かさぶた

バンコク在住。夫と2人暮らし。→本帰国しました。

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マガジン

  • 夫婦ふたり暮らし

    子供がいない夫婦の静かな日常。

  • 母になりたかった私、母になれなかった私

    母親になった女性たちとの距離。小さな子供と接するときのとまどいと不慣れ。母親になりたかったけれど、なれなかった私。

  • 私の本棚

    本をきっかけに、めぐらせる思いのあれこれ、つれづれ。読書感想文など。

  • ひとりを考える

    ひとりの食事、ひとりの時間、ひとりの老後、ひとりの自分、ひとりの人、ひとりについて考えたこと、感じたことを徒然と。

最近の記事

メメント・モリすぎる日々の中で━『食べることと出すこと』

難病に分類される持病を患ってから、死をとても近くに感じるようになった。といっても、持病は死と隣合わせの状態ではなく、投薬を続けつつ、日常生活は送れている。 死と隣り合わせでいる人に申し訳ないような気持ちにもなりながら、それでも毎日、毎夜、死を思う。 入院中は病気や死を意識せざるを得ないとしても、すっかり日常を過ごしている今もなお、死を思うのはなぜなんだろう、と自分でも思っていたのだが、そのこたえがこの本にあった。 『食べることと出すこと』 頭木弘樹・著 著者の頭木さんは

    • お揃いのスニーカー

      私と違って、夫の友達付き合いは、古くて深い。地元の幼なじみや高校時代の同級生、上京してからの学生時代の友達など、大人になってからもそこそこの頻度の高さで会っていて、そのそれぞれと横の交流ができたりもしている。 以前は、よく我が家に集まって食事会だ飲み会だとやっていたし、タイに渡ってからは、一時帰国の折りに、皆でお店に集まったりしていた。 そんなこと夢のまた夢のようになってしまった今、せっかく帰国したのに、思うようにみんなと会えていない。メンバー全員では集まれないけれども、最

      • あなたの近くにもきっといる—『アンをめぐる人々』

        近所にグリンゲイブルズを思わせる家がある。白い壁に三角の屋根。アンの部屋のような出窓。子供の頃、そういう家に住んでみたい、と思ったものだった。 『アンをめぐる人々』モンゴメリ そんな憧れの家がある街の図書館で、再びこの本が目に入り、読んでみた。 1度目は、持病で入院しているときに、共有スペースの本棚で見かけて手に取った。読んでみると意外にも乙女の憧れの世界ではなくて、田舎のちょっとやっかいな人間関係が描かれていて、不思議とほっとしたのだった。 人々の噂話や過干渉、意地や

        • セルフレジで思い知ったこと

          浦島太郎のような感覚はないものの、日本に帰ってきて、変わったな、と思うことのひとつにセルフレジの存在がある。コロナで普及が加速したのもあるだろう。 最初は「操作に手間取ったらどうしよう」なんて思いがあって、有人レジに並びがちだったのだけれども、あるとき、やってみることにした。 ファーストフードやパン屋さんのアルバイトで、レジ打ちはやったことがあるものの、スーパーやコンビニのレジはやったことがない。 あの、バーコードをピッとスキャンする作業。楽しそうな予感とともに、「やっ

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        • 夫婦ふたり暮らし
          6本
        • 母になりたかった私、母になれなかった私
          8本
        • 私の本棚
          12本
        • ひとりを考える
          4本

        記事

          遅れてやってくる感情に

          タイから帰国してまず、2週間の自主隔離生活に入った。そのあと、民泊やホテルでの暮らしを経て、新居に引っ越しをした。 タイに住んでいる間、本棚やソファやテーブルなどの家具は実家であずかってもらっていて、家電や寝具だけは買いなおすことになっていた。 お気に入りの家具たちとの再開を楽しみにしていたけれど、引っ越し当日、約5年ぶりに見た家具たちは、自分の記憶よりも劣化していたり埃をかぶっていたりして、ショックだった。 でも手入れしたら、また見違えるように活きいきして、やっぱりしっ

          遅れてやってくる感情に

          非日常と日常と

          約4年半のバンコクでの生活が終わった。 それは長い長い夏休みのような時間でもあり、でも本当の夏休みとはちょっと違った。 旅行で外国に行くと、最初は、紙幣でばかり支払いをしてしまい、お財布に小銭がたまっていく。旅の後半になると、うまく小銭も使っていける。 普段、私たち夫婦の旅行は、2週間とか3週間とか、比較的長めに期間を設けることが多い。暮らすように過ごす時間も持てる。 帰りたくない。 ここで暮らしてみたい。 なんて言いながらも、そこが非日常であったことに、どこかほっと

          非日常と日常と

          やまない雨

          やまない雨なない。 治らない病気に対してもそれを言う人がいて、センスないよな、と思ってしまった。言った相手に100%悪気はないとしても。 「それが本当に雨であればね?そりゃーやむでしょうよ」なんて、トゲのある返しをしてしまいそうだ。 私自身も、何度となく、想像力を欠いた言葉を人に向けて発してきたことだろう。振り返って、あれは、と思うこともあるし、今でも無自覚のことも多数あるに違いない。 「病は気から」なんていうのも、持病を発症してから実際に言われた言葉だ。確かにある側

          やまない雨

          想像するたのしみ—『ある小さなスズメの記録』

          バンコクの古本屋さんで、美しい本を買った。本屋さんをブラブラして、ふと心惹かれる本を見つける瞬間が好きだ。 『ある小さなスズメの記録』 状態がよいわりには、安価だった。このお店ではおそらく、値付けは本の売れ行きや状態、希少価値はあまり考慮されてなく、発行年月で機械的に決められているように思う。 買取のとき、タイ人のスタッフがそのように査定しているように感じるし、それが合理的で現実的な方法なのだろうと想像する。それが事実がどうかはわからないが、とにかく私にとっては嬉しい掘

