karasu.*

平穏な日常に恋して26年、未だ手に入れられない人生ハードモード。

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最近の記事

毒親に捧げた四半世紀⑥

中学生編 相も変わらず田舎なもので、進学と言いつつもメンツはほぼ変わらず 分校の生徒が5人ほどプラスされた状態でスタートした。 小学校より中学校の方が実家からは近かったので通学にかかる時間は半分程に。 まぁそれでも走って帰らなければ怒鳴られるのがデフォルトな理不尽スタイルは変わらずだったけど。 習い事のスイミング、劇団、ピアノは続行中だったけど、小学校高学年辺りから地元のスイミングではなく隣の市まで通うようになっていたので、車、電車、徒歩 合わせて片道1時間くらいになっ

    • 毒親に捧げた四半世紀⑤後編

      一時保護明け〜小6 出所した直後の母は恐ろしいほど優しかった。 正直優し過ぎて怖かった。 優しいこと自体が気持ち悪かったし、いつ爆発するのか常に怯えていたし、落ち着かない生活が待っていた。 学校は保護されてる間に冬休みに入ってしまったけど、同級生達に先生は上手く「病気でしばらく来れない」的な説明をしてくれてたせいか、明けてから質問責めにされたり等もなくスムーズに日常に戻れた、有難い。 だけど、出所してから半年間は月に1回一時保護所に行って経過報告を兼ねた面談をしに行か

      • 一時保護所に保護された話。

        入所生活3週間について。 さて、⑤の前編では保護されるまでの話だったね 一時保護所、一時保護に関しては保護された事のある人にしか分からない世界だと思う。 中でどんな事が行われていて、どういう流れで家に帰るのか、もしくは施設に入ってしまうのか、そして帰ったとてその後はどんなサポートが受けられるのか。 私の場合、3週間程度の保護期間・家に帰る選択をした・帰った後にどんな出来事があったか・どんなサポートを受けたのか。 ……ということはここで伝えられる。 が、もちろん個人によっ

        • 毒親に捧げた四半世紀⑤前編

          小学校高学年編 中学年の頃には九州大会で優勝出来る程度の成績を収められたものの、母は多少褒めてはくれたがその最後には必ず既に次の目標タイムを設定しなさいと促される。 ベストタイムを更新出来ればアイス1つ、出来なければ「あれだけ時間があってなぜ早くならないのか」と酷く怒られ謝らせられる、試合から試合までの期間は1ヶ月程度あるかどうかなのにそう毎回更新出来る訳もなくこの頃から競泳が嫌いになってた。 勉強にしろ、スイミングにしろ、なんにせよ気に食わないことがあれば怒鳴られ謝罪を

          毒親に捧げた四半世紀④補足

          小学校中学年編の補足 読み返してみると足りない部分があった。 記憶が曖昧だからどちらかは分からないけど、3年生か4年生のどちらかの夏頃に母親が乳癌発覚。 右乳房摘出手術を伴う大規模な案件。 手術をする為の入院、抗がん剤での治療、注射や投薬により何度も1~3週間ほどダウンしてしまう。 そんな状態だと娘2人の世話も出来ずほとんど布団で一日を終える。 それを支えてくれたのは車で5分の距離にある母の実家である祖母家。 祖母家は祖父、祖母、母の姉である叔母(離婚して息子2人を連

          毒親に捧げた四半世紀④補足

          毒親に捧げた四半世紀④

          小学校中学年編 しばらくぶりです、続き行きましょう。 実は2年生に上がった頃からスイミングのクラスが一般ではなくなり🫠 習い事というより競技選手として育てるクラスにランクアップしてたのよね。 選手コース(主に中〜高校生) 育成コース(↑には及ばない程度の小〜中学生) 的な感じのクラス分けで、私は唯一の最年少。 1番上は高3の年齢層が参加する時間帯の練習に小2のちびっこが混ざるの図。 えぇ、それはそれは可愛がられたよ。 生意気にもお兄ちゃんやお姉ちゃんに「バカ殿!」とか

