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夢の続きを見たくてまた眠る【八〇〇文字の短編小説 #50】

その冬の週末、本当はグリニッジのフリーマーケットをひやかす予定だった僕たちは、結局一歩もフラットを出ずに二日間を過ごした。僕の恋人──大学三年生のときから五年付き合っていたヘザーだ──がずっと寝ていたからだ。

ヘザーは土曜日も日曜日もずっと毛布にくるまって、気持ちよさそうに寝息を立てていた。二日間とも、きちんとした食事をとらなかった。音楽に合わせるようにときどき寝返りをうって、たまに思い出したように起きて紅茶を飲んで、また眠りについた。僕はそのあいだ、リビングでライドの新しいアルバムを聴きながら日本人作家の金井美恵子の小説を読んでいた。

日曜日の十一時ごろ、ヘザーがトイレに起き、リビングに来て煙草に火をつけた。あごあたりまで伸びた髪の、ほつれた糸のような寝癖が目を引いた。

僕も煙草を吸いながら「ずいぶんと寝るんだね」と言った。

ヘザーはゆっくりと煙をはいたあと「おもしろい夢ばかり見るのよ」と答えた。それから僕が読んでいる小説の表紙をちらりと見て、「だから、夢の続きを見たくてまた眠るの」と続けた。

僕は「どんな夢?」と訊いた。

ヘザーは紅茶を飲むためのお湯が沸くのを待ちながら「それが、よく覚えていないの。でも、とにかくおもしろいのよ」と話した。

僕はヘザーに向かって言うわけでもなく「夢の続きを見たくてまた眠る」とつぶやいた。窓の外を見ると、雪がちらついていた。「何か食べる?」と問いかけると、ヘザーは黙ってうなずき、冷蔵庫から林檎を取り出して、大胆に皮ごとかぶりついた。

大急ぎで林檎を食べたヘザーは「また夢の続きを見てくるわ」と言って、ベッドルームに戻った。しばらくしてヘザーが忘れていったやかんの口から音を立てて湯気が出て、そのぼんやりとした水蒸気がヘザーの夢に重なった。

ヘザーはどんな夢を見ているのだろう。食べ終えた林檎の芯がテーブルの上に立っていて、僕にはそれが砂時計のように見えた。

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