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誰にも言わない【二〇〇〇文字の短編小説 #26】

大学最後の年が近づいた夏、ティムは三人の友人たちとリヴァプールに一軒家を借りた。一カ月ほどロンドンから離れ、リヴァプールを拠点にマンチェスターやリーズ、湖水地方やマン島をめぐるためだ。移動手段にはパディの父親のキャンプ用バンが選ばれた。ティム、パディ、ギャズ、ブレットはいずれも計画性がなく、行き当たりばったりの一カ月となりそうだった。

ロンドンのエルム・パークにあるギャズの自宅前に集合した一団は、予定の九時よりちょうど一時間遅れて出発した。運転はブレットを皮切りに順番で担当する。名前のアルファベット順に一時間ずつハンドルを握るルールを決めたのはパディだ。キングスクロス駅近くのパブで計画を話し合ったとき、公平とも言える妙案を出してきた。

四人は大学に入学したときからの腐れ縁だった。ロンドン生まれのパディとギャズ、イプスウィッチから出てきたティム、リヴァプール出身のブレットは入学の事務手続きの際に親しくなり、すぐに意気投合した。大学生活が始まるとみんなで授業の合間に煙草を吹かしながら他愛のない話をしたり、授業後にパブに立ち寄ったり、長期休暇中に旅に出たり──要は気の置けない仲になっていた。

レモンみたいに黄色いバンがモーターウェイを北上していく。ギャズは羊たちが散らばる田園風景が通り過ぎるのを眺めながら、「この旅行を一生忘れることはないだろう」と思い、キュリオスティ・コーラを勢いよく飲んだ。

リヴァプール行きのバンはビートルズの独壇場だった。「リヴァプールならやっぱりビートルズだろう?」とパディが決め、CDをかき集めてきた。ギャズは、そんなふうに単純明快なパディが好きだった。

大学で初めて会ってすぐに恋に落ち、今では誰よりも愛している。誰にでもフェアで、汚れを知らない少年のように純粋で、歴史上の英雄のように正義感が強いパディに心を引かれていた。アシンメトリーに流した癖毛にも、宝石のように青い瞳にも恋焦がれていた。甘い果物のような体臭も嫌いじゃなかった。

北をめざすバンのなかで「I Want To Hold Your Hand」が始まると、ギャズを除く三人が大合唱を始めた。どの歌声も調子っぱずれだったけれど、ギャズはそれがいいのだと思った。楽譜みたいな常識にとらわれず、ありのままに振る舞える友人たちがどこまでもうらやましかった。

運転手役のティムがうわついた調子でハンドルから手を放し、助手席に座るパディが体を揺らしながらりんごに丸ごとかぶりつき、ギャズの隣にいるブレットは窓の外に向かって大声でわめいている。映画のワンシーンみたいな光景を、ギャズはずっと忘れずにいようと思った。

男の自分が男のパディを愛していること。いくらか寛容な時代になったとはいえ、この友情が壊れそうだから自分の気持ちは誰にも言わないと決めている。一生話すことはないだろう。ギャズの心が少し沈むと「Here Comes The Sun」が流れ始め、太陽の光がバンのなかに差し込んできた。

パディは太陽がまぶしくて左手で目を覆う。大学を卒業しても俺たちの関係は続くのだろうか──いずれ仕事に就いたら距離が離れてしまうかもしれない。でも、強い絆で結ばれた四人の今後について何かを話すのは野暮だと感じていた。あってほしくない未来を考えると、それが現実になりそうで怖い。かじりつくりんごの味の酸味が好きになれなかった。

バンが進むにつれ、四人の口数は減っていった。何度目かの休憩のあとバンに乗り込むと、リヴァプール出身のブレットが沈黙を破った。

「リヴァプールにはホープ・ストリートという通りがある。カトリックの大聖堂と英国国教会の大聖堂をつなぐ道だ。観光客向けに『異なる宗教を結ぶ一本道だから、希望を表す)ホープ"という名前がつけられた』と言う人もいる。でも実際は、地元の商人の名前にちなんでいるんだ」

『リヴォルヴァー』が大音量で流れている。ギャズは煙草をくゆらせ、「じゃあ、俺たちは観光客だから希望の道って由来を信じよう」と答えた。ブレットは曖昧にうなずいた。リヴァプールが故郷だとはいえ、あまり思い入れはない。両親はもう十年近くも前に交通事故でこの世を去っている。伯父の家でときに疎まれ、ときに暴力を受けながら育てられた生い立ちは、誰にも教えたくなかった。

リヴァプールの一軒家に着いたのは夕方の六時すぎだった。道すがら雑貨屋で買った缶ビールで思い思いに喉を潤していると、長旅の疲れも手伝い、ギャズ、ブレット、パディの順番で三人が眠ってしまった。

ティムはリヴァプールの空気を吸ってみようと外に出る。思ったよりこぢんまりとした街を散策していると、ホープ・ストリートにたどり着いた。ひっそりとしている通りを歩き切るまでに三人の売春婦に声をかけられた。ティムは「希望の道」のアイロニーを感じたが、そのことは誰にも話さなかった。

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