2023年7〜9月を振り返る ・ 映画版
映画館に行く時は、季節問わず念の為に膝掛けを持っていくのですが、今年の夏はあまり使いませんでした。
この季節、特に冷房避けに使用頻度が高くなるのが通例なのに、今年は暑すぎて館内冷房すら敗北したのであろうか……。
そんな訳で7〜9月に映画館で観た映画の感想。並びは観た順。
観たこと前提でネタを割っているので、未見の方は読まれる際にご注意ください。
今までの他映画感想はこちら↓から。
『聖地には蜘蛛が巣を張る』
意図した訳ではないんですが、前期から実話ベースもの、かつ弱い立場に置かれた人が虐げられる話を続けて見ています。そのどれもが「現実の方がひどい」のが何とも言えぬところ。
今回の「現実と違う」ところはこれ、「犯人が被害者と性行為をしてた」とこ。パンフによると、殺した16人の内13人と性的交渉を持ったとか。
すごく良い映画なんですが、観ている間ずーっと思ってたのが「なぜ誰も犯人や犯人の妻、犯人の行為に賛成する人達に『そういう女が穢れてるのなら、その女と関係を持った男だって穢れてるじゃないか』と言わないの?」という疑問。
ただ、これが「犯人本人は絶対ヤらない」だったら、少なくとも犯人に対してはその問いも無効か……と思っていたら、やることやってたとは。なんでここ変更したのかなあ。
昔、日本の男子中学生達が「先生を流産させる会」をつくった、という実話を映画化した際に「女子中学生」に変えられた件を思い出しました。「イヤそこ変えると事件の本質が変わってきちゃわない?」と。
この、「そんなんやってる女は穢れ、でも相手した男はキレイ(なんなら悪の誘惑をした女が悪いので男は悪くない、とまでいく)」て発想が諸悪の根源じゃないの、と思うんですよ。
これが「犯人はやってない」だと、ヘンな話、犯人側に一本筋が通っちゃうじゃないですか。でも「穢れ」と言い放つ、それを抹殺するのは神の意思だと言う、そう言いながらその「穢れ」とやることやってる自分(しかも妻子持ち)は完全スルー、ってものすごい歪みです。そこまで盛り込むのは大変かもしれんけど、ここは変えてほしくなかったなあ。
ラスト近くの、独房にいるサイードに「逃がしてやる」て話をしてる時の三人の空気がホモソーシャルに満ち満ちていてうわあ、と思いました。観てるこっち側には、「あ、これ嘘だな、余計な抵抗や外と連絡とって社会運動とか起こされないように言ってるだけだな」てすぐ伝わるところも含めて。
「どうだ女共、やっぱり男仲間は頼りになるな」て態度でサイードが調子乗ってるのに、残りの二人が「ああコイツ本気で助かると思ってんだな、愚かだな、なあそう思うよな兄弟」て感じでサイードを排除した別のホモソーシャルを築いてるのが透けて見えるのも何とも言えない。
ムチ打ちで痛がるふりをしてるサイードも、ここまでくると痛々しい。ここでホントに打っちゃうと、「もしかしたら死刑は本当??」て疑っちゃうものね。
前期に観た『ウーマン・トーキング』でも書きましたが(記事はこちら)、『MEN 同じ顔の男たち』で出てきたように、「加害思想を持つ男を産むのは同じ加害思想を持つ男」なのだということがつくづくよく判ります。上記の不満はあれど大変良映画。
主役を演じたザーラ・アミール・エブラヒミが本当に素晴らしかった。パンフで「私はイランに戻れない身なので」とさらっと語っていたのが印象的でした。いつか戻れる日がくるのだろうか……。
『メランコリア』(ト)
(以下タイトル後に(ト)の記載ある作品はラース・フォン・トリアーレトロスペクティブ2023)
酔 っっっっっ たーーーーーーーーーーーー。
もうイントロからすごい好き。とても好き。なのにもう酔いに酔いまくってむちゃくちゃキツかった。
本公開当時、気がついたら終わってて見逃してしまってたので(トップ写真のパンフは後日古本屋で購入したもの)今回観られて本当に嬉しい。こころから嬉しい。でも酔った……。
もうちょっと酔いすぎてこれについてはマトモな感想が書ける気がしない。でも好き!
「世界の終わり」が近づくにつれ、それまでの「普通の社会」で暮らしていた「普通の人達」であるクレア夫婦と、「普通の社会」で「普通に生きられなかった人」であるジャスティンとの世界への立ち位置が変化していく様が素晴らしい。クレア夫、妻子残してあれはないだろう……。
誰しも思っているように、冒頭のスローモーション映像が震える程美しい。特に倒れる馬と、絡みつく毛糸のような物体をひきずってウエディングドレスで歩くジャスティンが好き。ああ、この安定した動きのカメラで全編撮ってほしかった……!
それにしてもマイケルさんは、一体どういう出逢い〜恋愛を経てジャスティンと結婚しようと決断するに至ったのであろうか(笑)。もともと非常に不安定な人だってことは姉夫婦のやりとりからも判るので突発的にこうなったのではないだろうし、そこ判ってて決めたんじゃないのか??
『ノクターン』(ト)
下の『エレメント・オブ・クライム』と併映。8分。
目に何かの病気を抱えて、闇の中や赤い電灯の光の下でないと目を開けていられなくなった女性が、理由は判らないけど何故か夜明けの飛行機に乗ろうとチケットを取りつつ怖がっている話。
とにかく不穏で美しくてそれだけで充分。冒頭で小鳥を手にした、静止画像にしか見えない主人公が実は静止画像じゃなかった(まばたき全然しない……!)のと、空いっぱいにはばたく小鳥のシルエットがまるで十字型の光のようだったこと、それからベッドに仰向けになった主人公の瞳にカメラが突然きゅっと寄るシーンが、はっと心臓に響きました。
『エレメント・オブ・クライム』(ト)
ああ、ブレのない安定したカメラワークって素晴らしい……!(笑)
彩度を削りに削った黄色味がかった画面に、「我が懐かしのトリアー!」という気分になる。『キングダム』味があるよねこの色合い。
重要なストーリー部分を抜き出して文章で書いたら、割とありふれたよくあるミステリになるこの作品。「うむ、こういう時はこういう立場の人が犯人だね」と思う相手がまさに犯人。「犯人の心情に完全に成り切って足跡を追う内、やってる当人の精神がヤバめになる」とかも昨今のミステリにありそうなパターンです。
それをもうとことん映像美と謎の挿話と不可解な会話で絢爛豪華に彩る。ただただ眼福です。特に水の使い方が素晴らしかった。
キムを演じたミー・ミー・レイ、エキゾチック風味をマシマシにしてこってりメイクをさせた常盤貴子感。非常に好きなタイプの顔です。オズボーンのおうちにいるおちびちゃんが頬ぷっくりでたまらんかわいかった。
エンドロールで「ジャパニーズ・コンサルタント」て肩書きの人がいて、でも名前はどう見ても西洋人で「???」となった。そもそもこの映画のどこに「ジャパニーズコンサルタント」が必要だったのか……??
