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実家にあるけど、よく分からないモノ
( いつも睡眠の話しかしてないなぁ )
眠気というのは、唐突にやってくるものなのか慢性的にあるものなにかと考えると、定期的にやってくるものだとという当たり前な気づきで。アウトデラックスに出てきていたビッケブランカさんの3時間寝て、6時間起きるサイクルってのは、いいなぁと思ったのでした。もちろん疲れきった時には爆睡するのですが、じゃー毎日それほどに疲れきる生活を送ることが幸せなのか?と思うと、うーん、寝たい時に寝て、起きていた時には起きるってのは、食べたい時に食べる幸せと同じくらい自然で大切なことなんだと。最近、いつもそんなことばっかり考えてます。
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さて、、、実家には、何故、何時、何処で、どんな経緯でやってきたのか分からないけど、物心ついた時からある置物ってありませんか?・・・なんで?なに?なにやつ?って感じなんだけど、もう家族の一員みたいな顔して「えっ?っていうか、逆にあなたが誰ですか?」と聞き返されてしまいそうなくらいの年季。
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横を向いたって、素晴らしい年季で、
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寝転がっていても、太刀打ちができない素晴らしい年季。寝たいのに、寝れなくてジタバタしながら朝を迎える自分と違って、風格漂うゴロ寝。
ホテルに泊まる時に、どうしても寝れない場合があるんですが、それは変に光が差し込んでしまっていたり、ドアの隙間だったり、枕の高さ、部屋の雰囲気とか、布団の薄さとか、明日のプレッシャーとか。でも、こういうものがそばにあると、なんか安眠できる気もしてきます(?) 見慣れた何かがあったり、いつも使っているものがあったりすると、やっぱり安心しますよね。かといって、日本人形なんかがいたら、それはそれでドキッとしすぎて寝れませんが ( 私の場合は、家には日本人形は置いてなかったので)。置物っていうのに、なにか"物"じゃない感じがするのは私だけでしょうか。
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ランドリー・・・
どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。
[ ものがたり ] 盆暮れ正月となれば、何かをするためというわけでもなく、とりあえず帰ろうとする。でも「 帰ってきた 」と、心から深くそう感じられる場所へ、ふと帰りたいと思って振り返った時には、いつの間にか、もうその場所はどこにも無いと気づくこともある。そんな時に、何気なく撮っていた一枚の写真がその役割を果たす時があるように、家のどこかでなにか見覚えのあるような道具たちも、心の帰れる場所があるのでは?と思ったのでした。みなさんにとっての「ただいま」を、感じてもらえる体験となれたらと思います。