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#平和を憶う 広島市紹介 2023年

 セミの音がけたたましくなる中今年も広島に平和の鐘が鳴る。
78年目のヒロシマ原爆の日はG7やコロナ規制緩和もありひと足は平和の方へ向かって多くなっているが、テロや犯罪に怯えて手荷物や金属検査が各会場入り口で行われている。不安な思いがない平和式典ができたらと僕は心の底で願いながら今年もテレビの前で手を合わせる。

 昨年に続き、世界に広がるネットの川から平和を願うオンライン灯篭流しをしているそうなので広島県以外の方日本以外の方平和への願いや平和を願った彼らへのメッセージを流しに来てください。

このオンライン灯篭は原爆ドームへ向かう信号にあるおりづるタワーや中心部にある広島市の電子広告板にてゆっくり流れています。またサイトでは投下されたあの日から今までをおりづるタワー側から見た映像も流れるので復興していく広島を見てこんなことがあったとみるだけでも見てください。

 僕自身も今年も去年一昨年に広島のSNS「日刊わしら」の方で 平和を憶う という題名で被爆建物や展示されているものの紹介をしていました。こちらでも紹介させていただきます。ちなみに「憶う|《おもう》」という文字は思いやる、心にとどめて忘れない、思い出すと言った意味合いがあるそうです。


広島市役所旧庁舎資料館展示室


市役所の前にある鳩の彫刻から地下に降りていく平和を伝える資料館

昭和3年に斥候した旧市庁舎は全国諸都市の中でも唯一と言われた近代的な庁舎はあの日爆心地から1㎞だったため数室を残して全焼し、被災時には市役所配給化の倉庫として被災者救護活動を行う重要な役割を果たしていた。現在は被爆をした石材や爆風で市職員の体内に刺さったガラス片など物言わぬ伝承者が飾られています。他にも復興に向かうため努力する人々の生活が撮られた写真や広島平和記念都市建設法の歩み,ヒロシマの悲願を訴える被爆石当時のソビエト連邦にあるウクライナから見て左に約400㎞のロシアのボルゴグラート市を始め、各国に今も静かに伝えていることが書かれたパネルが飾られている。


広島市現代美術館

今年リニューアルした美術館で被爆立て元と関係がないように思えますが条文で紹介した旧広島市庁舎に置かれていた庭石を床石に使われたり現代アートからヒロシマを伝える美術館

被爆地から2㎞離れた旧市庁舎に置かれていた熱線と被爆した人々の声をその身で受け止め静かに見守ってきた庭石を昭和60年の改装時に保管し、現在は長い階段を上がった先の美術館の入り口などの床石として再利用されている。それ以外にも貯蔵作品の中にはヒロシマを描いた作品が95展ほどあり、展示されあの日の風景を描いた作品から平和を思う若い人の作品まで争いの苦しみから平和の尊さをアートから感じ取ることができる。


最後に

 ある平和祈念式典の放送で世界の指導者が訪れることに対し「パフォーマンスになるか現実になるか」と言う言葉に僕は目が見開いた、きっかけづくりのパフォーマンスでも平和に一歩でも近づくならと思いながら世界を見て心に影が現れる。今回紹介した広島市役所旧庁舎資料館展示室に飾られている石材はヒロシマの悲しみを伝えるために、核の恐ろしさを伝えるために世界で今も物言わぬ伝承者としてそこにいるのだろう。ウクライナとロシアの間にあるスターリングラードと呼ばれた地で。また戦争の音に涙しながら。
 今の僕に何ができるかと言えば平和記念式典で子ども平和宣言で聞いたような人と人の小さな支え合いがやっとかもしれない、言葉を紡いで僕の知るヒロシマの惨状と復興して平和を伝える場になった広島の顔を写真も使って届けることしかできないかもしれない。それでも伝えていこうと思います。

来年は79年目になる原爆の日、その目で見た伝承者はもう数少ない。デジタルデータで残していく、僕らが記録を取っていく、被爆4世の子が今回平和宣言をした。伝えていくために知っていく、残していくためには言葉にする勇気もある。僕の今、詩や言葉にしているのはそんな勇気のかけらです、どうかこのかけらを平和の意味を考え始めた人に大きく形作ってください。


それではまた79年の8月6日8時15分に。

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