マガジンのカバー画像

夫婦・親子・家庭・家族「マジビト」

115
「生ぐさボウズ」の中から、夫婦・親子・家庭・家族についての記事をまとめています。
運営しているクリエイター

#生きる

生きることはフロンティア

生きることはフロンティア

20201107

妻は一度も就職したことがない。

多少のバイトと、鍼灸の師についていたことはあるが、企業で勤めたという経験がない。

そんな彼女の、企業で勤めたことがない経験なり実感は、とても尊いものなのかもしれない、とふと思う。

このところバリバリ働く女性陣とコミュニケーションをする機会が増えて、よりそんな気がする。

妻と一緒に本格的に仕事をするようになった期間は1

もっとみる
娘は命のままに生きてる

娘は命のままに生きてる

20201010

ひさびさにういが熱をだした。

それで今日一日予定していたことをキャンセルして、看病している。

といっても、ういは全く元気なので特別なことはしていない。遊びの誘いにつきあいながら、どうにか昼寝をしてくれないものかと画策している。

居間にふとんを広げて、ゴロゴロしながら遊ぶ。そうしていると、娘もゴロゴロしはじめる。よしきたと寝る流れにもっていこ

もっとみる
ありがとうと余計なお世話

ありがとうと余計なお世話

20200913

子どもは親をえらんで生まれてくる。

そのてのことばの並びが僕は苦手です。食べようと口にしてもはきだしてしまう感じがある。

生んだ者たちと生みおとされた者。

親と子の関係っていうのはそれ以上でも以下でもない。

親と子ほどに、ドラマティックで、感動的に、暴力にみちた間柄を、僕は知らない。そこに甘美な夢はない。

自分のあずかり知らないところ

もっとみる
堂々と生きるあつまり

堂々と生きるあつまり

20200729

妻とおなじく、僕の実家も不仲。

というと、「夫婦なんてそんなもの、大げさ」みたいなリアクションあったりする。
わかりやすい暴力にはさらされていない。

だれがどう考えようと好きに、自由。
ただ、すくなくとも僕は、そういう“普通・当たり前の暴力”には屈したくない。

両親はしょっちゅう、どなりあっていた。

母親がキレる。我慢の限界に達すると父親がキレる。それ

もっとみる
対等 (手塚治虫『ブッダ』)

対等 (手塚治虫『ブッダ』)

20200521

コロナで家の中にこもっている間、手塚治虫『ブッダ』を読んでいた。

妻は大学3年生の就活のころ、思い悩んでいて、その時に『ブッダ』を読んだらしい。
そして、畜生界に堕ちたナラダッタの真似をして4足歩行をしている時に、「私は就活しない!鍼灸師になる!」と決めたらしい。

 「俺は妻に絶対服従だから」とよく言っている人がいた。なぜか誇らしげにそう言って

もっとみる
ださかっこわるいこと

ださかっこわるいこと

20200520

会社をやめた僕の仕事の一つは、妻の経営する鍼灸院のマネジメント(自称マジビト:仕事としてでなく、本気(マジ)をうけとめる人ってことで)。

それで、上のようなことになった。

それに対して、妻のツイート↓↓↓

ただしいこと おもしろいこと せきららであること ふかくみつめること

ただしいこと おもしろいこと せきららであること ふかくみつめること

20200520

今日ふと書きたくなった文章があった。
ざっと書いてすぐに妻にみてもらった。

僕「どう?」
妻「大事なこと書いてあると思う」
僕「おもしろい?」
妻「おもしろいかっていうと、正しいかな」
僕「ああ、それは何かちがうね、うん」

先日妻が書いた文章を読んで感想をきいてもらった。

僕「恥ずかしい感じだね」
妻「曝けだしたつもりではいるよ」
僕「

もっとみる
いちばんのりかいしゃ (坂口恭平『躁鬱大学』)

いちばんのりかいしゃ (坂口恭平『躁鬱大学』)

20200519

坂口恭平さんの『躁鬱大学』最終回を読む。

自分のこと、妻のこと、が書いてある、と焦る笑

僕にとっては妻が理解者/編集者で、妻にとっては僕なんだと、勝手に思う。

夫婦で、お互いを編集しあう関係って、前例があるのかな。
基本的にはスーパー風通しのいい間柄だけど、距離が常に近すぎる分、淀んでしまった時に困ってしまうから、知りたい。

躁状

もっとみる