普化禅宗の「開祖」、普化禅師は、一体どんな人なのか?!
普化禅師のことは『臨済録』『祖堂集』『景徳伝灯録』等に書かれている。
『臨済録』は、中国唐代の禅僧で臨済宗開祖の臨済義玄の言行をまとめた語録。詳しくは『鎮州臨済慧照禅師語録』。
『景徳傳燈録』は、中国・北宋代に道原によって編纂された、禅宗を代表する燈史。
以下、『景徳傳燈録』より臨済と普化のやりとりを読んでいきます。
【真面目(しんめんぼく)】本来の姿・ありさま。転じて、真価。
「それがしには描けます」と言って描いた絵が全く予想だにもしないものだった❗というオチではないところが普化禅師。「そんなことしてもムダ、不可能」ということを普化禅師はとんぼ返りで表現したのでしょうか。
以下『臨済録』より
【潙山】、【仰山】とも唐代の禅僧。
【宗旨】その宗教・宗門の教えの中心になっているところ
【克符】克符禅師、臨済下第二世。生卒年未詳。
克符禅師もなかなかの人だったようです。しかし、棒で打って追い出すとはこちらもなかなか手荒な臨済禅師です。
臨済禅師に荒っぽすぎといわれる普化禅師もなかなかです。
質問には答えないのが禅のやり方ならば今の与党政治家はこれを手本にしているのか⁉
「悪党が!」と言われると「悪党だ!悪党だ!」と立ち去るのは普化禅師の毎度のパターンのようです。
最後に有名な普化の棺桶の話です。
『祖堂集』(952年)では、臨終の際は墓のトンネルをレンガで塞いで亡くなったとのこと。『祖堂集』が普化に関しては最も古い記述かもしれないそうです。(柳田聖山「禅思想」参照・神田可遊著「虚無僧と尺八筆記」より)
「墓に入る」をまさに自ら実現した、誰にも迷惑をかけない死に方。『臨済宗』の普化禅師の終わり方は、ちょっとファンタジーじみていますが、何だかカッコいい終わり方になっています。尺八研究家の神田氏も指摘されていますが『祖堂集』も正確な記録ではないにしても明らかに『臨済録』は脚色されているようの思えるとのことです。
さて、
普化禅師のことが書かれたものは、今のところこれで以上です。
『臨済録』等にわざわざ普化禅師を登場させて、臨済をしてやっつけるような言動を書き残すということは、よほど重要な存在なんだと思います。ただの変わり者ではなさそうです。
臨済宗国泰寺派 吉祥寺 副住職の山田 真隆氏のサイトに、普化禅師のことが登場しておりましたのでご紹介。
https://zenzine.jp/learn/mastersofzen/2912/
ふむふむ、普化禅師のあの行動は、中国的思想と歴史的な背景も考えられるんですね。
何にもとらわれない普化禅師。この世間を超越したかのような奔放ぶりには現代を生きる私にも一種の憧れを感じますが、中世当時の日本にも同じような思いの人々が存在し、こうして普化宗生まれたんですね。
最後におまけですが、
「普化」と聞き慣れない名前。
実は漢字ひとつひとつの意味を調べてみると、結構すごい名前なのです!
やっぱり、普化禅師、名前からしてすごい人なんですね…。
普化禅師が唱えた『四打の偈』についてはこちら!↓