過去に戻れたとして
あのときに戻れたら、
あのとき別の選択をしていたら、
と思うときはどんなときだろうか。戻れないのは知っていても、思ってしまう。過去に一切の後悔はない、と言い切れる人がまぶしくて仕方ない。
『素敵な選TAXI』というドラマがある。
バカリズムさんが脚本、竹内豊さんが主演のドラマで、竹内豊さんが演じる運転手、枝分さんが運転する選TAXIは、過去に戻ることができる特別なタクシーだ。
様々な理由で選TAXIの乗客になる人物たちのドラマが1話完結型になっていて、毎回の人間模様と途中に繰り広げられるユーモアあふれる掛け合いが面白い。
ところで、竹内豊さんみたいな運転手がいたら、遠回り大歓迎だ。バンコクでは、遠回りされないか、ぼったくられないか、神経を張り巡らせてドライバーを見張っている私であるが、好みの美男に対しては、私の正義感や防犯意識もどこかにいってしまうようないい加減さである。
最近、このドラマの再放送をしていたので、録画分を日中に1人で観たり、
夕食とタイミングが合えば、夫と2人で観ていた。
普段、ドラマは観たがらない夫だが、(恋愛ドラマなどは恥ずかしくて観るに耐えないと思っているタイプ)このドラマは、おとなしく観ている。
ここのところ、私の中でなぜだか母になりたかった思いが再燃しつつある。
あきらめたはずだったのに。
妊娠は難しくとも不可能ではない年齢。最後の最後のタイミングかもしれないという思い。前にも書いたが、夫が子をもちたがらないという理由で我が家は子なしなのだ。不妊かどうかもわからない。それがかえって可能性を期待してしまうのかもしれない。
『素敵な選TAXI』を一緒に観ながら夕食を食べているときに、それとなく、子供がいない人生について、夫に話題をふってみると、
「ここ数年は子供のいる人生を考えないでもない。子供がいないとやはり、老後は寂しいのかな」などと言う。
さらには、「でもお前その歳で。リスクもあるのでは?持病の薬の調整は大丈夫なのか。そもそも持病が悪化したりしないのか?」と。
私が10年前から、結婚する前から子供を望んでいたことは夫も知っていたはずだ。私が持病を発症したのは、結婚6年目のことだが、そのときに持病と薬の調整についても、「ちゃんと調整すれば、子供と自分の健康に影響なく産めるって先生も言っているけど、どうする?」と問いを立てていたのだった。最後の頼みの綱のように。
全部全部、かわして、今更、私側のリスクを懸念した話。
もっとリスクが少ないときに、もっとチャンスがたくさんあったときから、私は「一度は考えてみて欲しい」「たとえ答えがNOであってもいいから、考察だけはしてみてくれ」とお願いしていたのに。
ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
そもそも、どうして子供が欲しくないかの理由や深い話はしてくれない。理由の想像はついていて、それをわざわざ言葉で明確にすること自体は、彼にとって幸せな作業ではないこともわかっている。
だからいつも、ふれないようにして、自分で消化して終わり。もっともっと前から、もっともっと強く話し合いを求めればよかったのだろうか。
煮え切らない彼と一緒にい続ける選択をしたのも、現在進行形でそうしているのも私。そうとわかっていても、とめられない妄想がある。
あのときに戻れたら。
それを言ったらおしまいだろう、10年の結婚生活を否定するような言葉。取り返しがつかないことになるかもしれないと思いながらも、その言葉を発するのをやめることができない。
「選TAXIにみたいにさ、私を10年前に戻してよ!!」と言ってしまった。
「それなら、明日お前はここにいないだろう、俺もいないかもしれない」
と夫が言った。そのあとは、お互いに会話をすることもないまま時間がすぎ、眠った。
翌朝、いつもの通り、私が淹れたコーヒーを2人で飲む。
「あれ?お前ここにいるねー?あ、俺もいるねえ」と冗談めかして夫が言った。
「戻っても変わらなかったね」と私もこたえる。
私が放った致命的なひとことを、夫が茶番にしてくれた。
だから私は、今もこの人と一緒にいるのかもしれない。
ドラマの中でも、過去に戻って別の選択肢を選んだところで、いい結果になっていなかったり、毎回同じ結果になったり。おいしい思いはできなくて、もとの生活に戻ったりもする。何度か、過去に戻ってあれやこれやをやり直すのだけれども、最終的には今を受け止める。
私は、ドラマの中の人たちのように、やり直しはできないけれども、
戻れてなにかをやり直したとしても、案外同じ結果になっているのかもしれない。