『エピデミック』(ト)
トリアーくん演技上手いな……?
ざらりとした砂のようなモノクロ画面が美しい。脚本の内容を映像にしたパートが内容も映像も大変好きです。理想に燃える「正義」の人が世界中に疫病をばらまいていく、というのが何とも言えない。
あの、壁にライン引いて脚本全体の流れを考えるところ、良いですね。自分はプロットを全くつくらない人なんですが、このやり方は面白いなと思いました。
おそらくだけどこの映画、もし潤沢な予算があったら全然違う演出や場面になってたんじゃないかなあ。いかにお金をかけずにこの物語内の状況を見せるか、という工夫が面白い。
若き日のウド・キアーが素晴らしく美しかった。この輝く瞳!
それにしても本当に本当に安定したカメラワークって良いもんですね(笑)。
『K.G.F Chapter1』
お母さんその遺言はどうかな……!
ものすごい上昇志向。一体彼女の人生のどこでそこまで強烈な思想が築かれたのか。
それにしてもロッキー子役、むちゃむちゃ良かったですね。あの目力!
すごい勢いでドドドドッとキャラが紹介されたので、ちょっと頭が混乱した。相関図みたいのを画面に出してもらいたかったわ。
見終わった今、ロッキーを直接とりまく敵達の見分け方を自分なりに紹介してみる。
金鉱発見者・スーリヤワルダン(白服・ほぼ寝たきり)
その長男ガルダ(天パのオールバックおかっぱ)
次男ヴィラト(ヒゲイケメンだが覚えなくても無問題)
スーリヤワルダン弟・アディーラ(顔タトゥー)
ボンベイのボス・シェッティ(太ましい)
シェッティの上位ボス・アンドリュース(髪横流し)
その部下・ダヤ(モミアゲ)
政治家グルパンディヤン(白服メガネ・額に赤白ライン)
リナ父・デサイ(覚えなくても無問題)
その部下・カマル(ハチワレ前髪・若い)
ドバイのギャング・カリール(白髪白鬚・中東服)
1も2も、なんか途中で場面がぶつっと変わって話が飛んだようなところがあって、日本公開版はカットされてんのかと思ったけれど、どうもそんな感じでもないですね。もし削ったところがあるなら完全版が見たい。特にロッキーとロッキー推しのシェッティ側近お爺ちゃん・カシムの馴れ初めが知りたい。「叔父貴」と呼ぶくらいなんだからかなりのエピソードがあるんだと思うのよ。
しかしカシムさん、冒頭のつるされロッキーひと暴れシーンで、「ロッキーは無事だぞ」て自信があるとボスのご飯が「クシュカライス」から「ビリヤニ」になるのはなぜ(笑)。
と思い帰宅後に調べてみたら、クシュカは要するに「具の無いビリヤニ」なんですね。ピンチだからさっとつくってさっと食べられるものにしようとしたけど、ロッキーのことなら気にする必要ないからゆっくりのんびりご馳走食べようぜ、てことなのか。
それにしても、ロッキーがリナに惚れるところはあまりにも雑じゃないかと思った(笑)。初目撃の際に何かぐっとくるエピソードでも入ってれば別だけど、「あんたワタシのパパが誰だか知ってるの、パパに言いつけるからね!」的ものいいする女なんかいくら美女でも何の魅力も無いよね。
逆に、リナがロッキーにこころが動くシーンは良かった。「母親は世界最強の戦士だ」って、あれは惚れちゃうよ。
あと、アクションの撮り方がちょっと何やってるのか判りづらかった。動きが速すぎるのかな? 『バーフバリ』や『RRR』では、主役と敵とがどうぶつかりあってどうなったか、というのがすごく判りやすかったんですが。
ロッキー、1と2で前髪を分ける向きが違うんですが、自分は1の方が好き。1の方が前髪分けつつもぱらっと乱れてるシーンが多くて、それがセクシー度と若さ度があるのが高ポイントでした。
2では分け目はあるけどオールバックに近いようななでつけ方で、バチっと整髪されて乱れも少なく、それが「歳をとった」て描写なんだろうけど、やっぱ乱れてる方がいい(笑)。
『K.G.F Chapter2』
「エル……ドラド!」って冷静になって考えてみたら自分は全く取材にはかかわってない、親父とは25年会ってない息子がなんでそんなドヤ顔でキーパーソンみたくセリフ決めんねん(笑)。
更に言うなら、給仕係キミ何ちゃっかり書斎にまでついてきて要所要所で口はさむねん。まあこっちはすごくインド映画っぽいんですが。こういう、ちょっとちゃかし入れながら話進めてくサブキャラ、インド映画あるあるです。
2の頭の辺りでジャーナリスト息子が飲んでる木の模様みたいなのが入ったカップがかわいかった。一瞬だけだったけど。
2で何が好きって、ワナラムが超好きです。こういうキャラ日本人特に大好物じゃないですか?
ラミカ・センも良かったですね。厳しく強く、鋼のごとき美しさ。ラヴィーナ・タンダン、すごい久々に見ましたがいい俳優さんになったなあ。
そして1では微妙だったリナ、2では複雑さが出てきていいキャラになりました。あの、鈍いロッキーに全然遠回しな言い方が通じず、「母になるの」てズバリそのまま言わざるをえなかったシーン、微笑ましかったですね。だからこそ更にその後の悲劇が痛ましくて……。
わたしこの手の、「強ライバルを確実に殺れるところをヘンな義侠心で見逃して、結局後でそいつに最低な目にあわされる」て展開が正直キライです(笑)。
と言うか、正確に言うと「見逃すキャラ」が嫌い。「お前どう見たってそいつ見逃してこの先改心する展開無いから、絶対ひどい目にあうから、なんでそれ判らんかな」てそのキャラに対してイライラしちゃうんですよね。
特に、できるだけ殺さないようにしてる人ならともかく、こんな殺りまくってる人がなんでこの状況でアディール見逃すのか、全く意味が判らないのでほんとイヤ(これの前にアディール側が見逃してるのは明確な理由があるので、それに義理を返す必要なんて無いと思うし)。なんで普通に、「殺ろうとしたがギリ逃げられた」て展開にしてくれんのか。
そしてこのリナとロッキーの別れのシーン、今までむちゃ騒々しかったのが完全無音になったところで、飴かなんかのアルミパウチの袋の音をパリパリ鳴らし出した前列の年寄り男性に軽い殺意を覚えました。ロッキー、先刻のハンマーをわたしに寄越せ(笑)。
なんでそこなんよ。たった今までむちゃうるさかったんやけその時開けなはれよ。画面が無音になったんやから手止めえよ。
だがご当人、エンドロールの第一部が終わる寸前くらいに出ていったので、その後のシーンとエンドロール第二部を見ずじまい。つまりそのお爺ちゃんは、「KGF チャプター3」があったことをこの先一生知らぬまま生きていくんですよ!
