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毒親に捧げた四半世紀④補足
小学校中学年編の補足
読み返してみると足りない部分があった。
記憶が曖昧だからどちらかは分からないけど、3年生か4年生のどちらかの夏頃に母親が乳癌発覚。
右乳房摘出手術を伴う大規模な案件。
手術をする為の入院、抗がん剤での治療、注射や投薬により何度も1~3週間ほどダウンしてしまう。
そんな状態だと娘2人の世話も出来ずほとんど布団で一日を終える。
それを支えてくれたのは車で5分の距離にある母の実家である祖母家。
祖母家は祖父、祖母、母の姉である叔母(離婚して息子2人を連れて同居)、従兄弟である兄(8個上)と弟(3個上)。
ダウンしてる間は祖母家に預けられそこから祖父の車送迎にて小学校や習い事に通った。
癌が発覚する以前からも習い事の無い放課後や週末には頻繁に遊びに行って夕飯を一緒に食べたり、祖母を連れて温泉や飲食店…買い物等に行ったりと交流があったし、週末はそのまま泊まったりしてたから長期間のお泊まりはむしろ嬉しかった。
だって母親に怒られないし、実家だと買って貰えない家庭用ゲーム機や漫画を従兄弟が好きなだけ使わせてくれるし一緒に遊んでくれる、少しでも怪我しようもんなら兄が駆け付けて絆創膏を貼ってくれる。
読書が好きだった私は学校の休み時間はほとんど本を読んでいて、放課後は1分でも早く帰宅を促されていた為 「友達と遊ぶ」という経験がない。
そしてテレビを見れるのも習い事の無い木曜、土曜の夕方、日曜。
友達がテレビアニメやジャニーズの話で盛り上がっていても、見た事がないから会話にならず余計に本に逃げた。
当時の自分はそんな状況でも「寂しい」という感情をしっかり感じた事は無かったけど、従兄弟達が私に合わせて面倒を見てくれたり…会話を合わせてくれたりして…「この家に生まれたかったな」と何度も切に願うほど居心地が良かった。
そう感じるということは、寂しかったし苦しかったんだと思う。
だから母が少し回復した小4の夏休み開始直後、私を怒鳴りつけた挙句 母が妹だけを連れて隣県まで遠出で遊びに出た際に、祖父に電話で「迎えに来て欲しい」と伝え、夏休みを終えるまで家出をした。
この後も何度かこういうプチ家出をするのだけど、大人になってから聞くと当時の事を祖母は「あんたは嫌な事があるとすぐ逃げる」みたいな感じで話す。
ずっと優しかったし、色んなことを聞いてもしっかり向き合ってくれるし、お裁縫を教えてくれたりしてたけど、内心は違ったんだなぁと少し辛い。
母に辛く当たられる、叩かれる、怒られる、と当時から祖母にも叔母にも祖父にも隠すこと無く伝えてたんだけど、祖母だけは昔からつい最近までずっと「親子なんやけん仲良くしなさい、なんで出来ないの」と言われてた。
ここ数年でようやく折れたのか納得したのか分からないけど認識は変わったみたいだけどね、それは後々話すよ。
叔母は早々から「あの子(叔母からすると母は妹)は昔から自分勝手だし人の言うこと聞き入れんからそうなるよね」と理解してくれてたのは有難かった、でも特にどちらの肩を持つでもなく常に中間。良くも悪くもクッションになってくれてた。
そして祖父。
私の人生において一番の理解者。
祖父が居たから今私は生きている。
愚痴をこぼしべそをかく私に
「しんどくなったらじいちゃんに電話しなさい、迎えに来いって言ったらいつでも行くから。」
だからあの時も、あの時も、あの時も、祖父に電話をかけて助けてと伝えた、それに毎回応じて助けてくれたのが祖父。
親子だから愛し愛されて当然、それが普通、なんて固定観念無く「私と母」がどういう関係性で、どういう状況で、孫は泣いてるのか。
私の話を1度も否定せず、ずっと真っ直ぐ味方でいてくれた。
なんであの時家出してきたのか?と祖母や叔母が疑問になって私に聞いてくることがあるが、答えはいつでもひとつ。
「祖父が助けに来てくれたから」
まぁそんな感じ、この後も何度か祖母家に私が「避難」するんだけど、何故 行き先が祖母家なのかって理由は説明できたかな。
ちなみにこの小4の夏休みの最終日、叔母に付き添ってもらい謝りながら実家に戻ったんだけどね。
(私が謝る必要性は無いと思うんだが)
9月1日の朝、登校しようと玄関を開けたら……
自由研究で作った千羽鶴が燃やされて灰になってました😇🙏
いやぁ、ショックだったね。
泣きながら学校行ったし、先生も「母親に燃やされた」って説明受けて混乱してたもん。
事実伝えただけなのに宿題やってないから言い訳してる疑いかけられて不愉快だったね。
家出中に針と糸の扱いを祖母に教わりながら鶴を繋げたからさ、見本として1本だけ祖母が実演しながら教えてくれたわけで。
それを聞いた母は
「1~10まで全て自力でやってないからこれは自由研究として成立してない」
ってこじつけで燃やすに至ったらしい。
今思えば燃やす理由を何とか捻り出しただけだろって感じなんだけど🙄
ま、そんなこともあったよって話ね。
では今度こそ中学年編終了。
今書いてるのは母と私の関係性に視点を合わせてるから、それを書き終えたら妹との出来事を別に書こうと思ってるよ。
だから小3で妹を殺しかけた話はまだまだ後回しって事で✋
出来事が多すぎて書ききれないのよ、我ながら濃すぎるな人生(૭ ᐕ)૭
そんじゃ高学年編で会いませう、どろん!