忘れられた思想家|畑中章宏さんが選ぶ「絶版本」
だれしもが若かりし日の読者体験のなかにおいて、読む、読まないにかかわらず持っておかないといけない本がある。つまり、その本を買って、本棚に並べておくことが、自分が関心を持つ領域に参加している証だとみなされるからだ。そうした本のなかには、そんな当時の“雰囲気”が忘れ去られてしまい、何年か経つとまさに「絶版本」の栄誉(?)を受けるものがある。
1962年生まれの私は、高校生から大学生の頃、つまり1970年代の終わりから80年代にかけて、広い意味での「思想」にかぶれて、さまざまな本を買い漁った。その頃、「思想」に関心あることをその本の所持をもって示すための本、言い換えると「資格」みたいな本として、丸山静の『はじまりの意識』があった。当時でも今でも、「思想」における“丸山”と言うと、多くの人が政治学・政治思想史の丸山眞男を思い浮かべる。私の本棚にも、岩波新書の『日本の思想』(1961年)はもちろん、「超国家主義の論理と心理」を収めた『増補版 現代政治の思想と行動』(1975年)や『日本政治思想史研究』(1952年/新装版1983年)があった。しかし、丸山眞男の本を所持していることで、何かの「資格」を与えられたわけではない。「思想」に強く、深い関心を持っているなら、もうひとりの“丸山”、丸山静の『はじまりの意識』(1971年)を買わなければならなかったのだ。そして、私は大阪梅田の紀伊國屋かいまはなき旭屋かどちらかで、2500円を出し、函入りでピンク色(桃色?)の細長い帯の中にタイトルを記した、いかにもかっこいい平野甲賀装丁の『はじまりの意識』を手に入れたのである。
*
ところで、当時、丸山静の本を持っているべきだという“雰囲気”はだれが作り出したのであろう。丸山静が「思想」の世界で多くの人に知られるようになるのは、自身の著作によってではなくジュリア・クリステヴァの『中国の女たち』(1981年。原田邦夫、山根重男との共訳)の翻訳者としてであったのではないかと思う。そうすると、クリステヴァに言及し、そのポスト構造主義的なテキスト論を新しい思想として賞賛していた人々だったに違いない。その頃は、いわゆる「ポストモダン」や「ニュー・アカ」が花盛りの時代で、たぶん中沢新一が『中国の女たち』を取り上げ、この本を翻訳した丸山静という、当時でも“知る人ぞ知る”だった思想家の仕事を紹介したのだと思う。もうひとつこの本の版元が「せりか書房」だったことも購入意欲をかきたてたような気がする。この出版社は『中国の女たち』の2年後に、中沢新一の『チベットのモーツァルト』を出していた。大きな出版社や人文書でよく知られた出版社にない“オルタナティブ”なイメージを抱いたのである。
少し話がそれるかもしれないが、その時代の思想界には、ソシュールの言語理論を捉え直すことでポスト構造主義を先導した、丸山圭三郎という“丸山”もいた。
*
しかし、書店で手にした『はじまりの意識』の目次を見てみると、この分厚い本のなかに、いったいどんな「思想」が盛り込まれているのかが、すぐ理解にはできなかった。
『はじまりの意識』は4つの章から構成されていて、Ⅰには「言語についての考察」、「言語と文学」というように、「言語」に関する論考が収められている。Ⅱには宮本百合子、加藤唐九郎、風巻景次郎、ブレヒト、吉本隆明、ロラン・バルト、メルロ=ポンティ、瀧口修造、(北村)透谷、G.スタイナー、大江健三郎といった名前をタイトルやサブタイトルに付けた論考、エッセイが並ぶ。Ⅲには「文学の革命とプロレタリア文学」、「小林秀雄をめぐって――民族と文学」、「中野重治おぼえ書」などとあるので日本の近代文学史についての章なのだろう。本じたいのタイトルとなった「はじまりの意識」はこの章の最後に入っている。Ⅳは「現象学的還元について」、「人間科学を求めて」、「批評論の試み」の3編である。Ⅱに並んでいる人々、作家、評論家、哲学者、国文学者、劇作家・演出家、陶芸家の名前をみても、ここに統一した何かの「思想」があるのか、目次だけでは検討がつかない。そこで彼の経歴をみてみることにする。
「1971年8月10日発行」という奥付の上に掲げられた「著者略歴」にはこのようにある。「丸山 静(まるやま しずか)/1914年生/1938年東京大学文学部仏文科卒業/1943年京都大学文学部史学科卒業/主要著作 『島木赤彦』昭森社/『島崎藤村』福村出版/『現代文学研究』東大出版会/主要訳書 P・テヴェナ『現象学の展開』せりか書房」。そして現在では失われた慣例だが「現住所」が明示され、名古屋に住んでいることがわかる。
島崎藤村はともかく、島木赤彦で一書をものしていたのは意外だったが、ここまでの経歴では、やはり文学史、文芸評論の世界の人だと考えるのがふつうだろう。
*
目次のなかには、当時から神社仏閣巡りを趣味にしていた私にでも近づきやすい「浄瑠璃寺の夢」や「知恩院の鐘」という文章もある。また「《たましひ》について」という文章もいかにも読みたくなる(いずれもⅡに収録)。それでも世評や装丁、タイトルのかっこよさから手にしたものとして、「はじまりの意識」(1964年、65年)を真っ先に読むべきだろう。
つまり丸山静はこの文章で、「日本の革命運動の伝統の革命的批判」、「真の共産主義運動」の“はじまり”について書いていたのである。
*
私自身、昔も今も「日本の革命運動の伝統の革命的批判」、「真の共産主義運動」に興味がないわけではない。しかし、『はじまりの意識』を通読してみても、丸山静の思想の体系的な全体像はつかみがたく、しかも彼自身が、そうした運動や批判をどのように「はじめ」たらいいかに苦慮しているのだ。
おそらく、私自身もこの本を読んだ80年代前半時点でも、丸山静はまだ「はじまって」いなかったのだろう。
丸山静は1987年7月に亡くなる。そして、私が丸山静の「はじまり」を自覚したのは、没後の1989年1月に刊行された『熊野考』(せりか書房)を手にしてからだったと思う。その巻頭に収録された「馬頭観音」などでは、説話や文献のテキスト批判を解決するため、熊野権現に至る忘れられた古道を踏査する丸山自身の姿を垣間見ることができるのだ。
丸山静は柳田国男や折口信夫の民俗学を、ある部分で評価し、ある部分ではテキストから離れて伝承のしかた、されかたばかりを問題にしていると批判する。『熊野考』で丸山静は、歴史と文学の交点というより、熊野信仰や小栗判官説話といった中世人の想像力に対し、〈構造〉への旅ともいうべき手法で迫ろうとしているのだ。そして熊野川のほとりに立つ神社の名につけられた「牛鼻」という記号、表象、いや民俗的実在を求めて、熊野詣の失われた道、熊野信仰の始原を探索する丸山静は、『はじまりの意識』以上にかっこいいのだ。
勝手な期待と想像が許されるなら、「はじまり」の「はじまり」を意識し続けた、丸山静の静かなブームが、やがてはじまるにちがいない。