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「クレーターばかりの人生でいいじゃない」

「心にポッカリと穴が開く」

大切な人を失った時
大きな失敗をしてしまった時。
こんな表現をすることがあります
私自身、友人が自殺した時や恋人に振られた時、こう友人に発言しました

その時は他のことに一生懸命に目を向けて、少しでも早くその穴を埋めなくてはいけない、そんなふうに思っていました

でもそれからしばらく経って、この1年ほど、少し考え方が変わりました

別に埋めなくてもいいのではないかと

もちろん自然に埋まることがあれば、それは喜ばしいことです

私はどうだったかというと
今に至るまで心に空いた穴はちっとも埋まっておらず、23年ほど生きた現在、でこぼこのクレーターみたいな人生です
たまにその穴に足を取られて転んでしまうこともあったり、前よりも深くなっていないかと穴を覗き込んでみたり

たくさん辛いことも別れもあったけれど、別にどれも乗り越えたかと言われたらそんな事はなくて

いっぱい泣いて泣いて、ご飯食べて寝ていたら、気づいたら私の人生の一部になってくれていて。

結局のところ、色んな悲しい出来事から時間が経って、穴を以前より遠くから見ることができるようになったのかなと思います
近くで穴を見ていても他が目に入らず、「穴がある」という事実ばかりが穴をさらに穿ってしまう

でもどんなに悲しくても、時間が経てば少しずつ、別の生き方ができるようになります。

でこぼこばかりの人生だけど。結局そのでこぼこが「私らしさ」に繋がっているような
逆に泥団子ばかりの綺麗なまん丸だと、きっと私らしさは消え去ってしまいます。

どれだけあの人を忘れられないと叫んでも、時間が経てば薄れていき、たまに街中でふと思い出すだけになる
どれだけ死んだあの人のことを忘れないと誓っても、気づけばカレンダーを見て、命日ということに気づいて慌てて日本酒を買いに行く

そんな自分の人間としての器用さに大したものだと感心しながら、一握りの寂しさのようなものを覚えるのも、私が人間らしい証明のようです

クレーター人生も悪くないと、誰より私が自分に言い聞かせています


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