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【感想】わたしたちが光の速さで進めないなら ~巡礼者たちはなぜ帰らない~
お手軽な異世界転生
本書は韓国SFの短編集だ。昔の僕なら
「作品が面白いか否かに作者の国籍は関係ない!」( ー`дー´)キリッ
とのたまったかもしれないが、「三体」や「高い城の男」という海外の名作SFを読んだ今、その考えは誤りであることが分かる。
SFには僕たちが生きる今の社会が投影されている。舞台が未来だろうが、外宇宙だろうが、そこに描かれる社会は、「今よりこうだったらいいな」「今よりこうなったらイヤだな」「今も未来も社会の本質的な部分は変わらないな」という現代社会との比較で生まれたものだ。韓国という近くて遠い世界で生きる人たちが見ているものを、この本は教えてくれる。そういう意味で海外作家のSFを読むことは、ちょっとした異世界転生みたいなものなのだ。
で、この本は面白かったのか。結論から言うと、これを書いている現時点で、僕はまだ本を読み終わっていない。
じゃあ感想なんて書かずに読めよと思うかもしれないが、この本は冒頭にも書いた通り、短編集だ。読み始めたときは1編ごとに感想を書いていこうと思っていた。しかし最初の1編「巡礼者たちはなぜ帰らない」があんまり良いもんで、つい1編の感想で2500文字を超えてしまった。ということで、ここからは短編集のうちたった1編についてを語っていく。
(ネタバレ満載になるので注意)
巡礼者たちはなぜ帰らない
巡礼とは、日常的な生活空間を離れて、宗教の聖地や聖域に参詣し、聖なるものにより接近しようとする宗教的行動のこと
上にWikipediaの「巡礼」を引用したが、この小説における「巡礼者」たちが巡るのはある特定の宗教の聖地ではない。彼らが目指すのは「地球」だ。
こう書くと「おっ宇宙旅行たぁ、いかにもSFだねぇ~」といった印象を受けるが、実際にはこの小説では地球を目指す手段やその行程は殆ど描かれない。主題はあくまでタイトル通り「巡礼者たちはなぜ帰ってこないのか」である。巡礼者とは誰のことか、タイトルの問は誰にあてたものか、これを感想がてら考察していく。
あらすじ
話の舞台は地球ではないどこかにある村。そこに住む人々は幸福で満たされており、ここでは差別も争いも全く起こらない。SF好きならこう聞いただけで「ディストピア」ものか?と勘ぐってしまうだろう。僕もそうだった。結論から言うとその予想は間違っている。この村は「ディストピア」ではない。どころか、完全な「ユートピア」といっても過言ではないのだ。
この村ではいわゆる成人の儀式として、地球へ行き、そこで1年を過ごす。これを村の人々は「巡礼」と呼んでいる。そして巡礼に出た人間の半数以上が地球での定住を選ぶ(=帰ってこない)という。
ここで、この話での地球がどんな状況なのか簡単に書いておく。といっても、正直現代の地球と(少なくとも人間の本質的には)さほど変わらないのだが。
時代は今より100年以上未来である。現代との最も大きな違いは、発生段階で遺伝子を操作された「新人類」と呼ばれる人種が存在していることだ。新人類は、健康で、聡明で、容姿も美しい(そうデザインされているから当然だ)。新人類は既に旧人類(遺伝子操作を受けていない僕たちのような人間)よりも政治的に優位なようで、旧人類は荒廃した地域に追いやられてしまっている。やはりというか、残念ながらというか、新人類による旧人類への差別が行われている。
つまるところ、肌の色、性別、生まれた場所、言語、宗教……に遺伝子操作という新たな要素が加わっただけの、いつもの人類がこの地球には住んでいる。
(この感想の本題とはずれるが、主人公たちの村は、遺伝子操作の主導者がデザイナーベイビーだけを隔離して、一切の不幸が存在しないようにしたものである。これは、差別を無くすためには、これまでの人類社会と完全に断絶しなければならないという筆者の考えによるものだろう。)
巡礼者とは誰のことか
というわけで、タイトルをかみ砕いて書くと
「巡礼者たちはなぜ不幸に満ち溢れた地球に住むことを選んだのか」
ということになる。
話の最後に、この村に住む少女がこの謎についての持論を述べる。
地球へ向かった私たちは彼らと出会い、多くは誰かと恋に落ちる。そしてわたしたちはやがて知ることになる。その愛する存在が相対している世界を。その世界がどれほどの痛みと悲しみに覆われているかを。愛する彼らが抑圧されている事実を。
(中略)
愛とはその人と共に世界に立ち向かうことでもあるってことを知ってたのよ。
つまり、この話の題名で投げかけられた問いへの答えはこうだ。
「愛する人のために。」
……いや陳腐だといわれたらその通りなのだけど、でも僕たちはこの答えと向き合わなければならない。なぜなら上述の通り、この話で差別と不幸渦巻く地として描かれた地球は、僕たちが生きるこの地球と何ら変わらないからだ。
これだけ技術が進歩しても、差別はなくならない。SNSで世界の人々と交流が取れるようになった結果、個人が世界からの攻撃に晒されることさえある。さらに言えば僕たちには帰れる「幸福な村」は存在しない。
ここまで書けば、冒頭の巡礼者とは誰のことか、タイトルの問は誰にあてたものか、という疑問の答えは明白だ。どちらの答えも「地球に生きるすべての人」だ。
この短編はそれ自体が問なのだ。それは僕たち読者に対する「何故この世界で生きていくことを選ぶのか」という問い。
もちろんこの世界が最悪で一欠片の幸福もないなんて言う気は無い。僕個人の話をさせてもらえば、仕事はきついが食うには困らず、友人も多い。そこそこ幸せな人生だ。でも一方で、視点を世界に広げてみれば、この世界に悪意が蔓延っているのも事実だ。歴史を勉強すると、人間ってなんて醜く愚かなんだろうと悲しくなる。テレビをつければイスラエルの攻撃でガザ地区の子供が死んだというニュースが飛び込んでくる。それでも僕は友達と酒を飲み楽しい時間を過ごす。死にたくなる。
日々の労働で普段そんなことを考える余裕がないが、ここまで書いていて気づいた。僕は、世界に、人間に期待したい。不景気とか政治の腐敗とかそういうレベルじゃなくて、この世界とそこに生きる僕たちは美しく素晴らしいって胸を張りたい。じゃあ、人間の美しさの源ってなんだ?僕たちが愚かで、醜くて、間違いを犯しても、ぞれでも生きていく理由ってなんだ?
その問いへの答えも、きっとこうなのだろう。
「愛する人のために。」