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「いくら書いても、それでも言葉にできない瞬間はあるけれど」

私は言葉に対して

「この世界の全てに輪郭をつけるもの」

と言う定義づけをしています。個人的に

言いようもないほど美しい何かに出会った時、どうにかしてその時芽生えた感情を忘れたくなくて、言葉にしようともがいて、たまに成功したり、その何倍も失敗してしまったり

noteもそのために始めたもので。日々を生きる中でぼんやりと考えたことに風船のように空気を入れたり抜いたりして私なりの何かを残すために今日もパソコンに向かっています

私は言葉が大好きで言葉にすることが大好きだけど、それでもどうしようもない場面に出会える(出会ってしまう、なのかな)瞬間があります

灯りが一切ない場所で見上げた夜空

「強くなくとも、強がらずとも。あなたは暖かいのだから」とかつての恋人に言われた、二人の恋人としてのロスタイム

「少なくとも、あなたがきつい時にはどうにかするし、どうにかできる自分でいたいと思っているよ」と言いながら、大学の同期が飲んでいた業務用の日本酒

もう無理だと。池に膝まで浸かり、怖くなって電話をかけた夜。深夜3時に電話に出てくれた母の優しさに包まれた寝ぼけなまこ

もう何年も経つ出来事もありますが、私は未だにあの感情に輪郭を持たせることができていません。

過去はどうしたって少し色合いが美しく見えるもので、その時に感じた感情と私が輪郭をつけたその感情は少し異なっているかもしれない。それでもともがいているけれど、いい言葉は未だに生み出せない

だけどそんな瞬間に出会えることも、幸福であるんでしょうね

言葉を書いていると小器用になるもので。どう表現しようかと悩んでも「あの時と同じような表現が使えるな」とそれまでの引き出しを漁ればそれっぽいものは書けます

だけどその引き出しをひっくり返しても、容量が足りないのかと新しい引き出しを買ってみても、逆立ちしようが出てこない。言葉にできない

そんな感情は確実に私の根底をなすもので、いつかそれらに見合うものが書けるようになりたくてこうやって50音をこねくり回している

いくら考えたって言葉にできない瞬間は確実にあって。この先どんなに成長したって多分無理なんだとぼんやり思うんです。だけど私が言葉を紡ぎ続ける理由もその瞬間

少し矛盾しているような気もしますが、もう言葉の魅力に取り憑かれている方々にとっては「今更何を言っているんだ」と言う話かもしれませんね





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