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意志の尊重:この先にある社会/Willism

はじめに

意識を作り出している構造について、自分なりの整理ができてきました(参照記事1, 2), 3)。この記事では、その意識の上で機能する、意思について考えます。

意志の尊重の重要性

自分の意志で物事を決めるという事は、ある意味でプレッシャーであり、人によっては苦手意識を持っている人もいるかもしれません。しかし、人生を歩んでいく以上、避けては通れません。

一方で、自分で真剣に考えて、その結果として意志を定めて行動するという経験は、結果の成否や大小がどうあれ、その人の成長や満足感につながる可能性があります。人に言われてやったことや、あまり真剣に取り組んでいないけれども運よく成功した場合に比べて、例え成果が小さなものだとしても、人生における宝物になるかもしれません。

大きな決断に限らず、日常的な判断であっても、そこに意志を持って決めることは大事なことであり、その積み重ねの中に幸福というものもあるのではないかと私は考えています。いくら他人から多くを与えられても、退屈や空虚感があるだけではないでしょうか。

AIが進化すると、人間が働かなくても良い社会になるかもしれないという話もあります。経済的にはベーシックインカムなどの話も持ち上がっています。しかし問題は金銭ではないと思います。その時に、私たちは何に価値を感じ、何を指針に生きるのでしょうか?

仕事から解放されたとしても、やはり人は、自らの意志で真剣に考えて、そして判断していくという事を繰り返していく必要があるでしょうし、むしろそれこそが、AIの時代が来た時の本質的な価値だと思われます。

社会の豊かさのために、多くの人が多くの成果を出す必要がある時代には、社会も個人も、成果という尺度で価値を測ってきました。その人が努力をしたとか重大な決断をしたとか、そういう事とは無関係に、活動の成果が大きいか小さいかが、その活動の価値を決めてきました。

しかし、AIやロボットによって、社会の豊かさが自動的に十分に手に入るような時代において、成果主義の考え方は何の意味があるのでしょうか? それは不幸を生むだけの考え方だと思います。

豊かさがあるラインを超えた社会では、成果主義の考え方は捨てるべきですし、それを私がわざわざ主張しなくても、時代遅れの考え方になるでしょう。そうした時代に私たちが社会として、そして個人として寄りかかる価値は「意志」ではないか、というのが、今の私の考えです。

成果でなく、意志に価値があるというのはどういうことか、少し説明します。

簡単に言えば、その人その人の自らの意志で物事を考えて、自分の行動の決定をすることが大事だよね、というシンプルな価値観を共有する社会です。

その裏には、成果の大きさや能力の高さを、単なる個性だと捉えるような姿勢が必要です。多くの人が称賛する対象は、大きな成果を出すことや、そのための能力ではなくなります。どんな小さな成果であっても、その人が自らの意志で真剣に取り組んだものにこそ、称賛を送るということです。

そのような社会になるためには、個人個人の意志決定を否定せずに見守り、サポートする社会の意識が醸成され、制度が構築される必要があります。

この個人の意志を尊重する立場や考え方を、意志主義(Willism)と呼ぶことにしましょう。

意志主義(Willism)の立ち位置

この意志主義は、理屈としてはシンプルです。単に、各個人の意志を尊重しましょうという、一見すると当たり前の価値感を強調しているだけです。

しかしシンプルでありながら、そこには個人主義や合理主義(成果主義もその一種)のような冷たい社会観ではない、温かみのある社会の姿が思い起こされます。もちろん、革命や積極活動などの過激な考え方とも異なります。

一方で、心の時代とか共生社会というような、温かみは感じられるけれどもあいまいで多義的な解釈のできる考え方に比べて、シンプルゆえの力強さもあります。意志主義は、排他的で競争的な考えには結びつきづらく、自然に多様性やインクルージョンに帰結する価値観となります。大きなことを成し遂げたり高い能力を発揮する人も、小さなことをコツコツ自分で決めたことを続ける人や、実直に伝統を守っている人も、個人の意志で行っているのなら、それをすべて肯定する社会です。

もちろん、犯罪や社会に害をなす意志、あるいは他人に危害を加える意志まで肯定するものではありません。そのような例外を除いては、できるかぎり社会は個人の意志を尊重し、個人は自らの意志で考え歩いていくような形が理想です。そして、必ずしも何か意志決定をすることだけが重要なわけではありません。思い悩んだり迷ったり、他人に流されることも諦める事も、そういうことも含めて尊重されるべき意志です。

さいごに

やや大胆ではありますが、これから先の社会の方向性について、考えたことを書き起こしてみました。そんなに上手く理想的なことが実現するとは思えませんし、こうした考えが進むべき道なのかもわかりません。ただ、私たちが時代の転換点にいることは確かだと思います。10年先、20年先か、もっと先のことかは分かりませんが、現在の社会や価値観が揺れ動く時期は必ず来るでしょう。その時に備えて、どんな世の中が良いのだろうかと、考えておくのは悪いことではないと思っています。

参照記事一覧

参照記事1

参照記事2

参照記事3


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katoshi
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