明とモンゴルが内モンゴルという領土を共通部分とするのは奇妙である。この例では、階層が異なる。

含有関係

儒教系統の認識
 (1)国家は文明の部分である。

上記を仮定すると、俺は次を得る。

儒教系統の思考規律
 (1)もし国家が存在するならば、その国家は文明に所属する。
 (2)もしある主体がx国に所属するならば、その主体はy文明に所属する。

上記を仮定すると、もしある主体が日本国に所属するならば、その主体は東洋文明に所属する。ただし、日本国は東洋文明に所属するとさらに仮定する。

このとき、アン・クレシーニの存在が上記の規律に反する存在になる。このとき、彼女は西欧文明ごっこを日本国の中で実行することができなくなる。これは英利アルフィヤも同様である。

含有関係がないと…

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