見たかった映画を見ました。 短評∶ボロ泣きしました。クライムとロマンスに分類されていて、その分類は天才的だと思った。 登場人物∶ ○シャオベイ(イー・ヤンチェンシー)メチャメチャかっこいい。アイドルらしい。 ○チェン・ニェン(周冬雨/チョウ・ドンユイ)この人に泣かされ続けた。国民の妹らしい。 中国映画は多分初めて見て、(ずいぶん昔に放映されていた暗い映画、女子の友情か三角関係かの作品がずっと忘れられず、好きな男の名前を執拗に書くシーンがあった、それと雰囲気は似ていた)
狙ったような言葉とか素振りじゃなくて、ほんとうに何の気負いもなく言った一言に急所を一突きされることが稀にある。それがいわゆる好みの典型から外れていればいるだけ、沼に落ちるように恋心を自覚する。 そもそも万国共通の急所なんてなくて、急所は当人でさえも知らないような、へんな所にあったりする。だから余計に不意打ちで、恋は唐突なんだと思う。 私も誰かの急所をえぐってみたいわ、と思うけれど、そういうことを、企んでいれば企んでいるだけ、下心みたいになって、誰の琴線もかき乱すことができ
美容院に行ってきました。 いつもはヘッドスパ…なところを、うっかりトリートメントで予約して、当日美容師さんと話をして、やっぱりトリートメントにトライすることにしました。 美容師さんは丁寧にトリートメントしてくださいました。ミストのようなものを浴びた。 寝転んで温かいシャワーの中で、不意に、髪は一か月で一センチ伸びるという話が頭をよぎった。肩のあたりは三年前に生まれてきた髪。私と、3年間の苦楽を共にしているのだった、気づいていなかったけど。 三年前といえばコロナウイルスが席
昔の話だ。 その男は、ある女に恋焦がれていた。たいそう高貴な女であった。身分違いの恋だった。叶うはずがない相手で、どう手を尽くしても、結ばれようのない恋だった。 女は、自分のことをただならぬほど真剣な眼差しで刺す男のことを知っていた。彼が自分のことを特別に想っているだろうことも承知していた。分からないと言えば後ろ指をさされるように明白だったから。 男は健やかで労働に馴れた体をしていて、それが女には物珍しかった。伸びやかで矯めることを知らぬ手足は、女の感性をくすぐった。命そ
昔の話だ。 その男は、ある女に恋焦がれていた。たいそう高貴な女であった。身分違いの恋だった。叶うはずがない相手で、どう手を尽くしても、結ばれようのない恋だった。 にもかかわらず、それは重々承知していたはずだったのだが、長年身を焦がし続けた。そして、思い詰めてとうとうある朔の夜、その闇夜に紛れて忍び込み、女を盗み出してしまった。(恋に焦がされた若者は、今も昔も、むこうみず!) (男は夜目が利く。命を縣けた一世一代の覚悟はしかし拍子抜けするほど簡単に、意中の女は男の腕の中に
メチャメチャ面白いので観てください!ぜひ! ポイント①わかりやすい 物語自体に難しさはありません。少しの疑問も作品の中で解決します。王道を轟音立てて進む感じです。 ポイント②異国情緒 なんだかアメリカイギリス映画に飽きちゃったな〜って思うことありませんか?お決まりの台詞と展開…ではなく(あるかもしれないが)、舞台になっているビル街、街、人間関係、食べ物、ファッション。この作品を見るまで、それらに飽きているとは無自覚でしたが、この映画の情景に本当に惹き込まれました。鮮烈。展
貧乏は嫌。貧乏は嫌。貧乏は嫌。貧乏は嫌。 NHK「雪国」を見て、奈緒がそう連ねていたことが強烈に残っています。その感想を書く。 私は岸辺露伴のドラマのファンでもあるので、芝居がかった感じにもすんなり馴染みました。原作の「雪国」の映像化かと思っていたので全然ちがうことには驚きました。はじめの方の、奈緒と高橋一生が目を交わしてなんともなく話している場面に、奇妙な緊張を感じてその危うさに息が止まるかと思った。恋愛ドラマとか、洋画の派手さとは無縁なのに、はるかに色っぽいと思った。そ
一体何事だという感じのタイトルですが、そのままです。 チェンソーマンはすっごく話題になっていたにも関わらず、最近読みました(漫画)、そのときに度肝を抜かれました。作者(藤本タツキさん)の狂気というか、いやこれを才能と呼ぶのか。なんとなくはじめて「ムンクの叫び」を見たときのような衝撃がありました。鬼気迫っている。とくに突然始まる乱闘シーンの見開きや、容赦なく展開していく物語に、涙どころではなく、どちらかというと振り落とされないことの方に必死になる。中毒性があります。いちばん好
