「大学に行けなくなり、血を吐いた日」
映画の中などで
主人公が血を吐くシーンがありますね
病気にかかっていたりなんだりで
手のひらの血を呆然として眺めるシーン
そのシーンに憧れではないですが
自分にそんな瞬間があったら
一種の主人公感情に浸れるのではないか
そんなことを考えていた時期がありました
実際は何も考えられなかったんですが
大学3年生になって少しした頃
3つほどショックな出来事が重なり
私は大学に行かなくなりました
しかし友人との関係は良好で
居酒屋に行けば会える男として有名に
全然仲良くもないけれど
居酒屋の喫煙所で意気投合した人と
インスタグラムを交換して
次の日に「誰だこいつ」と
顔を思い出すこともできず
夕方に起きて
スーパーで酒と半額の惣菜を買い込んで
いつも最初に飲むのはレモンサワー
当時はウイスキーも焼酎も飲めなかったので
手軽に安く飲めるのは業務用のレモンサワー
500mlのレモンサワーの素を飲み干したら
安いワインに移ります
こいつのいいところは
チーズでちびちび飲めるところと
氷が必要ないため
いちいち席を立つ必要がないところ
ワインを飲み切ると
記憶も何もかもぶっ飛び始め
女の子に電話をかけ始める頃
ひとしきり管を巻いて
死んだように眠る
そんな毎日でした
何を考えることもしたくなくて
生産的な活動もしたくない
教育実習だって迫っているし
私が長を務める学科のイベントも近づいて
でも何もしたくなかった
お酒も正直そんなに美味しいとは
思えなかったけれど
考えたくもない未来の輪郭はぼやけさせてくれた
そんなことを繰り返して数ヶ月
朝起きてすぐ
痰が絡んだ気がして
でも込み上げる勢いはそれなりのものがあり
トイレに駆け込むと
口から出たものは血でした
意外とショックは受けなくて
自分がしている生活が
どれだけ自堕落か自覚はあったため
「そろそろだな」
それだけでした
人はこうして朽ちていくのかと
体重はどんどん増え
常に顔はむくみ
得意だったこともどんどんできなくなっていく
私という人間はここまでかと
少し郷愁の念に駆られました
その後正式に留年が決定した時点で
「実家に帰ろう」
そう決めました
死にたいわけではなかった
私がここで朽ちるように死ぬこと
その意味を考えた時に
電車に飛び込む前に最後に会う相手として
私を含めたアルバイトの同期を選んでくれた
彼が嫌だろうなとなんとなく思ったし
私がここで嫌がらせのように死ぬことは
私ではなく、自身の将来を選んだ
かつての恋人の覚悟を踏み躙る行為だと
そう思ったから
実家に帰り
バーでアルバイトを始め
遊園地のスタッフや肉体労働をしたり
毎日のように両親と酒を飲み
(健康な範囲内で)
友人に誕生日を祝ってもらい
劇的な救いがあったわけではないけれど
半年の休学でなんかのゲージが溜まりました
復学してからは
なんとかかんとかいい感じ
正直酒の量的には
そんなに減っていない気もしますが
それ以外の点は生活の質の向上が見られます
今日は友人のバンドを見に行きます
それまでの0次会はどこで飲もうかな
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