ちょっと溜飲が下がりました(笑笑)。ざまあみさらせ。
それにしても正直、ここまで母の妄執にとらわれているロッキー、ちょっと気の毒です。「死ぬ時には富を握って死になさい」て、なんかなぁ……「世界で一番大事な人をつくって、一緒に長く幸せに生き、その人の手を握って死になさい」じゃないのねえ。なんでこの人、こんな若い時分からここまで権力志向なのか。いくら何でも自分の望みを子供に押しつけすぎです。
『キングダム I』(キ)
(以下タイトル後に(キ)の記載ある作品はキングダムシリーズ)
頑張れヘルマー先生……!(笑)
もう味があるにも程がある。そりゃこの人亡き後は続き撮れないと思うよねエルンスト・フーゴ・イェアゴー。
こんなにもムカつくキャラなのに見てるとどんどん好きになっちゃう。絶妙なキャスティング。
その次、いや同じくらいに激烈にいい味出してるのが医師長メースゴー先生。トム・クルーズ似のシリアスイケメンの口から飛び出すあくまで真面目な、だがお気楽極楽太平楽な能天気発言の乱れ撃ち。「朝の空気運動」もう最高。あのステッカー!
しかし何が凄いって、テレビドラマであることがまず凄くないですか。これがお茶の間に流れちゃうデンマーク。しかも視聴率は驚異の50%超え。2軒に1軒はキングダム。どんな国だよデンマーク。
わたしの初回は京都みなみ会館のオールナイト「キングダム・ナイト」で、IとⅡをまとめて観ました。もう最高の夜であった。
その時の体験はこちらの記事↓にございますのでぜひ。
それにしてもわたしは初見ではないので、もう冒頭からたまらん可笑しい訳ですよ。ヘルマー先生が画面に現れただけで面白い。とは言えさすがに最初の登場シーンで笑うのは耐えましたが、友愛会の入会儀式とか「デンマーク人はクズだ!」辺りはもう余裕で笑っていいだろう、と思う。
でも初見の人はどうも「このどぎつさ、コレに笑っていいのかな……?」と思うみたいで、前半の方では周囲にほぼ目立った笑い無し。
が、「あ、笑って大丈夫なのね」と気づいてからは、逆にやたらめったら声あげて笑う人(ほぼ20代〜30代男性)が増えて、それもいささか何だかなと思う。
モナが病室を赤絵の具まみれにしたシーンとか、オーエがユディットの腹の子の父親と判明するシーンなんて、特に笑いどころなくないですか? そもそもモナって笑える存在ではないし、マリーもすごい不幸な子供で、でも彼女のシーンで笑うんだよね。別に怖がれとは言いませんが、ギャグ的要素も何ひとつない気が。
この映画に限らず、例えば今ほどインド映画がメジャーではなく、「インド映画は突然歌って踊るヘンな映画、泥臭いB級映画」て認識の方が多かった頃には、主人公が悲惨な目にあってても「ここで笑っちゃう判ってるオレ(女性がゼロとは言わないが何故か男性に多い)」的な観客が多かったものですが、自分はちょっとイヤですね。
そりゃ本気で面白いならいいんですが、『キングダム』前半にだってお笑いポイント山のようにあったのに、そこでは笑ってない時点で「その笑いガチ笑い?」とうがったまなざしで見てしまう。「ここで笑う自分アピール」の為に、わざわざ声高くして笑わなくてもいいですよ。
なお、トップ写真の左端に写っているのは公開当時の『キングダム I Ⅱ』パンフレット。特に Ⅱが情報満載ですごく良い。シナリオまで再録されている。
昔のパンフってシナリオ再録多かった(なのに安い)ですが、今はもうどこもやらないですね。好きなんだけどなぁ。
ちなみに耳にべったりとこびりつく「キングダムのテーマ」、こちらです!
Apple storeにもあったので速攻で買いました。大好き!
『カード・カウンター』
ウィリアム……(涙)。
カークは家族を破壊された自分が大佐に復讐したいように、自分だけに罪を押しつけた大佐にウィリアムはきっと復讐したいに違いない、と思って近づくのだよね。
でもそうじゃない。
ウィリアムは判ってる。確かに命じたのは大佐、でも実行したのは自分。実行したのだからそれについての罰が課せられるのは当然で、他人がその人の行為で罰を受けようが逃れようが自分には無関係。
明らかな悪事を行なってしまった時、人はその理由を自分の外に求めたくなるものですが、ウィリアムは違う。刑期を終えても、彼の中での「償い」は終わっていない。部屋を無彩色にし、娯楽を削ぎ落とし、他人との関わりを絶って修道士のように日々をすごす。
その勁さはある意味では脆さでもある。硬すぎる板がぱきんと簡単に折れるように。
そんな中で出逢ったカーク、彼を救うことはウィリアムにとって「自分を救うこと」と同じ。
あの地獄に似た空間で、大佐もウィリアムもカークの父も「ティルト」した。その結果はそれぞれ異なるけれど、どれもが「自分のティルト」がもたらしたもの。だから「父のティルトの結果」を大佐に求めることは意味がないし、それをカークが背負う必要もない。
短い旅の間にカークはきっとそれを理解してくれたんだと信じていた、けれども違った。
「一緒に来てほしかった」。
そう、確かにそれぞれの人の行為の責任はそれぞれの人に在る、けれど共に罪を行った加害者である人間に対して、「あいつが罰を受けるかどうかは自分には無関係」と放置するのは、それも一種の「責任放棄」ではないかしら。
自分のティルトの結果は自分で受けて、他人の結果はどうでもいいと思っていた。けどそうじゃない。何故ならその人のティルトの為に傷ついた人達がいるからだ。それはあの「地獄」にいた囚人もそうだし、カークのような立場の人もそう。
もしも大佐が父親やウィリアムのように何らかの罰を受けていれば、カークはあんな行動に走ることはなかったかもしれない。それを「自分は自分、他人は他人」で放置してきた、その結果があの悲劇を生んだのだから。
公園での手つなぎシーン、きゅうんときましたね……!