偏見と偏愛のリストです。誰かのためになるとうれしい。 ◎優等生の凋落といったら…綿矢りささん。 他者と自分の間で腫れ上がった自我を持て余して、その後に崩壊します。インスタグラムなみにリアル。 「夢を与える」「かわいそうだね?」「ひらいて」 ◎毒毒しいドピンクのドーナツが食べたい時…桜庭一樹さん。 ウワァッドキドキ!みたいな洋画ホラーのどぎつさを味わいたくなるときありませんか。そういうときにおすすめ。 「私の男」「青年のための読者クラブ」 ◎ひんやりと奥底にある冷たい毒を
朝井リョウさんは時折読む作家で、一番記憶に新しいのは「正欲」です。「死にがいを求めて生きているの」は少し前に読みました。(螺旋プロジェクトで手にとった。) この作品のポイントは、螺旋プロジェクトという異色の企画もさることながら、「生きがい」ではなく「死にがい」という強烈にざらつく、しかしどこか納得がいくタイトルだと思います。 それは生きることはすなわち死にゆくことでもあるからです。そして、生きがいが日々を切り抜けていく手段である印象が強い反面、死にがいとなると「命をかける
失恋はいつだって唐突で、まるでドン!と穴に突き落とされたかのように私の身体を襲う。それは好きな人に恋人がいたとか、そんなわかりやすい話ではなくて、例えば恋人のあなたとの間にあったもののはずなのに、と呆然とすることもある。(体感としては五分五分) あなたと私の間にあったはずの恋を失ったと気がつくときはいつでも夢から醒めるようだと思う。 それは、先週あなたがやっていて愛おしいと思ったことが、全く同じなのにちっとも愛おしくないといったこととして私を襲う。たあいないことで、例えば
アルジャーノンに花束を、名前も表紙も知っていたのですが、映画もドラマも見ずにいて、おととい読み終わりました。まえがきに、先生はたくさんのファンレターをもらい、共感してくれる人がこんなにいるなんてと感涙したそうで、だから私もお手紙を書こうと思います。一読者のささやかなつたない感想でも、きっと先生は真摯にみてくださると思うので。 私がいちばん心に残っているのは、実は結末ではなく、「ぼくはアルジャーノンと友だちになりたい」と記録するところで、その次はパン屋から追い出されるところで
最近あわてて読んだ二冊の本、「道行きや/伊藤比呂美」「マチネの終わりに/平野啓一郎」、どちらもすばらしかったのですが、なんとなく大人の視界を、サングラスを借りてみるみたいに、うかがい知ったように思った。 私は「放課後のキイノート/山田詠美」も大好きで、そのあとがきが格別に好きです。この世には「よい大人」と「わるい大人」がいるということから始まります。 18まではだいたい、往々にしてあまり差がない私たち。そこから先の人生は多岐にわたりすぎる私たち。なんとなく私が子どもの頃に
市立図書館を愛用している。 図書館に呼ばれる、というとスピリチュアルな感じがするが、ふとしたときに頭をよぎってお出かけしたくなる図書館は、いつも決まってひとつだ。図書館に行こう→どこにしようかな?というときもあるし、なんかどこかに行きたい気がする→〇〇図書館だ!というときもある。 以前はΑ図書館だったのだが、気がついたらΒ図書館になっていた。その図書館は街で一番大きいわけではないが、新刊コーナーをはじめとして、アタリの本(適当に引き抜いたり目につく作家が、今の自分にぴった
意外と履歴書に収まっている自分にふと気づいてしまったので。 履歴書を埋めている時には、「あれっこれで私が表現できるのか?」と戸惑っていた。文章にしたら、いや自分が全然大したことないのは分かっていたけれど、それにしてもつまらない。特に興味をひく項目がない。たしかに人柄とか性格で仕事をするわけではないし、職場にお友だちを求めに行くわけでもないんですけれど。ああー、これは埋もれて見られなくて落ちるのわかるな。突っ伏した、かつての私。でも同時に、所詮こんな数値化されてるだけのもの、
マンガにドはまりしています。アニメになったと知らなくて、もっと早く知りたかった。 沼の名前は「ブルーピリオド」。夜半まで遊んでいても成績優秀、ガラのわるい友人がいることを母親にも伝えていない矢口少年。勉強も友人関係もそつなくこなす優等生。でも彼の心はどこか虚ろに魂が抜けたみたいに(ツマンナイ……。) それなりにうまくやることの一体何が悪いんだ?と聞こえてきそうだ。彼はそれなりどころかすばらしく上手くやってる。 その虚しさの正体は、彼が彼自身を一度も表現していなかったから