メメント・モリすぎる日々の中で━『食べることと出すこと』
難病に分類される持病を患ってから、死をとても近くに感じるようになった。といっても、持病は死と隣合わせの状態ではなく、投薬を続けつつ、日常生活は送れている。
死と隣り合わせでいる人に申し訳ないような気持ちにもなりながら、それでも毎日、毎夜、死を思う。
入院中は病気や死を意識せざるを得ないとしても、すっかり日常を過ごしている今もなお、死を思うのはなぜなんだろう、と自分でも思っていたのだが、そのこたえがこの本にあった。
『食べることと出すこと』
頭木弘樹・著
著者の頭木さんは、20歳のときに潰瘍性大腸炎という難病を患って、13年間の闘病生活を送られた。闘病生活でのエピソードや感じたことなどを、「文学紹介者」らしく、文学作品の引用を交えながら綴られている本だ。
作品の第10章の『めったにないことが起きる/治らないことの意味』の中で
潰瘍性大腸炎というのは、難病の中では人数の多い病気だが、それでも難病になるというのは、やはり確率の低い出来事ではある。
と語っている。そして、過去に事故にあったエピソードを紹介し、人は一度低い確率にあたると、
「自分は事故には遭わない」という、多くの人が持っている素朴な信仰を失ってしまう。
と。
「低い確率のことでも自分に起きるかもしれない」と学んでしまった者
として
「メメントモリ」すぎる
日々を送っているのだそうだ。
私の持病も、人数の多い病気でもあるけれど、それでも、確率の低い方にあてはまってしまったから。私に限っては、「病気にならない」、「事故にあわない」だけでなく、「死なない」とすら思いこんでいた。
その幻想から目覚めて、とにかくメメント・モリすぎる日々を送っている。
私たちは、毎日、クジ運のようなもので生かされている。今日を生きている人も、今日を生きられなかった人も、前世でも今世でも積んだ徳に大差はなさそうな気がする。
私は、そんなメメント・モリすぎる日々の中で、残念ながら、とくに意識高い生活を送っているわけでもない。ダラダラとスマホ片手にテレビを見続けて、どちらにも集中していないような時間を過ごすときもあるし、悪態をついているときもある。
唯一変わったことは、人を見送るとき、見送られるとき、会話するとき、LINEするとき、暴言で終わらせないことだ。
どんなに喧嘩したあとでも、「行ってらっしゃい、気をつけてね」と。
「いってきます」と顔を見て。
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