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ヒロシマ 平和を憶う

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過去にTwitterで書いた掲載したヒロシマの原爆の詩集 現在のものも入っております また解説文を含んでおります
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#平和を憶う 広島市紹介 2024年

 去年以上に夏の陽射しが溶けるよりも痛いと思うようになった広島。 平和公園を行きかう観光客の声が多種多様の言語が行き交うことが増えて、平和を憶う輪が広がっていくように思える。けれど世界の争いはendの文字はまだ見ることはできないようだ。  例年通り僕の平和への思いを伝えようとしていましたがなかなか伝えられないことが心苦しく思っているこの頃、79年の年月はとてもおもく多くの人の力がなければあの日の声を止めてしまいそうで胸が痛みます。伝承者の思いの火もその光景を見た人から子や孫

ヒロシマ原爆の詩

あの時ゲームの手を止めて 聞いておけばよかった 僕はあの日のことを話そうとしていた 勇気を踏み躙ったのだと 歳を重ねていくほどに痛感する 1945年8月6日 遠くから来た強い風圧と 赤黒く漂った異臭混じりの火事に 異様なほど臭うの黒い雨 それを語ろうとした被爆者の肉声を 聞き逃したんだ 紙に残された遺品の紙の束を おらんようになった後に 読み返して後悔して 僕はその話を知らないながら 伝えようと思っている それが僕にできる 平和の願いだ

The world sways like the surface of the water. One sorrow, one bomb.

1945年8月6日 午前8時15分 決して忘れない、 忘れてはならない

ヒロシマ原爆の詩 2019.8.6

飛行機の音がする 青い空から あの日を思って肩が揺れる 警報もならなかった空に エノラ・ゲイ号が 空を舞う 空を見上げた時には 目の前は 白い光に覆われるから 飛行機のいる空を恐れる あの日に連れ去られた 友人を思って エノラ・ゲイ号:広島に原爆を投下した飛行機

ヒロシマ原爆の詩 2019.8.6

1945年8月3日は 雨が降っていた 夏の空に 雨が降っていた 1945年8月6日は あつかった そして赤黒い空に 黒い雨が降った 2019年8月6日 雨が降る 水を求めた声に 答えるように 祷りの雨がふる 頬に伝う 水と共に

#平和を憶う 広島市紹介 2023年

 セミの音がけたたましくなる中今年も広島に平和の鐘が鳴る。 78年目のヒロシマ原爆の日はG7やコロナ規制緩和もありひと足は平和の方へ向かって多くなっているが、テロや犯罪に怯えて手荷物や金属検査が各会場入り口で行われている。不安な思いがない平和式典ができたらと僕は心の底で願いながら今年もテレビの前で手を合わせる。  昨年に続き、世界に広がるネットの川から平和を願うオンライン灯篭流しをしているそうなので広島県以外の方日本以外の方平和への願いや平和を願った彼らへのメッセージを流し

ヒロシマ原爆の詩 2019.8.6

ケイホウガトマッタ ソトカラハ セミノコエ ワタシハ ナキツカレタ オトウトヲアヤス アライモノヲシテイタ アッ マタヒコウキ わたしとおとうとは ひかりにきえた

ヒロシマ原爆の詩

大切なひとを一瞬にして失った 病や災害ではない 人と人との争いの果てに生まれた 1つの原子爆弾で 御国のためにと 父は戦場を駆けて消えていった 母は妹を守ろうと抱きしめて 爛れた人だったものになった 母に守られたはずの妹は 母乳を求めで抱えて歩いたけれど 気づけば私の背から母の元へ行ってしまった 残された私は 刺さったガラスの痛みをこらえて 妹を助けようと必死だったのに もういないことに絶望して避難所で一人 動けないでいた あれから78年 新しい大切な人に囲まれて

ヒロシマ原爆の詩 2019.8.6

アオギリの葉は 今年も葉をつける 1945年8月6日 彼らと共に 苦しんだ4本のアオギリは あの日3本になり 平和公園へ来て2本になり 進んでいく広島を見てきた あの人と共に 話を伝えてきた 希望になった アオギリは 今年も静かに揺れる アオギリ:平和資料館前にある被爆樹木

ヒロシマ原爆の詩 2019.8.6

風が強く吹く 嵐が来るそうだ 8月6分8時15分 風は 私たちを 記憶におくりとどけ 祷りを つむく

It resonates with prayers for peace.

Now the rain of purification envelops my thoughts.

Think, while listening to the prayer of peace.