堂々と生きるあつまり
20200729
妻とおなじく、僕の実家も不仲。
というと、「夫婦なんてそんなもの、大げさ」みたいなリアクションあったりする。
わかりやすい暴力にはさらされていない。
だれがどう考えようと好きに、自由。
ただ、すくなくとも僕は、そういう“普通・当たり前の暴力”には屈したくない。
両親はしょっちゅう、どなりあっていた。
母親がキレる。我慢の限界に達すると父親がキレる。それをくりかえしていた。
教師だった父親がうつ病になった。
寝ている父親に母親がヒステリックにキレていることだけが印象にのこってしまったような家庭環境だった。
父も母も、お互いに対して関心がなかった。
いや、自分の思い通りに相手をうごかしたいっていう関心はあった。
それぞれがどう思っていて何を大事にしたがっているのか、ってことへの関心はなかった。
自分の成長過程におけるトラウマを意識したのはしばらく経ってからだった。
妻も実はそうだったことも、すごく最近知った。結婚してから。
ずいぶんとビクビクしながら、日々をすごしていたなあと、自身の姿をふりかえって思う。
娘には、生きてるだけで十分と思う一方で、
堂々と生きることを満喫してほしいなあと、余計なお世話ながら、父親としては思っている。
そのため、ってわけじゃないけど、ある時期まで一番近くにいる父と母が、
堂々と生きることを満喫していて、そいつらが集まっている家庭をつくりたいなあと、
思っています。
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