          想像するたのしみ—『ある小さなスズメの記録』

          母親ってなんだろう—『ピーター・パンとウェンディ』

          子ども向けだと思っていた物語を大人になってから読んでみて、これが一体どうして、子ども向けなんだろうか、大人の世界の物語じゃないか、と思うことが多々ある。 『ピーター・パンとウェンディ』はそんな物語のうちのひとつだ。 子どもの頃に読んだのは、子ども向けに簡略化された本だったように思う。または、本では読んだことがなくて、ディズニーのアニメでストーリーを知っているだけかもしれない。 私がイメージしていたピーターパンは、ああ、こういうタイプの男の子が小学校のクラスにいたなあ、と思

          母親ってなんだろう—『ピーター・パンとウェンディ』

          誰にも気づかれない仕事をしたら

          私の読書の楽しみは、本筋やテーマよりも、ごく一部の印象に残った一節やエピソードについて考察したり、派生して思い出した過去の出来事にひたったりすることにあるようだ。読んだ本のあらすじを忘れてしまうことも多いし、主人公の名前を思い出せないときすらある。 『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』を読んだ。表題作の『掃除婦のための手引き書』の中に、 家政婦の心得として、 手抜きしない掃除婦だと思わせること。初日は、家具をぜんぶまちがって戻す— 五インチ、十インチずらし

          誰にも気づかれない仕事をしたら

          父の日の定番

          今年の父の日のプレゼントは、ゴルフボール。去年と全く同じものだ。 姉と共同でプレゼントする。具体的には、父からリクエストを聞き出した姉がプレゼントを手配し、私は後日、費用の半額を姉に渡すというだけだ。 父の日が近づくと、たいてい姉から父のリクエストのお知らせが来る。 少し前に「お父さん、今年も『安定の』ゴルフボールだってよ」 と姉から連絡が来た。 父の日、母の日ともに、いつからかリクエスト制になって姉と共同で贈り物をすることにしている。サプライズよりも実用性。贈る側も選ぶ手

          父の日の定番

          過去に戻れたとして

          あのときに戻れたら、 あのとき別の選択をしていたら、 と思うときはどんなときだろうか。戻れないのは知っていても、思ってしまう。過去に一切の後悔はない、と言い切れる人がまぶしくて仕方ない。 『素敵な選TAXI』というドラマがある。 バカリズムさんが脚本、竹内豊さんが主演のドラマで、竹内豊さんが演じる運転手、枝分さんが運転する選TAXIは、過去に戻ることができる特別なタクシーだ。 様々な理由で選TAXIの乗客になる人物たちのドラマが1話完結型になっていて、毎回の人間模様と途中に

          過去に戻れたとして

          ところてん日和

          物語やエッセイの食べ物が出てくるシーンが好きである。 ラピュタのトースト ハイジの白パン 向田邦子さんのにんじんごはん 食べ物が出てくると、物語にしろエッセイにしろ、生き物としての現実味や親近感がわく気がするし、その食べ物を自分で再現してみようとするのも楽しい。この自粛生活の中では、『ぐりとぐら』のカステラを再現したご家庭も多いのではないだろうか。 最近で、心をつかまれたのは、江國香織さんのところてんだ。 『やわらかなレタス』というエッセイ集の『甘味屋さんの変わり種』と

          ところてん日和

          キリンに思いをめぐらせながら、物語のより道を楽しむー『こちらゆかいな窓ふき会社』ー

          『こちらゆかいな窓ふき会社』という本を買った。作者は『チャーリーとチョコレート工場』でおなじみのロアルド・ダールだ。 タイトルにひかれて、手に取った。思えば、私は子供の頃から「ゆかいな」という言葉にひかれる傾向にあったかもしれない。 ゆかいな仲間 ゆかいな探偵 ゆかいな冒険 児童書のタイトルにいかにもありそうな言葉たち。今でも私の興味をそそる。そのうえ「ゆかいな窓ふき会社」ときたら、私の引き出しにはなかったものとして強くひきつけられたのである。 『こちらゆかいな窓ふき

          キリンに思いをめぐらせながら、物語のより道を楽しむー『こちらゆかいな窓ふき会社』ー

          ひとりの食事

          病気になったとき、退院後の約1年の療養期間をひとり暮らしで過ごしてきた。一番こたえたのは、病気になったことよりも、ひとりで食事をとり続けることだった。 私は、社会に出ていたころ、仕事のキリは決して悪くなかったのにキリが悪いことにして、同僚からのランチの誘いを断るくらいには、 夫に急な飲み会が入って、図らずもひとりの夕食になったときにほっとしてしまうくらいには、 焼肉屋だろうが、居酒屋だろうが、ひとりで入ることが気にならないくらいには、 ひとりの食事を好んでいた方だった。

          ひとりの食事

          ある日

          女性が、男性から花束をもらって嬉しいのは、もらった花が美しいから、だけが理由ではないと思う。自分が男性から、「花を贈るのにふさわしい可憐な存在」だと扱われた、という気がして嬉しいのだ。 女性が男性から花をもらう機会は、どんなときだろう。 誕生日、クリスマス、結婚記念日、などのイベントごとは定番か。プロポーズに気合を入れた花束を用意する人もいると聞く。 日常のなんでもないときに、花を贈るような、花贈りの上級者は、日本では稀な存在だろう。 夫が、決まって花束を買ってくるイベン