「ああ、尊敬が苦手」
無理だ、尊敬
もちろん「できない」というわけではなくて。働いていたBARの上司とか、中学校時代の部活のコーチとか、私が大学1年生の時にバイトリーダーだった先輩とか。尊敬する人はたくさんいます
これらの人は私から見ると「遠い」人なんですよね
そもそも立場が違ってあちらの方が圧倒的に上の立場で私もそれをしっかり受け入れていて、文句なんて何もない
私が苦手なのは「近い」人への尊敬なんです
もっと砕いて言うと、私と同じような境遇の人
たとえば大学生。たとえば20代前半。たとえばNoteを書いている人
私とその人で共通点が多ければ多いほど尊敬の種は芽吹きづらくなって、代わりに「嫉妬」の種が根をぐんぐんと生やしてしまう
同じような人、大学生でnoteをしている人で私よりも圧倒的に瑞々しくて表現力のある文章を書く人なんていくらでもいて
彼ら彼女らの記事を読んでいると「すごいな、こんな記事が書けたらな」と思う反面、「どうして私はこの人たちより人気がないんだろう」「どうしてこんな風に情景を浮かばせるような文章が書けないんだろう」と嫉妬もします
そこで「もっともっと書いてこんな文章を書けるようになりたい!」とプラスの方にエネルギーを生み出せればいいのだけど実際は「やっぱり私には才能がないんだ」と意気消沈してしまうことが多くて
趣味として文章を書いていたはずなのにこうやって人様に晒すようになるとどうしても評価が欲しくなり、他の人が否応なく目に入ってしまう
noteやめればいいじゃないかと思いますが、楽しいのもまた事実。色んな文章が読めて、色んな人に私の文章を読んでもらえる
色んな本を読んで、色んな景色をにも見て。ふと散歩をしていて発見をしたことは「これnoteに書けるぐらい自分の中で膨らませることができそうだな」とワクワクしながら空気を入れます
そして尊敬しづらいというか、したくない人って大概好きなひとだったりします。相手のことが好きで尊敬したいけど、そうするとずっと叶わない気がして癪です。大谷選手もWBC決勝の前に「憧れるのをやめましょう」と名言を残していますしね
もちろん尊敬できないことは悪いことではないのだろうけど、私が「こうなりたいな」と心から尊敬する人は他者を尊敬することがとても上手だったり。嫌味なく分け隔てなく周囲に尊敬の念を撒き散らしています
私はそんな人にはなれなくて、なれないからこそ尊敬するんだと思います。だったらnoteに関してはなかなか尊敬できなくても良いのかもしれない
これからもたっぷりの敬意にわずかばかりの敵意を込めて、スキを押したりコメントを書いていきたいと思います
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