あれがもういい年の、それなりの経験も経ている大人同士のそれであることがなおさら良い。ある意味で初恋に似た、自分の中の大きな何かを乗り越えて指を伸ばす、そのぎこちなさ。
あれがあってのラストの「アクリル板越しの指タッチ」。触れ合わせるのは一本の指先だけで、他の指や手のひらをべったり合わせようとはしない。細い一本の糸の上に乗った繊細なこころと体の触れ合い。
オスカー・アイザック、スターウォーズの時には見た目何とも思わなかったのに、今回もう痺れる程に格好良くて見惚れました。一糸の乱れもなくぴったりなでつけられたグレーヘア、深く落ち窪んだ目元に黒々と漂う憂愁。ステキ。
途中でラ・リンダが「この試合の時はウチのオフィシャルTシャツ着てもらうから」てなこと言うので、どピンクとか萌えキャラプリント付いてたりして着用拒否してもめるか無理に着てメンタルから試合が不調になるのか、と想像してしまった(笑)。この顔にラブリーTシャツとかダサいクリスマスセーターとかむしょうに着せてみたい。
『キングダム Ⅱ』(キ)
今回IとⅡをほぼ四半世紀ぶりに見返すにあたり、自分の脳内ではっきりくっきり覚えていたストーリーがほぼ「I」の方だと判りびっくりしました。「I」の物語が脳内でもっとずっと長く引き伸ばされてた。見始めたら思い出せたんですが、それまではすっぽり抜けていた。
多分ですが、自分にとって物語としてより魅力的だったのが「I」だったからかなあ。「Ⅱ」では大好きメースゴー医師長がちょっとメンタル病んでるし(だがそんな状況でも相変わらず脳の底がどん抜けてるのがステキ)、クロウスホイ先生やマリーの出番がかなり減ってるし。
でも一番好きなヘルマー先生は相変わらず絶好調(笑)。打つ手打つ手がすべて裏目に出るこのスタイル最高です。ボルボが返ってきて、伝票を渡す人が実は執行官だと初見ではない自分は判っているのでものすごい可笑しいんだけど、ここで笑ってしまうとネタバレになってしまう、と必死にこらえました。でもそのシーンの次の瞬間、車がぶち壊れるところでは遠慮なく笑った。
ボンド先生も好き。まず顔が好き(笑)。研究バカなところも好き。Ⅱでは「世界一の肉腫の持ち主になりたい」みたいな雑念が出てくるのでそこはちと残念ですが。
あのハイチのゾンビ薬、結局どういう作用をヒトに及ぼすのか謎のままでしたね。クロウスホイ先生、甦ったけど闇落ちはしてるもののゾンビ感全然無かったし。
しかしユディット、どこまでも不幸だわ……。
それにしてもこの、「ただならぬ恐怖と暴風雨のごときギャグ」が同時にまとめて襲いかかってくるのがこんなにも面白いとは。どちらもがここまで極まっているの、自分の記憶内では他に無い。コワ面白い、て最高の娯楽だな。
あー、『エクソダス』が楽しみ!!!
『キングダム エクソダス<脱出>』(キ)
四半世紀の時を経てまさか完結編が観られるだなんて。感激。
自分がこの日をどれ程待ちわびていたかと言うと、『スティーヴン・キングのキングダム・ホスピタル』をDVDで持っているにもかかわらず、「本家は終わっていないのに終わっているのが嫌だ」という理由で見ずに封印していたくらいです。もう一生見られないと思ってました。その内時間をつくってなごやかな心持ちで悠々と見ようと思います。
前2作から続けての役者さんが何人もいて感慨深い。モナちゃん、大きくなったわあ。
ユディット役の人が全然変わらなくてびっくり。相変わらず綺麗だぁ。クロウスホイの目力も変わらず。モッゲのおじさん化がすごかった。キャップ逆かぶり似合わねえ……。
役者は別人だけど、自信満々の癖に頼りにならないいかがわしいスウェーデン弁護士を、前作のステラン・スカルスガルドの息子・アレクサンダーが演じているのが面白かった。どうせならヘルマー先生も、と思いましたが該当するような人がいなかったのかな。
しかしこうしてみると、改めてヘルマー先生(父)のキャラ造形は素晴らしかったと感心する。
勿論、役者自身の力量もあります。でもヘルマー父の何が良いって、とことんまでにどクズな性格にもかかわらず、その悪意に満ちたふるまいがことごとくすべっていくのが最高な訳です(まあモナとその家族にはクリティカルヒットしてるんでそこだけは本当に気の毒なのですが)。
とにかくヤな奴、だからどれだけひどい目にあおうがこっちも安心して笑ってられるし安心してヘルマー先生(父)を好きになれる。
でも今回のヘルマー先生(子)はちょっとなぁ。何せあのセクハラ疑惑がねえ。確かに多少のスケベ心は見せた、でもあれハニートラップだし、全くスケベ心無しのところでも陥れられてるし。ちょっと腹の底から笑える感じにはなりませんよね。まあ仕掛けてるのは悪魔側だからヒトの倫理は通用しないのですが。
でもイケアの家具が組み立てられない先生(子)は好き(笑)。
全体的にもそんな感じで、今回は前2作に比べて笑いも怖さも弱かった。
とは言えそれは、キリスト教なんかの一神教の「神と悪魔」「神の国と地獄」的感覚の弱い日本人の自分だからかもしれませんが。
前2作は「個人の恨み・怨念」が、古い因果を持つ土地に立った病院と同調して現世に悪影響を及ぼしていく、いわば「怪談」。
多分、多神教的日本人がより「怖い」と感じるのってこっちなんですよね。「悪魔が現世に降臨して神のつくった人間の世界が脅かされる」よりも、「人の悪意で不幸になった人間の恨みが現実に放出される」方が怖い。
まあ何はともあれ、完結したのは本当に喜ばしい。しかしこれまで長年の時間をかけて数々の人が重ねた努力が全部無になるとは。最後の最後でなんかバカっぽい、笑える逆転が起きてひっくり返るのかな、と思ってたので、まさかカレンまでもがあんなことになるとは思いもしませんでした。しかしあの車を手配したのは一体。「主」?
すべてが崩壊したキングダムに、ウィレム・デフォーに恭しく案内される「主」。イヤもう本当にやりたい放題ですよトリアーくん(笑)。
しかし前2作、本当に日本で愛されていたのねとつくづく思った。トリアー監督ありがとう。
自分もデンマーク行く機会があって、あんなツアーがあると知ったら間違いなく参加します。「ここがマリーが最初に現れたエレベーターです」最高!
前2作の時に「よくこんな話の撮影に快く使わせてくれたなこの病院」と大変感心したものでしたが、冒頭に「あのドラマのせいで評判が悪くなって」てボヤキがあって笑いました。まあこうして最新作にもばんばん使わせてくれ、ラストの大崩壊もオッケーしてるくらいなんで、ほんとは病院側もノリノリなんでしょうが。デンマーク人面白すぎる。
たいそう嬉しいことに、11月にwowowでシリーズ全作放送が決定。録るぞ!
来年ですが、3作まとめたBlu-rayボックスも出ますよ!
