自由と権利は与えられるものじゃなかった|私が選挙に行く理由
朝ドラ「虎に翼」では、日本国憲法の第14条が大きな軸として扱われていたけれど、憲法というものを改めて意識するようになって私が気になる、というか、引っかかったのは第12条だった。
日本国憲法の第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とある。
これまで、大きな勘違いしていたことに平手打ちされるような感覚で気が付いた。
もちろん基本的人権は認識していた。
でもそれはなんとなく、憲法によって「与えられる」「保障される」という性質のものだと、どういうわけか思っていたことに気付く。
もっといえば、何もしなくても生まれながらにして1人1人に与えられた水戸黄門の印籠のような(令和で通じるのか?)、全員が何もしなくても手にしているもの、というか。
まあある意味それは当たっている部分もあるのかもしれないけど、でも、そんな甘いもんでもなかったよな、と。
それは条文の「不断の努力によって」という部分である。
私たちは、いや、ごめん、私は、「何もしなくても保障し与えられるもの」とどこかでこの国に、政府に、法律に、驕っていた部分があった。
違うよな。違うんだわ。
私が、私たちが、国民が、自由と権利を主張し、それを守るために不断の努力を積み重ねることによって、ようやく得られるんだわ。
国民がその努力を怠った時、憲法は一部の権力者の好きなように操作されてしまうんだ。
まさに今そうやって国や政府が動いているように。
国は国民のためになることしかしないと、政府は清廉潔白で使命感に燃える人で溢れていると、どうして思えるんだろう。
そりゃ全員に当てはまるとは言わないし、日本にもいい部分はあるとまだ思える。
それでも、やはりこの国の今の様は、国民が作ったものだ。
いや、それは正直わかっていた。国だけが、政府だけが、政治家だけが悪いんじゃない。
それを国民が認めてきてしまったからだとは自覚していた。
あまりに理不尽な政策にも「変だよね」「おかしいよね」「ひどいよね」とため息をつくだけで済ませてしまっていた。
でも、「不断の努力」という言葉と向き合った時、「ああ、私は本当に権利と自由のために不断の努力なんてしてこなかったなあ」とあっさり降参した。
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だけど、ねえ、それって、どうやるの?学校で教わった?
「自分で考えろ」って言うよね。そうだよ。それは何においても大切なことだと思う。
でも、憲法の意義を、自由の尊さを、権利の大切さを、しっかり学ぶことのないまま大人になってしまった。
憲法のありがたみも、危うさも、意識することなく過ごしてきた。
それは、平和なのかもしれないし、温かい地獄だったのかもしれない。
大人になる過程で誰もが言われるはずの「自分のことは自分でしなさい」というフレーズ。
あれは、仕事とか家事とか身の回りのこととか、そういうのだけじゃなくてさ、「自分の権利は自分で手に入れなさい」ということでもあるよな、と。
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別に憲法を相手にしなくてもいいんだよ。
周りの人からの理不尽、会社のおかしなルール、どうしても納得できない環境etc…
そういう時に、自分が正しいと思う道に行くために、まっとうに戦い、正当な権利を手に入れるための方法を、どれだけの人が知っていて、実践できているんだろう。
相手を傷つけるための戦い方ではなくて、自分を守るための戦い方を、どこで学ぶんだろう。
私が学生の頃の道徳って、「みんな仲良く」「自分が嫌なことは相手にもしない」「みんな一緒」を柱にしたようなものだった。
でも、別にみんな仲良くしなくていいし、自分が嫌なことを相手は何とも思わないことも、その逆もあるし、多様性とか言いながらみんな一緒とかとんだ矛盾だし、なんかいいこと言っているようで、今思えばよくわかんないんだよね。
いや、その教えの中にも大事なことはちゃんとあるんだけど、もっと学ぶべきだったのは、「気が合わない人とのほどよい付き合い方」とか、「自分の好き嫌いだけを軸にしない」とか、「みんな一緒じゃなくてもそれぞれ楽しいならOK」とか、そんなことの方が社会では大切なんじゃないかなあと思うよ。
みんな仲良く一緒にしようとして、足引っ張り合って首絞め合って、傷つけてしまうかもしれないと恐れて意見もできなくて、それで私たちは、自由と権利を手に入れられるんだろうか。
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こういう話をすると、30代になっても、周りから「真面目だね」「そういうこと考えてすごいね」「さすがだね」って言われることがあるけれど、いや、すごいとかさすがとかはあなたの価値観だけど、間違いなくこちらはいたって大真面目だと言いたくなる。
それでも、「不断の努力」という意識はすっかり抜け落ちていた。
不満や文句はあったけど、それを努力という視点から見たことがなかったんだ。
70年以上憲法に定められていたのに。
さて、ほいで努力ってどうすんだ?
どうしたら、私はこの国で自由と権利を守り続けられるんだ?
それ、ちょっと一緒に考えてみませんか?
まずは選挙だよね。
政治や国、法律を、すぐには変えられなくても、自分の意志を示すということは、確実に不断の努力に含まれる。
選挙はずっと行っているけれど、それでも「国民の義務」という感覚が正直ピンときていなかった。
でも、憲法第12条が、私の中にしっくりくる答えとなった。
憲法が自由と権利を保障するためには、保持するための不断の努力が必要で、それを享受するために、国民には選挙という形で参加する義務が生まれるんだ。めちゃくちゃ義務だわ。
やだね。こんなことがまだわからないまま大人をやっているよ。
でも、気付いた時から変わればいいじゃん。
年齢的にはもうしっかり大人だけど、それでもまたこれから勉強して考えて、これまで繋がれてきた不断の努力を次世代に繋げる大人になりたい。