大島健志さん五行歌集『オールライト』(市井社)
こんにちは。南野薔子です。
先日出版された大島健志さんの第二五行歌集『オールライト』(市井社)についての感想です。市井社の紹介ページはこちら。
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この歌集は市井社「そらまめ文庫」シリーズの一冊だが、おもて表紙は従来のそらまめ文庫のフォーマットをぶっちぎった大胆なデザインだ。活力を感じさせるオレンジの上に大きく記された「オールライト」の文字が小気味いい。
こうやって、表題で思いっきり肯定的な感じを打ち出しつつ、こんな歌が入っていたりする。
甘ったれでも
何でもいいよ
大丈夫じゃないよ
君のせいなんだ
ほっとかないでくれ
おいおい。
表題がオールライト(大丈夫)なのに大丈夫じゃないんかい!
しかしそれにしてもこの歌も小気味がいい。だいたいよく云われがちなフレーズ「甘えじゃない」「大丈夫だよ」「君のせいじゃない」「ほっといてくれ」を全部裏返している。そんな「かっこつけ」を全部放り投げて自分の「君」への気持ちをぶちまけている。そこがなんとも爽快だ。第一五行歌集『だらしのないぬくもり』のあとがきで「かっこよくなりたい」と書いた著者、でもいわゆるかっこよさをぶん投げたことで逆にかっこよくなってないか?
「かっこつけないことでのかっこよさ」がこの歌集全体にある気がする。そしてかっこつけないことによりかっこつけているような自分さえ見据えているような視点もある。
そうでしょう そうでしょう
もっと褒めてください
これは自分でも
お気に入りの
仮面
の一方で、ある意味正統に(?)かっこいい歌も差し挟まれているところがまたたまらない。
欠落は
時に その人の
生きる指針となる
夢や希望よりも
色濃く
皮肉屋の
悲観主義者だけが
辿り着ける
本物の光が
ある
そしてどんなタイプの歌でも、しっかりと根をはったたしかさのようなものを感じるのは、著者が日々の生活の中で悩んだりもがいたりしながら摑んだ実感に誠実であるからなのだろうと思う。誠実すぎて、現実とのあいだに違和を感じることが多々あっても、現実をただ拒むのではなく、その現実に対して、やはり誠意を持って自分のあり方を自分なりに示してゆくといったような。
時と場所を
選んで
心をこめて
丁寧に
遠吠えをする
多分、心のこもった丁寧な遠吠えのあり方の一つとして五行歌が存在しているのだ。
こういう著者だから、他者に向けたと思われる歌も、上滑りしない誠実さを感じる。
はみ出すのにも
作法がある
ここは
君だけの
遊び場じゃない
「居場所がないなら
作ればいい」
とか言う奴を信じるな
それが出来ないから
ないんだよ
現実との違和を抱えながら、そんな自分に向けて、あるいは他者や社会に向けて歌いながら、でも違和のある日々にもきっちりと足をつけて生きてゆこうとする意思、いや意思というよりもう少しやわらかな願いのようなものかもしれない、そういったものを感じる歌も。「ささやかな幸福」といったありふれた言葉では掬いきれないざらつきのようなものも掬い取って。
雑な友達と
雑な話題に
雑なメシ
そういうので
いいんだよ
そうだね
こんなふうに
ごまかしながら
僕たちも
幸せになれるといい
ざらつきも含めてのあえての「オールライト」なのだろう。力強いようで実は逡巡があり、でも逡巡があることで実はより力強くなっているのでは。
青春は
三次会まで
あるらしい
自由参加
だけどね
著者より上の世代に当たる私の実感としては「いや四次会もあるよ」である。人によっては多分もっとある。死ぬまでn次会がある可能性があると思う。自由参加だけど。
でも著者はきっと自由参加を続けて、丁寧な遠吠えを続けるのではないかと思っている。遠吠えとは遠くにいる仲間へのコミュニケーション手段。多分この五行歌集で丁寧な遠吠えを聴いた多くの人が、それぞれの場所でそれなりの方法で丁寧な遠吠えを上げるのではないか。うおおおおーん。
何か遠吠えしたいような疼きが心の中にある方にぜひ第一五行歌集『だらしのないぬくもり』とあわせて読んでいただけたらと思う次第である。
余談だが、私がこれまでこのnoteに感想(書評というかたちで書いたものの転載もある)を書いた何冊かの五行歌集は、今回の『オールライト』を含めて「現実との違和」がかなり強く出ているタイプだと思う。漂彦龍さんの『コラージュ』、山崎光さんの『宇宙人観察日記』、鳴川裕将さんの『配達員』、水源カエデさんの『承認欲求』(いずれも市井社)。違和の感じ方とそのあらわし方はもちろんそれぞれの著者の独自性があるが。
多分、私が現実との違和ということを常に感じているので、これらの歌集に対してある種の感想の書きやすさ(易しいという意味ではなく)があるのだろうと思う。そういう私自身はそういう違和を少なくとも直接的なかたちでは歌にしない、できないタイプなので、こうやって歌ってくださる方々にはなんだかエールを送りたい気が勝手にしたりもするのである。