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自分だけが知っている自分の好きな物

いい文章って何だろう。

それは、読みやすさかもしれないし、日本語の正確性かもしれない。
もちろん内容が面白いということもあるかもしれない。

いい文章。確かにあるかもしれない。

なんて、かもしれない、ばっかで濁してんじゃないよって話だよね。
ごめんなさい。ある、あります、私にも「いい文章だなあ」と思うこと。

でも、その一方で誰かにとっては「何にも引っかからない文章」であることも珍しくない。

実際、ロングセラーというのが憚られるほど世界的に有名な名作を読んでも、「なんでこれこんなに有名なんだ…?」「ちっとも良さがわからなかったな」と思ったことは一度や二度じゃない。

それは、近年で言うとさまざまな賞をとった作品においても言える。

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「いい文章だなあ」というのは「私好みの文章だなあ」というのと限りなく似ていて、ギリギリで違う。
いや、線引きされているというよりは、にじむように重なっているという感じかな。

文章として、言語化能力や表現力において、論理的に説明できる範囲もたくさんあると思う。

ただ、小学生の日記のように、単調だったり、微妙にズレた日本語の使い方をしたりしていても、顔がほころんでしまうようないい文章はある。

だから、ベストセラーが「いい本」とは限らないし、受賞していない本が「至らない本」というわけではない。
(もちろん賞や評価を軽視しているのではない。)

そしてそれは、広く言ってしまえば楽曲や映像作品、つまりアート全般に当てはまる。
もっと思い切って広く言ってしまえば、仕事でも、恋愛でも、人生とは、自分の好みに結構左右される。

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試しに「いい」と思う基準を噛み砕いていったら、次第に鮮明さが失われていって、しまいには「何で私はこれをいいと思ったんだっけ…?」と迷子になってしまった。

「ああ、いいなあ」と身体のどこかにぼうっと湧き上がる温かい喜びみたいなものは確かにあったのに、それをみんなに証明しろと言われると難しくて、私の思い込み、幻覚だったのかと疑い始める。

そもそも証明する必要なんてないのにね。

でも、ちゃんと証明できるとしたら、それは本当に強いよね。

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「おすすめの作品ある?」と聞かれると、どうしようかと考えられるけど、「面白い作品ある?」というとどうもうまく頭が回らなくなる。

というか、人様の面白いに責任なんてもてない。あなたがどう感じるかなんて知らない。わからない。

仮に紹介したとして、正直に「あんまり面白くなかった」と言われても、社交辞令的に「とても良かった!」と言われても、いずれにせよ微妙な気持ちになっていまう。

「面白い」と「好き」は、自分で探してくれ。

そんで、見つけたら大事にして、嫌いなものは忘れてくれ。
そして他人が、それと同じように大事にしているものにまで、口を出さなくても大丈夫。
それぞれが、それぞれの「好き」を大事にしていよう。

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そして、案外真剣に自分の好きを考えてみると、難しかったりする。

「話題だから」「売れているらしいから」「みんな言っているから」で、選んでない?

それが悪いわけじゃなくて、それも大事なことだけど、それとは別の自分の中だけの好きも、ちゃんと見つけて大事にしたい。

自分の好きなものが、自分だけはちゃんとわかってあげていたい。

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