多様性ってなんじゃろな
「多様性って言いながら一つの方向に俺らを導こうとするなよ。自分は偏った考え方の人とは違っていろんな立場の人をバランスよく理解してますよみたいな顔してるけど、お前はあくまで”色々理解してます”に偏った1人の人間なんだよ。目に見えるゴミを捨てて綺麗な花飾ってわーい時代のアップデートだって喜んでいる極端な1人なんだよ」
自分に見える世界が、考え方、価値観が正しいのか。そんなことをぐるぐる考えた作品だった。臭いこと言うな、と、書きながら思っています。
私の想像の範疇を超えた世界はいくらでも存在していて、たまたま私はマジョリティに属していて、たまたま私は”正しい”とされる道を歩んできた。その外側を想像もせずに。
明日に希望を見出したはずの彼らは、もう二度と前を向くことはないのだろう。
ずっと読もうと思って読めていなかった朝井リョウ先生の正欲を読んだので、思ったことを書き連ねたいと思いました。超有名作品なので今更感しかないが、考えたことを忘れたくないので。感想文的なやつですね。
私は、食わず嫌いはしたくないと思っているんです。
食べ物でも人でも価値観でも文化でも。何かを怖がるのはそれが理解できないからであって、嫌うのはそれを理解してからでも遅くはないと思うんです。
そんな考えを持っていただけに最初の諸橋くんのセリフは刺さりましたねえ。
彼らと私との間には前提というか、根幹を成すものが全く違うのだと。上記のような綺麗事を言っている私は果たして彼らの正欲を理解できるのだろうか。知ってからどう思うのか、考えると少し怖い。
自分語りになるが、私の高校の同級生にバイセクシャルの友人がいた。それなりに仲良くしてもらっていた。
卒業後、人伝に彼が私を好いていたことを聞かされた。衝撃でしたね。
ただ、私は友人として接していて、彼は”好きな人”として接していた訳だ。想像の話になるが、私の友人に投げかけた言動が彼を傷つけたことは幾度となくあったのではないか?
私が好きな人から受ける脈なしサインのように落ち込むことがあったのではないか?
何気ない一言で相手を傷つけていた可能性に私はこの本を読んで気が付いた。
前提が違うから私には理解できなくて。彼の世界でそれは彼を傷つけていたのかもしれない。そのように考えると簡単に”多様性”という言葉を用いて善人面することに気持ち悪さを感じる。
私のセクシャリティは他人に説明する必要がない。理解を得る必要がない。なぜならそれがみんなの当たり前だから。これが正しい欲求だから。
でも本に出てくる彼らには彼らの正しい欲求がある。
それぞれがそれぞれ正欲なんだよね。
それを想像もせずに、頭ごなしに否定するような人間にはなりたくない。
想像して、さまざまな角度から考えて、相手を思いやれる想像力に溢れた人間になりたい。
多様性やダイバーシティという言葉の蔓延る現代で、これらの言葉を用いる責任を考えされられた作品だった。
すごく価値観をくすぐられた。
なんだろうな〜
文章って難しい、表現がうまくできないもどかしさ。
これもまた私にとって新しい経験です。今後読書をする際には印象に残った言葉やセリフをメモしつつ、読み終わった直後に感想のメモを取ることとします。
読みやすい文章を目指して。
本当に脈絡もなく私の考えを書いただけですが読んでくださってありがとうございました。