良いお兄ちゃんになるボタンを押した日
年下の家族が事故で亡くなったのが2017年のことだから、もう丸7年過ぎました
我々は二人きょうだいです
自分の祖父と大伯母のように高齢になっても
きょうだいが居てくれるものと錯覚していました
父方がメンタルの多発家系だから
年下のきょうだいは重い精神疾患で
ずいぶん悔しい思いをしました
大学を主席で卒業するくらい努力して
スピーチを頼まれた頃に発症しました
まるで時限爆弾と共に生まれたかのような
無念さがあります
けれど、思い返せば懐かしいことばかり
下の子と私の間は年が離れています
家系と遺伝のことで
両親が精神科医に相談したり手を尽くしたから
当時は「分からない」という答えが出るまでに
それだけ時間が必要でした
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私が幼稚園に上がる年に
下の子が生まれており
それをきっかけに
戸建てに引っ越しました。昭和のよくある建て売り住宅です
物は大事にしろという父だから
私は素直に大事にしていたわけです
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少し時を遡ると
まだ引っ越しをする前に、父に連れられて
新しい家を見にきた時に
マンションの浴室よりお風呂場が
広くなったと嬉しそうにしている父は
珍しく少しはしゃいでいるように見えて
そんなことも思い出されるから
余計、「お父さんが怒る」と案じました
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下の子が乳幼児だから
小学校低学年の頃のこと
帰宅して
血の気が引きました
というのも
ただいまと帰ってきて
廊下を通り
居間に入ろうとドアを押し開けたら
床の絨毯が鉛筆の落書きでびっしり
グルングルンに何か書いてあるのです
ダイナミックなパッションは感じますが
それはキャンバスではない
もちろん犯人は下の子
私はそういうことはしない
壁も床も絵本も、描かないタイプだから
落書きするより声に出して読んだり
気にいると暗記する子でした
血の気が引いて
うちは親が厳しいから
この子は大丈夫だろうか
強く叱らないように
とりなすべきなのか途方に暮れました
人間、驚くと
児童も棒立ちになります
もちろん母はやらないように
教えたらしいんですけども
父も母もあまりのことに呆れたというか
そんなに強く怒っている様子は見なかったんです
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末っ子は、キャラも個性も違うのです
今にして思えば、 世の中を理解するのに
何でも口に入れてみる年頃とかもあるわけで
世の中を理解するのに 確かめる
触るといったことの延長で
鉛筆で書き加えてみるということも
必要だったのかなと
個性として見ています
向こうが早生まれだから、年齢で5つ
学年で4つ離れているわけです
ちっちゃい時それだけ離れていると
一人っ子が2人いるようなものでした
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私が初めて図書館に出かけた頃
我が家から図書館まで3キロ以上あるので 子どもの足には遠いんですね
歩いて往復するのしんどいので
自転車で安全に行って帰ってこられるようになるのが 小学校の3年ぐらいですかね。
ってことは向こうまだ幼稚園ぐらいなので
図書館行けた時には
自分の名前の図書カードがあって
それ見せると本貸してもらえるっていうのが 嬉しいわけです
自分の足で図書館にやってこれて
自分の足で図書館から家に帰れる
誇らしかったし
ずいぶん一人前になっている気持ちでした
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図書館でまずしたことは、絵本じゃなくて 紙芝居のコーナーがあったので 自分のきょうだいが興味を持ちそうな紙芝居を探して
自分の本よりも紙芝居の方はかさばるんですけども いっぱい借りて帰ってきょうだいと読んでいました。
小学3年生にして 自分のきょうだいの教育を考えているっていうのは不思議なものですけども
なんて言うんだろう
両親には長男だからしっかりしろと
言われてはいないんですけども
兄とはしっかりするものだと
母方の祖父経由で
いろんなエピソードは聞いて育ちました
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きょうだいが生まれる頃
後から聞いた話では母が入院するから
家事ができない夫が息子と一緒に家にいるから
食べる物困らないようにということで
いろんなおかずを作りラップをかけて冷凍してあるのですが
父はそれをあんま手付けなかったらしくて
私が記憶しているのは
私が当時住んでいた引っ越す前なので マンションの近くに
商店街の小さなお店の佇まいのお寿司屋さんが住宅地にちょこんとあるわけですよね
多分昔の商店街の名残の感じ
そんなお寿司屋さんで何かテイクアウトして 近所にコンビニとかないから 一番近くにある食べられるもの買うお店がそこなので
お寿司買って
父についていって
また父にくっついて帰ってくるっていうような それを食べた記憶は全くないんですけども
やけによく晴れた冬の優しい日差しの日に
父の後ろついて歩いてた記憶は覚えてるんですよね
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そんな流れで
これがお前のきょうだいだって言われて 赤ちゃん見せられて 初対面ですよね
ちっちゃいとか
命がどうのとかっていうことじゃなくて
「そうか僕はお兄ちゃんになったんだ、いいお兄ちゃんにならなきゃ」と
自分でお兄ちゃんになるスイッチを心の中の奥で押した記憶があるんです
幼稚園上がる前のこと
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そのボタンは押したっきりになっていて
2017年に死別しようと関係性が変わるわけじゃないですから
それはきっとアイデンティティとかの一部にもなったんでしょうね
つまり私の経験では 4歳の子も
自分で自分が何者かなのかということを
じつは静かに決然と選んでいますね
私の中で、兄を辞めるボタンは今のところ探せなくて
私に搭載されてないかもしれないですね