『シベリアからの手紙』
下の『ラ・ジュテ』に併映で観ました。
ロシアの大地は広大で美しいな。突如アニメになったのはびっくりしたけどかわいかった。CMが好き。
異国の地をあくまで異邦人として撮るのが良いな。
『ラ・ジュテ』
スクリーンでは二度目かな。何回観ても良いです。
『12モンキーズ』を先に観て、ずっと元ネタを観たい、と思っていたので初見の時は嬉しかった。
取り立てて特別なセットも無いのにこの漂う退廃未来感。美しい……!
『アウシュヴィッツの生還者』
ベン・フォスター凄すぎん……?
最初一瞬、「あれ、収容所時代は別俳優なのか」と思ってしまった。衝撃的な肉体制御。
ただ痩せた太った、じゃないんですよ。ガリガリに痩せているのに「成程、強そう」と思える絶妙に筋肉の残った、かつやつれ感のある肉体。プロボクサー時代の引き締まったボディと、引退した後の「恰幅のいいおじさん」体型。
今時はこういうの、「俳優の健康に配慮すべきだ」みたいな意見もあるんでしょうが、しかしこの炸裂するプロ魂にはもう感服しかありませんね。目の前の肉体の絶対的な説得力。外野の素人が簡単にどうこう言っていいもんではない。
とは言え「28キロ痩せて収容所時代をやった後に5ヶ月で元に戻して14年後を演じた」と聞いて、いや「14年後」を先に撮ってあげれば良かったんじゃ……とちょっと思った(笑)。短期間で28キロ減らすのと増やすのでは、なんとなく後者の方が健康によろしくない感じがするんですが、どうなんでしょうか。
良い映画だったんですが、過去映像を白黒にするのはどうなのかと少し思った。彼女とラブラブなところも白黒だったので、別に「彼にとって色の無い時代だった」て表現ではないと思うんですよ。
こういう情景で色を抜く、ていうのは何て言うのか、生々しさや切実さの実感、当事者感が抜ける感じがする。見てる側の負担を取り除く為に抜いてるような。確かにこれをフルカラーでやられたらかなりキツいとは思うんですが、そこはそれで良いんじゃないかと思うんですよねえ。
それにしてもつくづくヴィッキー・クリープスにはこういう役が似合う。こころに深い屈託を抱いた孤独な男の魂の隙間にするっと入り込んで寄り添いながら、自らの芯の強さを決して手放さない。
ナチス親衛隊のビリー・マグヌッセンも凄かった。あの端正な顔つきと冷静な言葉運び、その理性的な姿が一変して獣のごとき本性が露わになるリング脇での狂気の叫び。背筋がひんやりします。
そしてパンフや公式サイトでは完全スルー扱いですが、お兄ちゃんの彼女のルシュカ、むちゃくちゃ良くないですか……? 社交クラブと結婚式での歌シーンが素晴らしかった。すっくと伸びた背筋、張りのある伸びやかな歌声、堂々と人を見つめる凛としたまなざし。「傷のなめあいか」みたいなことハリーが言ってましたが、イヤもうこの歌ってる姿だけで結婚申し込んじゃうよ自分なら。
「本人歌唱っぽいがどうなのか」と帰ってから調べてみたら、もともと歌手なんですねこの方。スヴェトラーナ・クンディッシュさん。ウクライナ生まれでイディッシュ語の歌を歌われてるんだそうな。
映画内での歌がすんごく良くて、サントラ買おうと思ったら入っていなくて衝撃。いや劇伴もすごく良いんだよ何せハンス・ツィマーですからね。良いんですけど、この歌が入ってないなんて卵抜きの卵かけご飯みたいなもんじゃないですか……!
ちなみにクラブで歌ってた曲は『Belz,Mayn shtetele』。ベルス(ウクライナの街)、私の小さな街、という意味だそうな。メロディーラインにちょっと『耳に残るは君の歌声』に似たところがあって、成程イディッシュの歌だなと思う。いい曲だ〜。
『ランガスタラム』
「1980年代の話でーす」言うたら何でも許されると思うなよ……!(笑)
イヤさすがにいくら80年代のインドでも、この大量の殺人(敵方も味方側も)をさくさく完全スルーで逮捕ゼロ人、はさすがに無理筋じゃないでしょうか。特にあの状況で兄貴が滅多刺しで死んで全く動かない警察ってなんなんだ。
ちなみに自分、可能な限り情報をカットして観に行ったので、事前知識は「ラーム・チャラン主演」「チラシの表側ビジュアル」のみ。チラシの裏すら見ませんでした。
この為、「よくあるインドの貧乏若者の人生青春謳歌スタイル映画」だと思ってた。もう全然違った(笑)。
でも音楽とダンスはどれもすごく良かった。サントラ出して欲しいな〜。
ヒロイン・ラーマラクシュミを演じたサマンタ、天下一品のふくれっ面。唇とんがらかした不満顔がたまりません。
チェンナイ育ちの都会っ子だそうですのに、「田舎で農業をなりわいとして暮らす女子」演技が凄い。チッティの片思いソングでの「なんて綺麗なんだ」と繰り返されるシーンがどれも溌剌と健康的で、本当に魅力的でした。自分の命を盾にとったり娘の努力を無にしたりする毒父に、「そんな小瓶じゃ死ねないわよ」て言い切るところ、スカっとしました。
インド映画あるあるですが、結婚すると途端に話の後ろに引っ込んでしまって影が薄くなるのがとても残念。
しかしそんな魅力的な彼女に「好き好き」言いながら事あるごとに暴言を吐くチッティが正直ちょっとキツかった。「急に好きになった訳じゃない、水浴び覗いて好きになったんだ」には笑いましたが。イヤそれ急やしエロ理由やし。
にしても、ちょっといくら何でもこの主人公、恋愛に限らずあらゆる方面において、あまりに気分で動きすぎじゃないでしょうか。もう少し頭脳も使おうよエンジニアなんだから。
「プレジデントから金受け取ってた」てさあ……「ちょっとクマールそいつ画面から追い出せ、わたしが一発殴っておくから」と思いましたわ。
もう途中からはクマールの方が好きで好きで、火葬のシーンでは泣いた。あれ歌詞ももうこれでもかと泣きを誘うよね。まだ若き子に先立たれた親の悲しみたるや。持ち主待ってる眼鏡すら悲しい。
まあそれでもラーム・チャランという役者の力量によって、チッティが「なんだかんだやらかすけども愛されキャラ」にちゃんと見えるのは大したものです。考え浅くて気分屋で後先考えない猪突猛進だけど、根はいいヤツ。
それだけに最後の復讐の壮絶さが際立つ。タイトル避けますが別のインド映画を思い出しました。
こんなにはっきり状況的には「コイツやん」状態でも、この殺人だけは「イヤこの人の筈がない、だから無実だわ」と周囲が思うだろうところも凄い。家族も安楽死させようとするレベルの人を、2年つきっきりで献身的に面倒みた人間が殺すなんて誰も思わないものね。
しかし先生家族、いくら何でもチッティに感謝が少なすぎない?? 入閣パーティ、普通なら正客として真っ先に招待すべき相手だろうに、なんだあの扱い。カースト下だから尽くしても見返り無くて当然、て思ってそうでコワい。
『サーカス』
ジャムナーダース博士(西川きよし似)サイコパスみがキツい……!
