あゆたろうの笑顔は世界を救う、の考
動機
あゆたろうこと、NGT48の中村歩加氏は、持ちネタで「笑顔で世界を救う」と概念を持っている。しかし観想的に見える。テレビ上では、カットされると言っていた。
しかし、私から見ると、概念的に面白い所があり、概念を哲学的にアレンジしなおすことにした。人間関係の前提となる世界と人間との関係を定義できる可能性の線から語りたい。あゆたろうさん、すみません。テレビで省かれてばかりと言っているので、再定義をしたいと思います。
あゆたろうの笑顔は世界を救う、の考
(NGT48のメンバー、中村歩加こと、あゆたろうのキャラ性)
あゆたろうは人間である。
人間は世界の中にいる。
そして生まれて、育つ。生きている。
故に世界の現象を捉えている
彼女が「笑顔で世界を救う」には世界を知る事、世界を生きることが前提になる。その為に囲まれている世界を認識し、そのありようを捉える事から始まる。
世界と彼女。
彼女は世界の中に存在している。
「笑顔で世界を救う」の笑顔は彼女の感情である。
感情は笑顔以外に、多くの感情がある。
例えば、喜、怒、哀、楽。笑顔は喜び、楽からくる。
「世界を救う」
「世界を救う」は世界を助けることになるのだろう。
しかし、それはあまりにも宗教的で、観想的な域にとどまる。
例え宣言して、演じてもあまりにも観想的だ。
しいて言うならば、絶望を味わっている人間には効果はあるのかもしれない。
「世界を救う」の別の視点
世界を救うことの別の意味。
それは救ういみでない。世界の中にいて世界の現象をとらえているならば、
その現象を捉えることで、隠れている現象を言葉にしてすくいあげていく意味もある。同時に言葉は隠すことにも使われる。
しかし、すくいあげる事は、世界の事実を見つけることである。
見つけることで語る。公共性を与えることができる。
これらのことを定義してゆくと、世界を捉えることによっての発見がある。
表現すると観想的に停滞しやすい。一部を除いて。
しかし、この概念を内在化させることで、住んでいる世界を認識、捉えることにより、世界の現象を発見して、すくいあげることで語っていけば、「笑顔で世界を救うこと」になるのでないだろうか?
それは自身の感情と共に動く行為となるのだから。
※補足
このアイドルのキャラ性は、「NGT48のにいがったフレンド」(テレビ新潟)というテレビ番組でしてたが、滑るばかりだった。
NGT48はAKB48の姉妹グループで、新潟で活動している地域密着をコンセプトにしたアイドルグループ。