          毒親に捧げた四半世紀④

          毒親に捧げた四半世紀③

          小学校低学年編 保育園を卒園し、小学校に入学した。 1年生の担任の先生はギターが得意で少し厳しい先生だった。 朝の会、帰りの会、音楽の授業はピアノではなく先生のギター伴奏に合わせて歌うというちょっと変わった楽しい記憶がある。 この頃までの私は非常に音痴だった為1人で歌うことは嫌いだったのに、先生の伴奏なら大きな声で歌えたんだよね。 幼稚園の頃から文字を書くことは出来るようになってたし、計算が得意だった私は授業も問題なく受けれたしテストはほぼ満点💯 私自身は苦痛に感じる事

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          毒親に捧げた四半世紀③

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          創作大賞2023 ……気になるけども、私は現実で起こった事をそのまま書いている人間だからそもそも参加権限がない悲しみ🫠ソウサクジャナイ……

          創作大賞2023 ……気になるけども、私は現実で起こった事をそのまま書いている人間だからそもそも参加権限がない悲しみ🫠ソウサクジャナイ……

          とりあえずは現在に至るまでの自伝を書く予定で……それ以降は 「この人生を歩んだことによって出来た人間はこう感じこう考えて生きている」 という私の現在の色んな事象に対しての思考を綴るつもりです。

          とりあえずは現在に至るまでの自伝を書く予定で……それ以降は 「この人生を歩んだことによって出来た人間はこう感じこう考えて生きている」 という私の現在の色んな事象に対しての思考を綴るつもりです。

          毒親に捧げた四半世紀②

          保育園編 写真は私本人のもの、当時5歳かな。 いつぞやの家出中に誰も居ない隙を見計らって実家に忍び込んだ時に撮って来たもの😇 父の転勤が決まった先は同じ県内だったが母方の実家(以下、祖母家  父方は祖父家)と同じ市内。 どういう流れでそこに建てたのかは聞いた事がないから分からないけど、私からする「実家」という名の戸建てを建てての引越しだった。 まぁこの建設にあたっての人脈が、まず私の人生をおかしくさせた発端でもある。 が、とりあえずは話を続けようね✋ かなりあとになっ

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          毒親に捧げた四半世紀②

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          毒親に捧げた四半世紀①

          誕生〜幼稚園編🐥8月初旬、オリンピックの閉会式中に第1子長女として夕方頃産まれた。 その日の夜中に停電が起こって大変だったと聞いた事がある。 家族写真を見た記憶では両祖父母も私を満面の笑みで抱いていたり、父と母も幸せそうに私を抱いてた。 でもその産院での私を抱いた記念写真以降で両親揃った写真を見た事がない、離婚している訳では無いがほぼ破綻した夫婦関係。 私の誕生後から少しずつ円満だった歯車が狂って行ったんだろうな。 でも、この頃はごく普通のありふれた家庭だったと思う。 2

          毒親に捧げた四半世紀①

          毒親持ちが毒親持ちに向けてエールを。

          自伝を語り始める前に、まずはなぜ記事に書こうと思ったかを話しておくね。 ちょっと話し言葉じゃ書きにくいからこの先、この記事だけ堅苦しい言葉を使うよ😂 どんな経験をして、どんな想いで、どう乗り越えて、今に至るのか。 そして乗り越える為に手を貸してくれた恩人らのお陰で生きている訳で、今度は私が誰かに手を貸したい。 私の人生が 今苦しんでる誰かの心を少しでも軽くしたいという、傲慢なエゴの塊から書く。 数年前から流行りだした「親ガチャ」という言葉、育ててもらう側である子供が使う表

          毒親持ちが毒親持ちに向けてエールを。

          毒親産まれ、毒親育ち、人生谷だらけでつらぽよパーリーナイ🐥

          初めまして、karasu.* と名乗ります。 …と、堅苦しいのは苦手なので砕けて行くわ✋ 誰かに向けたメールのような、そんな感じで書いて行く。 現在進行形で毒親に苦しめられて足掻いてる仲間居る〜? ワイはどうにか一方的にではあるけども、ほぼ絶縁状態まで持っていけた側の人間になれたよ〜! 現在26歳に至るまで色々あったことを話していくつもりだから興味があったら読んでみておくれ。 毒親に限らず、周りのクソな大人、同年代、社会の仕組み、生き辛さを感じた全てにどう立ち向かって…

          毒親産まれ、毒親育ち、人生谷だらけでつらぽよパーリーナイ🐥