そもそもの思いつきもだし、あれだけつけまわして事態がすっかりこじれてるのを目にしながら放置してるのもコワいし、タクシーの運ちゃんに対する態度もひどすぎる。この映画で気の毒度No.1なのがあの運ちゃんではなかろうか(ロイ達はなんだかんだそれぞれの場所で幸福掴んでるし)。
まずウーティのロイ(以下ロイ(ウ))の電流ショーを止めてやれよ博士! バンガロールのロイ(以下ロイ(バ))が死んじゃうよ!!
そしてもうひとり、もう正直はっきり言ってしまえば「異常者」にしか見えない、ビンドゥ父……。
格とかカーストへの強いこだわりは「古い人間だから」でまだ我慢できるけど、一体何の恨みがあって、人の母親をあれだけ悪様に罵れるのか。ロイ(バ)の家に行って母親と会うシーン、確かに相性は悪そげだけど、あそこまで忌み嫌う程のことはされてないと思うんですが。
もうちょっと話が進めば進む程この二人の異常さが目について仕方なくて、あまり心底からうはうは笑える感じにはなれませんでした。上の『ランガスタラム』が予想だにしないハードな展開だったので、「これはコメディだから何も考えずにのびのび楽しめるぞ!」と期待していたのに(涙)。
一番安心して笑えたのはおまぬけ強盗一味かも。モモはかわいいし、親分も好き。あの「自分をリスペクトする挨拶」いいですね(笑)。
肝心の「サーカス」シーンはほんとにゴージャスでした。ダンスも華やか。
ロイ(バ)とビンドゥのデートダンスは何となく『ラ・ラ・ランド』っぽかった。普段の街並みや人々の服装なんかは『グランド・ブタペスト・ホテル』っぽかったですね。
ダンスの振り付けや歌はちょっぴり古臭い感じで、だがそこが良かった。多分わざと昔っぽくしてるんだろうな。
ビンドゥ役のジャクリーン・フェルナンデス、バービーっぽい服や化粧の時よりも、ダンスシーンでサリー着てあっさりめの化粧の方が圧倒的に綺麗でした。サリー姿がダンス以外なかったのが惜しい。
だがその分、サリー成分をロイ(ウ)の妻役・プージャー・ヘーグデーが補ってくれている。もう輝くばかりの美しさですね。『ランガスタラム』での「きんぴかクイーン」とは別人(笑)。
別人と言えば、ランヴィール・シンって『パドマーワト 女神の誕生』『ガリーボーイ』と今回のこれを見てるんですが、全部違う人に見える。演技の幅が広いなあ。
ディーピカとのラブラブ夫婦ダンスは眼福でしたが、わたしこれてっきりディーピカがヒロインだと思ってたんでちょっとがっかりしました。事前にチラシ情報だけは見てたんですが、そうとしか取りようのない写真とキャスト紹介なんだもん。
実際、ダブルヒロインどちらも魅力的だったからまあいいんですが、誤解を起こさせて観客をつろうという魂胆がほの見えるのがちょっぴりイヤです。ヒロイン二人だってインドのスター女優さんなんだし、隠さず堂々と書けばいいのに。
『パターン』
「止めるには——起爆装置を壊すしかない」あっ、教えてくれるんだ。ジムさん親切設計。
それにひきかえ大佐、てめえジムやパターンやボスにせめて一言謝らんかい。「ごめんなさい」が言えない人かな?
もしかしてシャールクが主演で全国公開されたのって『命ある限り』以来? 『チェンナイ・エクスプレス 愛と勇気のヒーロー参上』や『FAN』は全国公開ではなかったですよね??
まあ『ブラフマーストラ』でシャールクをご存知になった人は、既に彼がどれ程のスター性を放っているかを思い知っておいでかと思いますが……(『ブラフマーストラ』の感想はこちらの記事にあります)。
てな訳で最高でした『パターン』!
ここ最近、あまりにハードすぎたりダークすぎたりスッキリできないインド映画が続いていたので、もう本当に楽しめました。アクション・ラブ・ダンス・シリアス・ユーモア・セクシー、わたしの求めるインド映画のすべてがギチギチに詰め込まれていて、シャワーのように全身で幸福を浴びました。
あー、至福だ。
そして「タイガー」サルマーン・カーン。ナニこの演出サイコーじゃないですか!??
この二人が共闘して戦ってると『カランとアルジュン』を思い出しますね。あれもいい映画でした。
ちなみにタイガーが主役の『タイガー 伝説のスパイ』ですが、日本未公開の2作目(2017年)と3作目(本国にて今秋公開)があって、その3作目ではなんとパターンがカメオで出てるそうなんですよ!!!
もうそれ見たすぎじゃないですか? Twinさん今すぐどっちも公開してください!!
シャールクってただ単に顔面だけを見たら、決して純度100%のイケメンとは言えないと思うんですよ。でもいざ喋って動き出すと猛烈にカッコいい。一度その魔法がかかるともう、黙って立ってようが踊ってようが、どんな時でも常にイケてる。真のイケメンだとつくづく思います。
わたしのインド映画歴は『ラジュー出世する』からで、勿論この時が初シャールク。出てきた瞬間は「えっ、もっさいニイちゃんきた……」と思ったのが、踊り出した瞬間に「うわっ、めっちゃカッコいい!!!」と手のひら返し。一瞬で大好きになりました。それからずっと好き。
なお、『ブラフマーストラ』や『パターン』でシャールクに惚れた皆様は、ぜひこちらの映画『オーム・シャンティ・オーム』をご覧ください。ただし、あらすじでひどいネタバレがあるので、サイトやDVDジャケットのあらすじを見てはダメです。
あらすじなんて知らずに見ても、120%の面白さ、そして勿論、シャールクのカッコ良さはわたしが保証しますので!!
