アートの洪水の中で見つけたもの
今日、イギリスに来て初めて、博物館を訪れた。かの有名な大英博物館や自然史博物館など、訪れるべき場所はたくさんある。たくさんありすぎて、どこから攻めるべきなのかわからないくらい。
しかし、最初に訪れるならここにしよう、となぜかずいぶんと前から心に決めていた場所は、ヴィクトリア&アルバート博物館(以下V&A)だった。なぜここなのか、はっきりとした理由はない。この場所に、どうしても見たい作品があるというわけでもない。でもなぜか、私の中でずっと気になる場所だったのだ。
そして初めての訪問。現在は完全予約制での入場となっており、私は10:15の予約を取っていた(15分毎スロット)。予定より早く到着したので、とりあえず入口へと行ってみたらするっと入れた。
館内に入場し、笑顔で迎え入れてくれるスタッフさんに「館内マップはありますか」と尋ねたら、今は紙のマップは配布していないとのことだったので、とりあえずなんとなく進み出す。
日本だと、美術館や博物館にはだいたい順路があって、その通りに進んでいくとほぼ全ての作品を観覧出来るようになっていて、特に注目すべき作品を見落とすようなことはまずない。
展示品は余裕を持って並べられて、作品の一つ一つに十分な空間が与えられる。その作品が持つ熱量が大きいものほど(物質的な大きさではなく)、周りの余白をも作品の一部としてしまうこともある。
が、しかし。。。
このV&A、とてつもなく広く、145もの展示室に約400万点もの作品がある。展示室は迷路のようになっていて、自分がどこにいるのかもはや全くわからない。どこに何があるのかも事前に調べておかなければ、そう簡単にはたどり着けない。私は早々に迷子になったけれど、とりあえず歩き続けていればどこかには繋がっているので、とりあえず歩き続けた。
そして作品の展示方法が、なんというか、雑。"ラファエロ・ギャラリー"と呼ばれるルネサンス期を代表する画家ラファエロの巨大な絵が展示してある部屋は、礼拝堂のような雰囲気の場所に、堂々と悠々とした展示であった。
しかし、有名な彫刻のレプリカが展示してある"カストコート"は、「レプリカなんだし、一つ一つの作品にそんなにスペースとらなくてもいけるっしょ」的なノリで設置されたのではないかと思うレベルで、巨大な彫刻が並べられていた。平日16時過ぎくらいの、帰宅ラッシュが始まる前の、ちょっと混み始めた車内くらいのイメージ。あ、人ではなくて、作品がね。ちなみに、その多くが裸体の男性。やだ、はずかしい。なんて年頃ではありませんが。
陶磁器の展示室は、ここはまるで倉庫かと思うほどに棚の中にぎっしりと、満員電車とまではいかなくても、平日17:00頃の電車の混み具合くらいにはなっていた。あ、人ではなくて、作品がね。
まぁもうとにかく作品数が多すぎて、情報過多の洪水に飲み込まれてしまい、一つ一つの作品が全然入ってこない。アートの洪水なんて贅沢なようだけれど、私はどれをを見たいの?どれを見るべきなの?それはどこにあるの?と、ちょっとしたパニック状態である。
それでももちろん、いくつかは、ふっと視線が釘付けになったり、強く印象に残る作品があった。そういうものには、"この作品のメッセージの宛先は私だ"という、私お得意の"関係妄想"を働かせている。
そして、たくさん作品が並べてある中からでも、もともと自分が興味のあるものや、馴染みのあるものには、自然と目がいくのだ。
例えば、数ある現代陶器の展示の中で、ぱっと視界に飛び込んで来たのは、日本でもお馴染みのルーシー・リーの作品と、岡本太郎を思わせるデザインと配色のお皿だった。
また、現代ガラスアートのコーナーで私が一番心を惹かれた作品は、"光と影"を利用して魅せるものだった。
そして、Japanのコーナーで私が"あ、これはもしや"と気がついたのは、志村ふくみさんの紬織りの着物だった。
街中で誰かの会話が聴こえるときや、インターネットで何気なくニュースを見ているとき、自分の興味のない話題は耳に入ってくることも、視界に入ることもないが、自分の知っている話や興味のある話題だと、意識しなくても自然と耳に、目に飛び込んでくる。その感覚と同じだった。やはり人間、無意識のうちにいろんな情報を取捨選択していて、特に情報過多の状態では、なおさらそうなるのだろう。
アートの洪水の中で私が見つけたものは、ルーシー・リーと志村ふくみと岡本太郎(っぽいもの)と、そして光と影だった。
どこへ行っても、私の好きなものは変わらないのだ。