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『不可逆少年』: 罪を犯した少年は教育によって必ず更生できるのか、それとも…?

五十嵐律人さんの『不可逆少年』を読みました。


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現代のこの社会では、罪を犯した少年は教育的な手段で更生へと導かれるような仕組みになっているが、これはそもそも罪を犯した少年は皆、教育によって更生できるのだという前提の上に成り立っている。
しかし、それは都合の良い押し付けでしかなく、(脳の構造上の欠陥などにより)教育による更生が不可能である少年が存在するかもしれない、というのがこの作品のテーマ。
ミステリとして面白いのはもちろんのこと、作品の軸となるのが非常に深いテーマなので、読み終えた後もしっかり心に残り続ける作品。
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続きが気になりすぎて一気読みしてしまう面白さ


テーマが深くて素晴らしいのももちろんなのだけど、まずシンプルにミステリとしてめちゃくちゃ面白い。


物語は2つの視点から描かれており、少年を調査する側の調査員と、調査される側であり事件に関わっている少年という全く逆の立場から少しずつ事件の真相に迫ってゆくという構成で話が進む。


物語は刑事的未成年である13歳の少女が、監禁した大人をナイフやトンカチ、ロープ、注射器などで次々に殺害するフォックス事件が起こることで始まる。


非行を犯した少年や捜査段階の少年を調査する家庭裁判所調査官の瀬良真昼は、送り込まれる少年たちを調査しながら少しずつ、フォックス事件の真相に迫ってゆく。


一方でフォックス事件の被害者遺族であり、さらにその後に起こる事件の当事者となる雨田茉莉は、同じく被害者遺族である幼馴染と共に自分たちの置かれた状況からなんとか抜け出そうと必死にもがく。しかし、もがけばもがくほどさらに糸は絡まってしまい新たな惨劇が引き起こってしまい、その真相はフォックス事件の真相とともに明かされてゆく。


初めのうちは、茉莉の視点で進んでゆく話が、フォックス事件とどう関係しているのだろう?と、全くつながりが感じられないままに彼女たちがどんどん絶望の淵に沈んでいくのにただひたすらハラハラさせられる。しかし物語の終盤に向かうにつれて一気に明かされる事実にまた鳥肌が止まらない。真相を知るとそういうことだったのかと思わずため息が漏れてしまった。


このようにひとつの事件を、調査する大人側と、様々な事情を抱えた当事者の少年側というふたつの視点から見つめることとなるため、それぞれの立場からしか見えない事情や苦しみがひしひしと伝わってくる構造になっている。


またこのような構造により、物語の臨場感がより一層強く感じられ緊張感を持って楽しめるし、当事者たちへの感情移入もついつい激しくなってしまうところがこの作品の魅力だと感じた。


ただこういう、良い大人に出会えず劣悪な環境で育ってきた少年、他に選択肢のなかった少年というのを題材にした話はどうしても心が痛むし読んでいて自分も苦しくなってしまう。
けれども調査員の瀬良がしっかりと芯を持った人物であるため、苦しいだけで終わらないのもまた私には魅力のひとつだったかな。



深すぎるテーマ:罪を犯した少年は教育によって必ず更生できるのか


またこの作品にはミステリとして事件の真相を探るという主軸とともに常について回るテーマがあるが、それがまた非常に深く考えさせられる。


瀬良の上司である主任調査官の早霧沙紀は、”すべての少年は教育によってやり直せる存在である”という考えは理想の押し付けであり現実逃避だという。現在の少年法の理念は、”心も身体も発達途上の少年には、教育的手段を用いて更生を促す”ことを基本としているため、早霧のこのような考え方は少数派だ。


では早霧の考える、押し付けでない方法とは何なのか。彼女は少年の更生のためには教育的アプローチ以外の手段も必要と考える。それは、生物学的要因によって事件が引き起こされるという可能性を視野に入れているためである。

分かりやすく言うと、脳の構造的な特徴や神経作用が非行を引き起こす場合があり、こういった場合には教育的アプローチは無意味なため、専門家による治療が不可欠であるということだ。

早霧はこのような主張をもとに神経犯罪学を大学院で専攻していた経歴を持っており、主任調査官となった今でもその主張は変わっていない。


早霧の主張のように教育では更生不可能な少年、つまり’不可逆少年’の存在というのは、少年の可塑性を信じて日々調査室で彼らと向き合う調査官にとっては決して認めたくない存在だ。なぜなら罪を犯した少年たちと向き合う立場である調査員にとってその存在を認めることは、目の前の少年を諦めてしまうことになりかねない。だから認めたくない、認めてはいけないと思うのはある意味当然のこと。

そりゃそうだよね。この子たちは必ずやり直せる!と信じるからこそ目の前の少年に真摯に向き合うことができるし、更生へと導く努力だって惜しまずできるはずだから。それなのにどれだけ教育しても更生できない例外もあるだなんて事実、なかなか認められないと思う。


けれど他の調査員と同じような葛藤を抱えながらも瀬良は日々少年と向き合う中で答えの出せないでいた疑念に答えを出したいという思いから、早霧の考えをさらに知りたいと思うようになる。そして不可逆少年の存在を徐々に実感していくと同時に少年との向き合い方に迷いが生じるようになってゆく。


瀬良が少年と向き合う中で言った「やり直せるから、少年なんだよ」ということばは初めは教育的手段によってすべての少年が更生可能であるという少年法の理念を表すものであった。
しかしフォックス事件など一連の事件を経たことにより、物語のラストで全く同じセリフが全く別の重みをもって告げられる。
それは理想を押し付けすぎるでもなくきちんと現実を見ている、でも諦めたり放棄することは絶対にしない、少年とゆっくり切実に向き合っていこうという決意のように見え、とても心に深く刻まれた。


葛藤や迷いを繰り返す瀬良の人間的な面や、どこまでも目の前の少年に素直に向き合おうとする芯のある姿がとても印象的で、物語にいいバランスを与えているように思った。特にラストの場面は希望を感じたしかなりグッときた。


どれだけ考えてもなかなか答えの出ない問題というのをひたすらに考えるということは結構好きで、こういう深いテーマを取り扱うことでより作品に深みを与えると思う。

そして自分は”思考するきっかけを与えてくれる”という点でこういう作品に非常に魅力を感じるのかなとも思ったり。

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