『6月0日 アイヒマンが処刑された日』
映画館で予告を見て「アイヒマンの遺体を燃やす炉をつくった工場にいた少年の話」だと思っていたら、群像劇的な感じで「主役」立場の人が三人いた。ちょっと面食らいました。鑑賞後に公式サイトのストーリー紹介を見てみたらそちらも同様で、そういう構成であることには一言も触れてない。
少年話が最もキャッチーだからこうやってクローズアップした予告やサイトに仕立てるんでしょうが、こういうのはちゃんと教えておいてくれる方が見た側の印象が良いんだけどな。
そんな訳で三つ物語があるんだけれど、繋ぎ方は正直あまり上手くない。とはいえ良い映画でした。特にこの少年役のノアム・オヴァディアが猛烈に上手い。初演技って。海外の子役ってなんでこんなに上手いのか。
物語としては自分はミハさんが一番響いた。観光ナイズされることに憤るアダ、それでもいい、と言うミハ。二人が入った店で歌手が歌ってた曲がすごく良かったんだけど、サントラが無くて曲名が判らない……。
ハイムパートでは「えっ、ハイムさんまさか死んじゃう!?」と非常にハラハラしました。痛みで神経が極度に過敏になったりアイヒマンが心配したりするのを描写したかったんだろうけど、あまりに頻繁に頭やお腹押さえるんで、もうほんとドキドキした。
しかしユダヤやイスラムは特に信仰心が強靭なイメージがあるんですが、それでも「禁忌」である火葬をやる決断をしたのが凄い。これは誰が言い出したのか、満場一致で決まったのかそれともそれなりにもめたのか、その辺のことも知りたいものです。工場の人も「火葬」言われて誰も引いたりしてないところを見ると、いわば「神の敵」のような相手だからむしろ禁忌である「火葬」になるのが当然、的な感じなのだろうか??
『ひなぎく』
実は初見。
自分の事前知識は、チラシに使われるような有名カットのいくつかと、「最強の女の子映画」とか「ポップ」とか「自由」とか「元気になる」とか「かわいい」とか、とにかくポジティブ方向の褒め言葉のみ。
なのでまあ、そういう脳が天気的なとにかくかわいくおシャレで元気いっぱいムービー、だと思って観たら……なんだコレ、もう涙が出そうなくらい猛烈に哀しいよ……。
何やってたっていいんですよ。パパ活しようが男ひっかけまくろうが酒場で暴れようが食べ物蹴散らしまくろうが。本人達がそれを最高に存分に楽しんでいれば。
でも違うのよ。だからこそ哀しい。すべてを持て余して、何をやってもいくら食べても満足できず、扉を叩いて話したいと訴える男の声を聞く瞳は夜の底を見るかのようにくろぐろと光が無い。自分達が「ダメ人間」だと二人とも本気で思ってる。物語が進めば進むほど画面のそこかしこに漂う濃密な死の気配。
特に餓鬼(子供に対する悪口じゃなく仏教の六道の方)のごとく食べ物を貪り食らう姿が恐ろしくも切ない。胃袋的な「飢え」だけではなく、精神的な「餓え」の現れのようにも見える。
二人が朝から勤勉に健全に働く男性達には認識すらされず、いくらコナをかけようとしても完全スルーされるのも哀しい。「マトモ人間」と「ダメ人間」の間で「世界」が完全に分断され、締め出されてる感覚。あれだけ外で暴れまくりながら、時折呟く「ウチにいるのが一番」という言葉の切なさ。こんなのもう全然「自由」なんかじゃないよ。
観ていて『悪童日記』や谷山浩子氏の『リカちゃんのポケット』を思い出しました。ポップで毒々しく残酷で病のごとく淋しい。穴の空いたこころと体は何をいくら詰め込んでも埋まらず、ますますお腹は空くばかり。
金髪マリエちゃんは無職で住民票すら無い。ということは、二人は家族ではなく、学校で知り合った的な間柄でもない。金髪マリエちゃんがこの年までどんな風に生きてきて、どう黒髪マリエちゃんと知り合って一緒に暮らすようになったのか、そこを想うとまた胸がきゅうっとなる。
もう本当にラスト辺りでは、誰か彼女達を助けてあげて、あの水の中から救ってあげて、あんな条件付きの救出ではなく、本当の意味で救い上げて、とひたすら思ってました。
とは言え確かに、衣装や髪型、メイク、インテリア、様々な画面効果、それ等はどれもポップでおシャレでかわいいもの尽くし。黒髪マリエちゃんが着てた茶色のワンピースが好きだなぁ。
主人公二人を始め、基本女性は年齢問わずほぼ皆かわいいんだけど、特にナイトクラブで暴れてる時に一瞬だけ映るベレーの女の子とトイレで後から入ってくる背中の開いたワンピースの女性、その後にバーカウンターにいるバーテンダーの女性が超好みです。
ちなみに一番怖かったのは、むちゃくちゃ鋭そうな長いハサミで食べ物切って、刃先でつまんだまま口に入れるシーンでした。口の中切れちゃう、コワい!!! と猛烈にドキドキした。怖かった。
『さらば、わが愛 覇王別姫』
閉館を控えた京都みなみ会館で「さらば、わが愛」というタイトルの映画を見る切なさよ……。
スクリーンで見るの初。
やっぱり映画は映画館で観るべきだ、と思うのはこういう時ですね。ウチのフツーのテレビ画面とはもう全然違う。あったりまえですけども。
とにかくこの映画は誰もが思っているようにレスリー・チャンに尽きる。映画そのものだけでもそうなのに、レスリーの突然の死がこの作品を更に高みに押し上げている。
本当は役者やスタッフのプライベートな動向を作品に重ねて見るのは邪道だと思ってるんですが、この映画だけはもう致し方ない。スクリーンに横溢している小豆〜程蝶衣の哀しみが、レスリーそのひとのそれと深く重なってリンクしあっているようで。あてがきされてるみたいです。奇跡としか。
映画の内容についてはなんかもう書きたくないと言うか書く必要がないと言うか。何もかもが素晴らしくて痛ましくてたまらない。ひとつだけ言うなら子供時代の石頭、そりゃ誰だって惚れちゃうよあの漢気。どうしてもセリフを間違える小豆に「自分を女だと思い込め」と言い聞かせた、その当人が大人になって「たかが芝居だ」「王を演じてただけだ」て言うのが本当に切ない。
しかし大人時代が良いのは当然として、子役がもんのすごく良かないですか。特に劇団に来た当初の小豆を演じるマー・ミンウェイ(馬明威)が本当に良い。この目つき! この子も初演技だそうで、やはり海外の子役の上手さはどうかしている。この後もう一本映画に出たけど結局芸能界には入らなかったそうで、なんともったいないことよ……。
今回新しいパンフをつくったそうで、買いましたが、お高い割に情報が少ない。写真だらけです。そりゃ絵が美しい映画ですから画面ショットがたくさんあるのは勿論嬉しいんですが、これだけの厚みでつくるのなら、この子役を含め主要人物以外の優れたキャスト達をもっときちんと紹介してほしかった。レスリー、コン・リー、チャン・フォンイー、グォ・ヨウだけだなんて少なすぎます。
しかも肝心の写真がどれもソフトフォーカスかかったみたいで、「何の為の4K……!」と正直思いました。もっと細部までくっきり綺麗な写真にできなかったものか。ラストの方のメイキング写真はちゃんとはっきりくっきり綺麗なのに。
ちなみにみなみ会館上映は2Kでしたけども、充分に綺麗でしたよ。
グォ・ヨウと言えば袁先生、常にちょっとびっくりした小動物みたいな目をしていた(笑)。すごい好みのタイプです。姿勢が抜群に綺麗。
一座の師匠が亡くなった時のレスリーとチャンが着てた白い喪服の帽子が、子供がつけるようなポンポンのついたナイトキャップみたいで、本人達は悲壮感でいっぱいなのにむしょうに可愛かった……。
『遺灰は語る』
まず遺灰についての映画が約70分間あって、その後に続けて遺灰になったノーベル賞作家・ルイジ・ピランデッロの短編『釘』を映像化した作品が約20分流れる、という変わった構成。見る前に知っていたけど、知らなかったら意表をつかれて楽しかっただろうな。
意外に笑いどころが多く、シチュエーションコメディみがあった。登場する人達が皆ごく生真面目に自分のやることやってるだけなのに、出てくる結果に可笑しみがある、て好きなパターンです。
汽車の車両にピアノがあってダンスできて、て素敵。でも踊ってる人達が全員無表情だったのが不可解でちょっとコワかった。
骨をおさめる岩ができるまでの年月のかかり方にも意表をつかれた。加工部分あんなにも少ないのに、彫刻家さん、一体何にあそこまで時間がかかったのか。選定?
