ときどきどきどき大人を味見
最近あわてて読んだ二冊の本、「道行きや/伊藤比呂美」「マチネの終わりに/平野啓一郎」、どちらもすばらしかったのですが、なんとなく大人の視界を、サングラスを借りてみるみたいに、うかがい知ったように思った。
私は「放課後のキイノート/山田詠美」も大好きで、そのあとがきが格別に好きです。この世には「よい大人」と「わるい大人」がいるということから始まります。
18まではだいたい、往々にしてあまり差がない私たち。そこから先の人生は多岐にわたりすぎる私たち。なんとなく私が子どもの頃に思い描く大人はたぶんきっと、「いい大人」
先に挙げた二冊も、というか作者の方々かもしれないが、「いい大人」だと思う。筆致に一生懸命な月日の厚みを感じ(偉そうでごめんなさい)、感動した。そして、
ああこんな風な大人がいるのか、私の先に。
と思い、なんとなく肩の力が抜けた。なぜか私は肩がこわばっていたのだとその時初めて気がついた。
大人という言葉のイメージに、私はその頭にかなり多く、≪自己≫がついてまわる。自己責任、自己破産、自己決定、自己都合。未成年というと庇護というか、未熟というか、窮屈というか。だからもちろん大人になるのは自由を叫べると思うけれど、やっぱり背にうすら寒いものをあてられた気持ちがぬぐえなかった。それは闇夜を手探りで歩くことにも似ている。
でも、大人だから間違えないわけでもなく、誰かを頼ってだめなわけでもないのだ。
むしろ、大人だからこそ、失敗を恐れつつも試行錯誤したり、誰かに助けてと言ったり、我を忘れて真剣になったり、時にはムキになったり、非を認めて謝ったり、そういうことが大事だと思う。木がゆっくり伸びていくように、私たちも成長していっていいのだと思う。持つ武器もちゃくちゃくと進化するべき。
今自分の手元は暗くても、目の先、あそこに明かりがあると、教えてくれる本でした。元気になりました。新社会人のみなさん応援しています、ようこそ!