量は質を凌駕するのか、神は細部に宿るのか。
時には昔の話を。
私は社会人1年目のとき、売れない営業担当だった。
企業の人事部に対して、新卒採用に関するあれやこれやを提案して、お金を頂くような営業活動を行っていた。
あれやこれやなんて書いてしまうと、どれやどれや?となるので、少しだけ詳細を。
当時、私が働いていた会社は、社員数20人にも満たないベンチャー企業だった。
リクナビのような採用関連のWebサイトを運営し、合同企業説明会を主催していた。また、時には採用の計画段階から顧客企業にがっつりと入り込んで、コンサルティングをしたり、オリジナル企画を立案したりすることもあった。
営業担当の責任は、顧客企業の採用課題に適した提案を行い、採用成果につなげることだ。
そのために、
新規顧客を開拓するための、アタックリストを作り、テレアポして、訪問、提案、納品、振り返りと一連のアクションを行う。
同期は私の他に3人いた。女性が2名、男性が1名。彼らは、1ヶ月ほどの見習い期間を経て、独り立ちしてから、順調に数字を上げていった。
私はというと、中々思うように、、、というか全く数字が上がらずにかなり苦戦していた。
営業担当には、それぞれ年間目標があり、それを元にして月毎の目標があった。
さらに、その進捗を確認するための“営業会議”が毎週月曜日に開催されていた。
その会議の場で、1人ずつ案件の進捗状況や目標達成の見込みを報告する。
私はこの時間が苦痛でしょうがなかった。
他の担当が景気の良い報告を重ねる中で、自分だけが重苦しい様子で、鳴かず飛ばずの報告をする。
そして、決まってこう聞かれる。
「それで、この後どうするの?」
こっちが聞きたい。
答えが分かっていたら、そんなに困窮した状況に陥ることもない。
あれやこれやと、それらしいことを言ってでかわそうとするものの、新人の頭で出てくるのは、結局のところ“行動量を増やす”ということぐらいで、ますます自分で自分の首を絞めた。
幸か不幸か、上司や先輩達は人間としては素晴らしい方ばかりで、パワハラまがいの説教だとか、恫喝めいた叱責ということは、一切無かった。
私個人としては、
「バカヤロー、外回ってこい」と言われる方がよっぽど楽だったかもしれない。
答えを持ち合わせていない問いを、丁寧に掘り下げられる方が、よっぽど苦しかった。
一方で、私は素直さや可愛げというものに欠けていた。
出来ないなら出来ないなりに、先輩に頭を下げて知恵をもらったり、サポートをもらえば良いものを、自分1人で何とかしてやろうと強がってみたりした。
さらにひどいことに「行動量を増やす」という根性論のアイデアしか出てこないクセに、やみくもにテレアポをすることに意味を見出せず、効率よくなんとかしたいなんて、都合のいいことを考えていた。
リクルート出身の中途入社してきた先輩からは、
「数は質を凌駕する、とにかく行動量が足りない」とありがたい言葉も頂いていた。
けれど、
私はただ数を増やして何になるのか?と私はその先輩を軽んじていた。他の方法も知らないくせに、本当に生意気で可愛げのない奴だったと思う。
結局、その年は年間目標についてはギリギリ達成したものの、同期の中でも、営業部内でも最下位の成績だった。
そこから、時は4〜5年ほど流れる。
私は、とあるアメリカ系の大きな企業に派遣社員として訪れていた。
「この人は中途採用のプロなので」
と、私の上司が顧客側の採用部門のマネージャーに紹介している。
(とんでもない、私は中途採用なんて1ミリも経験したことがない)
と、内心では冷や汗をかきつつも、このタイミングでそれを打ち明けると色々とややこしそうな気がしたので、ただ愛想笑いを浮かべていた。
その企業は、その時点で既にある程度の規模ではあったが、さらに急拡大ということで、とんでもない数の採用を行うということで、採用業務の一部をアウトソースする決断をしていた。
そのアウトソーサーとして、招聘されたのが私を含む4名のメンバーだった。
私は“中途採用のプロ”として、ひたすら一次面接を行った。
8人/日 × 5日/週 ×4ヶ月。
たまに週に6日のときもあったが、ざっくり500人くらいの候補者との面接を短期集中で行った。
これくらいの短期間で、このボリュームの面接を経験した人は、直接的な知り合いにはいないし聞いたこともない。
結果、私は一次面接の“プロ”になった。
これは自己認識の話でもあるし、同時に、そのアメリカ系企業の中途採用の正社員として採用されたので、客観的な評価とも言えるだろう。
面接でのヒアリング、時間配分、フィードバックのまとめ方、合格する候補者の見極めなど面接初日は、どちらが候補者か分からないほど緊張をしていたのだが、そんなことも思い出せないほど、スムーズに対応するスキルが身についたと思う。
4ヶ月の間、もちろん多少の創意工夫や自分なりの改善は行ったけれど、1番大きな成長のきっかけとなった要素は“量”にあると思う。
ただ闇雲に数を回したところで意味はないように感じるけれど、どんなに質がよかったところで、1回のトライだけで得られるものなど、たかが知れている。
ある程度の質 × 量 というのが良いのだろうけれど、最高の質で少ないか、最低の質で多いかならば、多くこなす方が経験値はたまり、実力になる。
かつて、毛嫌いしていたあの言葉が脳裏に蘇る。
「量は質を凌駕する」
確かに一理あると、数年遅れで実感した。
できれば、効率よくスムーズにサラッと物事をこなしたい派なので、根性論っぽいこの言葉を諸手を挙げて賛同するわけではないのだけれど、圧倒的な量というのは、確かに人を成長させるし、成果につながる。
しかし、
同時にこんなことも考える。
圧倒的な量を処理するためには、それ相応の効率の良さが必要なのである。
それはすなわち、作業と環境の質と言えるだろう。
ひょっとしたら、量をこなすために作業を早くすることや環境を整えるための創意工夫、努力といったことが、成長や成果につながっているのかもしれないし。
物事の処理スピードが上がると、何が良いかというと、時間と体力に余裕が生まれるのである。そこで初めて、細部にこだわることが出来るようになる。
神が宿るほどの細部へのこだわりは、人々に感動を与える。
一流と呼ばれるホテルや料亭のおもてなしなどをイメージして頂くとわかりやすいだろうか。
一流ホテルと比較すると、小さすぎる例になってしまうけれど、私も細部にこだわることで、感動されたことがある。
会社説明会の会場セッティングを担当したときのことだ。
机や椅子の向き、資料やノベルティを置く角度、室温、BGMの大きさなど、完璧に仕上がった会場に、他の社員が到着するや否や
「どうしたの、これ。すごいね!」
と、興奮した様子で褒めてくれたことをよく覚えている。
毎回、説明会の時にはそれなりに丁寧に準備していたつもりだったけど、確かにあの時は自分でも綺麗に出来たと思ったし、周りの人の目にも違って見えたのだろう。
神は細部に宿るときもあるけれど、
細部にこだわるための時間的、体力的な余裕は、一定の量をこなせるようになった先に見出される。
そして、効率化というのは、時間と体力だけではどうにもならなくなった先にこそ、ブレイクスルーが待っているように思う。
あなたは、量で質を凌駕する派か、細部に神を宿らせる派、どちらでしょうか?