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#平和を憶う 広島市紹介 2024年

 去年以上に夏の陽射しが溶けるよりも痛いと思うようになった広島。
平和公園を行きかう観光客の声が多種多様の言語が行き交うことが増えて、平和を憶う輪が広がっていくように思える。けれど世界の争いはendの文字はまだ見ることはできないようだ。

 例年通り僕の平和への思いを伝えようとしていましたがなかなか伝えられないことが心苦しく思っているこの頃、79年の年月はとてもおもく多くの人の力がなければあの日の声を止めてしまいそうで胸が痛みます。伝承者の思いの火もその光景を見た人から子や孫,惹かれた人へ渡り現代の力を使いホログラムによる映像,写真よりさらに人の思いの熱を浸透させた伝承の形が生み出されていくのでしょう、僕はその資料を基にシャッターを切って言葉を紡ぎ一つの伝承のかけらになって広島だけではなく日本から世界に伝わり憶い願っていきたいと思います。

 今年も3年続いて広島のSNS「日刊わしら」の方で 平和を憶う という題名で被爆建物や展示されているものの紹介をしていました。こちらでも紹介させていただきます。ちなみに「憶う|《おもう》」という文字は思いやる、心にとどめて忘れない、思い出すと言った意味合いがあるそうです。


本川公衆便所

本川沿いにある唯一便所の被爆建物

建築年などは不明だが爆心地から480m猛烈な爆風と熱線に耐え、
被爆当時は被災した子供たちが手洗い場を求めて水を飲んで亡くなった原爆の絵が残っている場所
1965年に市所有の記録はあったものの被爆建物とは認識されておらず
2015年に米軍の映像記録に似た建物があったことから登録されました。
現在も使用はできますが中は歴史を感じる造りになっていますので気を付けて大切にご使用ください。
余談ではありますが八丁堀交差点近くにあるは公衆トイレは1954年に作られたものでこちらにあるのが本当の被爆便所。


おりづるタワー

原爆ドーム傍にある
過去現在未来をつなぐ広島中心にあるタワー

2016年にでき広島物産館や平和公園や市内を一望できる
展望デッキだけではなく祈りを込めたおりづるを投下する壁が有名だが
被爆前被爆直後の絵とガラス張りになった平和公園の景色を
見比べることができる場所が展望デッキの下にあり平和を憶うことができる

オンライン灯篭流し

 2015年から続くオンライン灯篭流しは今年もネットの川を流れる。
多くの資料館ではVRやARを使ったものが多くなっている中で今年全国版のニュースで渋谷スクランブル交差点でスマホをかざすときのこ雲が空にあがっていくAR映像は今生きている世界と共に見ることで恐ろしいと感じていく。
 今年もオンラインで灯篭を流し、ネットから人につながることを願って。


最後に

 今年も平和公園周辺では原爆の苦しみについてのイベントや世界で起きている争いについて考える会が行われ、多くの人が思いを声高らかに訴えていることでしょう。テレビから見つめる式典と共に黙祷をし、来年こそは手を合わせている。
 平和とは風のない川のように美しく世界を映している、今は悲しい思いの石で波紋を作り続けているのだろう。あとどれくらいしたらその景色を見れるのだろうを手を合わせる。
 できることなら来年には80という節目になる年には世界に苦しみのエンドロールが差し掛かっていることを願って。


それではまた80年の8月6日8時15分に。

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