岩におさめる容器に遺灰を移すやり方が雑すぎて笑った。下に敷くのが新聞紙て。
でもそれを丁寧に畳んで持ち帰り、海に撒くシーンはじんとしました。やっと願いがかなったねえ、ピランデッロさん。ここのシーンの、植物が一斉に芽吹くように画面に色が広がる様が本当に美しかった。海はいいな。
と、しみじみほのぼのした後に『釘』(笑)。キツぅ……。
何度でも言うが、本当に海外子役なんでこんな上手いの。赤毛の女の子なんか、あの子いくつだ。凄すぎんか。主役の少年も本当に素晴らしかった。陽気な表情とうつろな表情の対比が凄い。やらかしたことは謎だけど。
あれは「定め」なのか……そうか……判らん……。
遺灰物語の方、見ててぽつぽつ謎があったんだけど、そもそもなんでギリシャ壺に移さねばならなかったの??
運搬時にはむしろ出っ張りの無い最初の壺の方が良さそうに見える。蓋がちゃんと閉まらないタイプなら、口元を粘土で封印しておけばいいし。
しかしギリシャ壺の梱包も正直雑だった。イヤあれ周囲や上部に新聞紙なりギチギチに詰めましょうよ……あの雑さ、てっきり途中で壊れて中に灰がこぼれてあたふた、みたいな一幕があるのかと思ってました。
飛行機でピランデッロの遺灰持ってるのがバレてるのも謎だった。報道されたのかとも思ったけど、お墓壊して遺灰取り出してた時、取材記者みたいなのいましたっけ?? 壊した壁の中に骨壷がある様子なんか、絶好の撮影チャンスだと思うのに誰も何にもしてなかったし。
それからムッソリーニ、「葬式は地味に」遺言は守れるのに「遺灰を故郷に」はなんで無視なの? どっちも無視か、どっちも守るかなら判るんですが。
これは日本人感覚だと思うけど、自分なら何となく「葬式はこうしろ」を無視するよりも、「遺灰はこうしろ」を守らない方が死人に恨まれそうでコワい気分になります。夢に出てきて「故郷へ連れてけ〜」とか言われてうなされそう。
たくさん映画引用されてましたが、冒頭の「死人意識ルーム」、きっと皆さんお思いでしょうが、ものすごく『2001年』みがありました。子供がどんどん歳を取っていくところ、すごく良い。
『ロシュフォールの恋人たち』
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=13837
自分にとってラスト京都みなみ会館鑑賞。
どれ程好きかはこちらの記事に。続きを書こう書こうと思いつつ年単位で放置プレイ中。猛省。
京都みなみ会館でのラスト鑑賞ということも含めてこちらにも感想ございます。
ああ、本当に好きだなあ。
インド映画のマサラ上映みたいに、「歌って踊ってOK『ロシュフォールの恋人たち』」なんて企画があったら喜び勇んで行くのですが。なんならカタカナ歌詞カードつくってもいい。
そんな酔狂な企画してくれるの、京都では京都みなみ会館くらいだけどね(涙)。塚口サンサン劇場辺りも乗ってくれそうですが、京都からは遠い……。
まとめ
今期はもう少し観にいく予定でした。
行こうと思っていたのはこれ、『イディオッツ』と『アンチクライスト』。
何故行かなかったのか、って……酔うからだよ!!←突然のキレ
もうね、『メランコリア』でこころが折れました。ああもうムリだ、劇場でこれにまた耐える力が今のわたしには残されていない、とつくづく思い断念。
多分もっと若い頃なら「多少苦しくてもこれは映画館で観るんだ!」と意地で頑張れた。でももう無理です。酔う度合の強さは昔も今も大して変わらないんだけど、それに耐えられる気力や体力が今は無い。
このふたつは買うか借りるか配信探すかで自宅で見ます。限界きたら止めて休憩できないともう無理だ。
しかし不思議なんですが、『K.G.F』のアクションシーン、結構ブレてたんですよね。しかもあんな映画なので、アクションシーンは結構ボリューミー。なのに全然酔わなかった。なんでだろう?
更には久々に観た『キングダム I』、結構カメラが左右にひゅんひゅん動くのに全然大丈夫でした。けど『Ⅱ』と『エクソダス』ではうっすらと酔った。体感的には『メランコリア』の1/3くらいでしたが。
これ等の揺れと『メランコリア』の揺れと何が違うのか。自分のことなのに差が全然判らない。知りたい。
ちなみに人生で一番画面酔いした映画は『カメラを止めるな!』。
ただこれは、たまたまその日体調が悪くて寝不足だったのと、最終日だったので劇場が混み混みで、一番前の席しか空いてなかったのが酔いを促進させた大きな一因。だから「画面酔いはするけどそこまでひどくはない」て方は問題なく見られるかもしれません。自己責任でご観覧くださいませ(笑)。
自分は『カメラを止めるな!』、もう本当に激酔いして、後の方でカメラが安定したのでだんだんと回復し、「ああ良かった安心して終われる」と思ってたらエンドロールのメイキング映像がまたブレっブレだったのであっさり再度酔いました(笑)。
普段はさすがにあれだけ見たって酔わないと思うんですが、前半で下地ができてしまってたのでもう速かった。一瞬で酔いが復活した。すっかり油断してたのも良くなかった。
大変好きな映画なんですが、映画館でまた観る勇気は無い……。
そして今期は何と言ってもこれが最大のかなしみ、京都みなみ会館の閉館。
もう辛すぎて言葉にならない。
これから先の人生、みなみ会館の無い世界ですごさなければならないなんて……。