出前を取ってみんなで分けてやけどして、それから。
昔、家の近くに小さくて古い中華屋さんがあった。
この頃で言えばいわゆる町中華的なお店で、その歴史を感じる古びた佇まいから、一部のファンからは愛情をこめて「キタナシュラン」と呼ばれることもあった。
小さいのに通りがかるといつも混んでいて、食事時になると、お店に負けないくらい狭い駐車場を車がひっきりなしに出入りしていた。
お店で食べたのは高校生くらいになってから1回だけ。
年頃の女の子の中には「汚いから行きたくない」という人もいたけど、正直私は不衛生さは感じなかった。
ただ、時の流れがしっかりわかるくらいには古めかしくはあった。
実は我が家の場合、近所だったこともあり、そのお店は食べに行くのではなく出前を取る店という認識だった。
出前や外食が、友人たちの家に比べてどうやらかなり少ない家だったようで、たまに訪れる「出前とろっか!」という日は、何を頼むべきか真剣に悩んで、届くのが待ちきれず廊下をウロつき、インターホンがなると母にぴったりくっついて、誰よりも早く届いた品々を見たがったのは幼稚園から小学校低学年くらいの私である。
出前と言えば、な銀色の箱(おかもち)から、アツアツのラーメンやチャーハンが1つずつ登場し、玄関に置いたお盆に並べられていく様がとても好きだった。
麺類はスープがこぼれないようにラップがピッチリかけてあるのだけど、そもそもスープが遊びようないくらいどんぶり並々に注がれていて、どんなに丁寧にはずしても、ラップをつたってスープがびたびたとこぼれた。
チャーハンも、他のお店じゃ見たことないくらい山盛りになっていて、私が食べるのも好きだけど、食欲旺盛な兄たちが山を崩していくようにガツガツと食べてなくなっていく光景も好きだった。
中華飯のあんかけでは、わかっていてもやけどをした。ああ、そうだ。焼きそばも人気だった気がする。
今思えば、食べ盛りの兄たちが進学で家を出たあたりから、次第に出前を取ることがなくなったのかもしれない。
たまに私が思い出して出前をせがんでも、なかなか頼むことはなかった。
だから、たぶんお店に行ったんだと思う。
その時は確か、何のかは忘れたけど定食を食べた。
出前で定食は頼んだことがなかったから、という理由で選んだことだけ覚えている。
出前を取ると、家族みんなであれこれシェアして食べていたから、1人で1人前をすべて食べるのが新鮮でちょっと大人になった気もした。
ただ、美味しかったけどやっぱり1人には量が多くて、頑張って食べたけどとても苦しかった記憶もある。
ああ、やっぱり、食べ盛りの兄たちが先頭に立って、家族みんなで分け合って美味しい美味しいって食べるのが1番好きだなあ、と思った。
やがて私も実家を出て、しばらくして地元に帰ってきてからも通りがかっては駐車場に目をやり繁盛していることだけ確かめていたけど、気付いたらいつの間にかあの店は閉店していた。
もうあの時のみんなが揃って食卓を囲むことは出来ないけれど、あの光景を思い出す時、私はいつも幸せだ。
そして今も、食卓を毎日共にする人がいる。
そういう幸せや思い出をちゃんとすくいあげて、これからも私の食卓に並べていきたい。