見出し画像

それはミニスカート、だった。

谷川俊太郎が亡くなったことと、高畑充希と岡田将生が結婚したことを知った日。

朝から違うベクトルで衝撃を受け、悲しみとめでたさを行ったり来たりしていたらちょっと酔った。

谷川俊太郎。無邪気さと愛の人。

私にとっての最初の出会いは(もしかしたらその前に出会っていたかもしれないけれど)やっぱり『スイミー』だったな。
小学校の教科書に載っていた。スイミー、レオレオニ、そして谷川俊太郎。

それから、ことあるごとに私の人生に彼の作品は現れた。
こちらが探していなくても現れるというのは、それだけ彼の作品が多くの人に読まれ、愛され、広められていた証拠である。

.

好きな作品をあげることは難しいけれど、衝撃を受けたワンフレーズなら1つだけある。

それは、あまりにも有名な詩『生きる』のうちの一行。
「それはミニスカート」

初めてこれを読んだ時が、高校生だったか大学生だったかはもう覚えていない。
ただ、確実に覚えているのは、私がミニスカートを履いていた頃に出会ったということ。

全文を読んだことが無ければ、ぜひ読んでみてほしいのだけど、なんていうかね、その頃、女の子が好きなミニスカートと世間のミニスカートって認識にズレがあるよなあって思っていた。

女の子ってくくっちゃったけど、少なくとも当時の私は、純粋にミニスカートの可愛さとファッション性に憧れていた。
ミニスカートというのはファッションアイテムで、可愛さの象徴で、若さで、エネルギーで、強さでもあった。

脚は太かったけど、どうでもよかった。
誰に脚を見せたいのでも、モテたいのでもなかった。
可愛い服が、好きな服が着たかった。
その思いだけで、なんでも超えられた。楽しかった。

.

でも、世間のミニスカートは肩身が狭かった。
不良の証のように扱われたり、エロの象徴にされたり、痴漢の対象であり大義名分にされたりしていた。

「そんな短いスカートを履いて」

別に下着を見せて歩いているわけじゃないのに。下着の上に黒のインナーまで履いているのに。

スカートの丈が短いと、たちまち頭は悪くなるんだろうか?もしくは性格が?
学校指定の体操着のブルマやスクール水着なんかの方がよっぽど脚も体のラインも出ているのに、なんでスカートの丈だけこんな扱いをされるんだろう。

脚を出していようが隠していようが、他人の体に無断で不躾に触ることが許されるわけないのに。
自衛が大事なのはわかっているけれど、それでどうして触る方が正当化されるの?

世の中には男女問わず「そんな短いの履いて、媚び過ぎじゃない?」なんて言う人もいるけど、そうかなあ?いや、そうだとしたらそれでもよくない?

見せたい脚があるなら見せた方がいいし、こちらとしては美しいものを共有してくださりありがとうございますだよ。
男ウケを狙って履いていたとしても、それで射止めて幸せになれたら、作戦大成功ですね!お見事!おめでとうございます!じゃないのか?
そもそも好きな格好して何が悪いんだろう。

でも、そもそもさ、なんか、そうじゃない。
媚びたくないから、負けたくないから履くミニスカート精神ってあると思うんだよ。だってかっこいいもん。

私にとってミニスカートは、可愛くてかっこよくて最高のアイテムだったのに、なのに、世の中のミニスカートはいつもずいぶんと可哀想だった。

.

だから、この詩にミニスカートを見つけた時は、ものすごく驚いた。

何がってさ、この詩では、ミニスカートがプラネタリウムやヨハン・シュトラウス、ピカソ、アルプスと並んでいる!!!!ミニスカートが!!!

地球に存在する美しく素晴らしいものたちの中に、ミニスカートがある!!

ミニスカートが好きという男の人はたくさんいたさ。
でも、そのほとんどが男女の、思春期の、汗と脂の匂いがするようなもので、それがすべて悪いとは思わないし、言いたいこともわかるけど、そういうんじゃないんだよなあって思っていた。

でも、この人は!ミニスカートを美しいものとして並べてくれている!
真意は知らない。別に、彼が性的なものとしてミニスカートが好きだったとしても、大事なのはそこじゃないんだ。
この並びに、ミニスカートがあることが重要で。

この詩のなかのミニスカートは、美しい。
若さで、強さで、無邪気さで、品が良く、健康的で、フレッシュな色気があり、気高い。

誰かに眉をひそめられたり、鼻の下をのばされたりするものではなくて、キラキラと眩しく光るミニスカート。
あった、ここにあった。
私が大好きなミニスカートが、ちゃんとこの世界の、この詩のなかにあった。

それが、とにかく嬉しかった。探し物を見つけた心地がした。

.

これまで誰にもこの話をしたことは無い。
詩の中に出てきたミニスカートの感動話より、もっと話したいことが当時の私には溢れていたから。

でも、彼の訃報を知り、久しぶりにこの詩を目にし、「それはミニスカート」にたどり着いた時、ミニスカートを履かなくなった私の中にも、あの頃の胸の高鳴りが同じようによみがえり、誰かに話したくなった。

今も変わらず私にとってミニスカートは強くて可愛い。きっと死ぬまでキラキラ気高い。

この世にも、私と同じようにミニスカートを想ってくれる人がいたことを知った。
世界は、1つの詩のなかからも広がることを知った。

それを教えてくれたのが、私にとっての谷川俊太郎だった。

感謝と敬愛を込めて。ご冥福をお祈りいたします。


いいなと思ったら応援しよう!