2024年7〜9月を振り返る ・ 映画版
そんな訳で2024年の7〜9月に映画館で観た映画の感想。並びは観た順。
観たこと前提でネタを割っているので、未見の方は読まれる際にご注意ください。
今までの他映画感想はこちら↓から。
『チャーリー』
犬とインド映画。もう好きしかないよ……!
チャーリーさんがとっても演技上手です。キャスト名でも「チャーリー」だったのでイヌ本名なのかな? てことはホントはメスじゃなくて男の子??
てことでほっこりイイ映画でした。
希望としては、黒と茶の2匹産んで、奥さんに駆け落ちされたタミル人の人と1匹ずつ飼ってほしかった。もうこのヒトむちゃ好き……奥さんに逃げられたところまで含めて何かもうたまらなく好き……!(笑)
帰路の途中で立ち寄るシーンがなかったのが本当に残念でした。きっとなめるように子犬をかわいがったろうに。
あんなにも無趣味で淡々とした生活送ってた人ならもうちょっと貯金がありそうなものだが、とかイヤいくら何でもあんな雪山で産みたてほやほやの赤ちゃん犬あんな放置してたら死ぬから、とか思ったりもしますが、全体的に良かった。
特に何が良いって、保護活動家の女性の人と恋愛に至らないのがすごく良くないですか? インド映画ってこういう時にはほぼ必ず恋に落ちて、ラブダンスがスタートして、それはそれでものすごく好きな展開ではあるんだけど、この映画ではその要素無くていいや、と思ってたので本当に良かった。ダルマとチャーリーとの関係に余計なものを入れずに見たかったので。
最大の難点は、「保護犬引き取りましょう」が強いメッセージなのに、躾をちゃんと描いていないことか。あの描写じゃ「犬ってあんなヤンチャなんだ、とっても面倒みられない、自分には無理だから諦めよう」てなる人多そう。
しっかりした躾には根気は要るけど、あんな風に毎日毎日悪さされるのを片付けるのに比べたらずうっと楽で、互いが快適にすごせてwinwinだし、誤飲・誤食や火事などの思わぬ事故を引き起こさない為にもとっても大事なことですよ……。
『SALAAR/サラール』
頼む……頼むから続きを……(虫の息)。
純粋に続きが見たいんだよ、という気持ちも勿論、忘れちゃうよ! 覚えてられないよ、この人数の登場人物と名前と関係性を!!
インド人は、本当にこのテンポでついていけるのか。物語始まってまだそれ程経ってない時点での怒涛の人数増殖に目を見張りました。わたしコレ、日本作品でもこのスピードでこの人数をさくさく把握していける気がしません。
それでも日本なら、服装とか髪型とかメガネとかヒゲとか大幅な年齢差とか口調とか、何かしらの特徴つけてキャラ掴みしやすくしてくれそうな気がしますが、基本同系色髪&服・同ヒゲ・僅差の髪型、とどめに額の刺青もおんなじ。頼む、頼むから刺青にバリエーションつけるくらいはしてくれえ……!
しかしあんなにも長々と過去の話をして、いまだにクリシュナカント娘がなんであんなどえらい目にあっているのかが全く判らないまま終わってしまったのがスゴいです(笑)。娘を回収したビラールさん、「後で説明する」て言ってたのに結局あの時点まで何ひとつ話してなかったんかい! 娘ちゃんももう少し自分の今の状況を不思議に思えよ!!
と言うか、いまだに因縁は不明ではあるものの、あんな命脅かされるような羽目になるなら、パパは娘に常日頃から「お前は絶対インドに行っちゃダメなんだ」て因果をきちんと言い含めておけ、と思いました。たとえその理由が自分の昔の悪事を暴露するものであろうと、娘が殺されるよりは遥かに遥かにマシじゃないですか。
ヴァラダの子役の子が頭ふわふわでまつ毛長くてお目目キラキラで超かわいかった。大きくなったらごつくなりましたね(笑)。いま何歳なんだろう。いっぱい活躍してほしいわ。
上の『チャーリー』でむちゃ好きなキャラだった、奥さんに逃げらけたタミル人役の人が過去編で娘婿役で出てきておお、と思いました。今度は逃げられなくて済みそう(笑)。しかし本当に好きだなあこの人の醸す雰囲気。
もっとあれこれ書きたい気もするんですが、とりあえず続きを見てからにしたいと思います。
どうか一日も早く続きを……そしてその際には復習としてこちらも再公開してください……!!!
『仕置人DJ』
イヤさすがにそこで「ようし、契約成立だ」的な握手しちゃダメじゃないかな!? しかもアナタ警官なのに!??>プルショーッタムさん
21世紀に突入して間もなく四半世紀が経とうというのに、いまだこのノリが健在かインド映画。これはインド以外では「えーっ」とどん引きする観客が結構いそうな気もします。まあそこは自分はあまり気にしないので無問題ですが。これを堂々とできるのはもはやインド映画くらいだもん。
タイトルだけで見に行ったので、脳内イメージとしては「表の仕事はDJ、だが裏では庶民の恨みを晴らす必殺仕置人」で、ものすごくエッジを研いだレコードで敵の首をかいたり、破壊的なボリュームで音楽かけて聴覚を混乱させて攻撃したりする人を想像してた。全然違った(笑)。
最初の方の料理トークが謎な単語だらけだったので必死に覚えました。「プリホラ」というのは、タマリンドをベースにスパイスを加えてつくったソースを炊いたご飯に混ぜたものだそうな。「ヒング」はアサフェティダのことなんだって。
でもカーストで使う使わないがあるのはよく判りませんでした。インドの人にとってはあるあるなのか。
主役を演じるアッル・アルジュン、ダンスが上手すぎてびっくりしました。どれくらい上手いかというと、「ダンスが上手い俳優さん」ではなく「プロダンサーが俳優やってる」と思ってしまいそうなくらい。
世界に様々なダンスはあれど、すべてに共通な「上手さの基準」は重心のブレなさ、腰の安定感だと思ってるんですが、それが本当に段違いでした。CGでつくってるんじゃないかとさえ思ってしまうくらいに、ブレなくぴたぴたっと動きがはまる。すごい。
このダンスを目一杯見せたいのか、ラブダンスがやたらと多かった。眼福です。
それにしてもヒロイン・プージャ、あの流れ要するに、「上流男と結婚しようと思ったらちょっとヤバいタイプのマザコンでイヤになった」「そこではたと自分にガチ惚れしてる男のことを思い出した」てことですよね(笑)。ナーイドゥ息子(スッバラージュさん、いい味出してた……!)が普通にいいヤツだったらDJのことなんか振り向きもせずに結婚してた訳で。それもどうなのよ。
しかし物語としての大ボスはナーイドゥな訳だけど、一番「イヤなヤツ」て正直プージャパパじゃないですか……? この人も大概なことしてるけど、この流れだとはっきり法的に問題ある罪すらすべてスルーになりそうな雰囲気。主人公、あれだけガツンガツンに悪を力技で成敗しておいてそれもどうなんだ。
やたらめったらシャー・ルク・カーン押しだなと思っていたら、アルジュンさんがファンなのですってね。DDLJトーク(そういやシャールクの役名「アルジュン」だ)や音楽があったり、道沿いにやたらシャールクがイメージキャラクターやってた化粧品の看板があったり、「ドンみたい」なんてセリフがあったり。それにしてもまさか『ラブゲット大作戦』て字幕が他の映画で見られるとは思いませんでした(笑)。何度見てもすごい日本語タイトルです。
「サルマーンみたいに歩いてきて」なんてセリフもありましたね。ナーイドゥ息子の「天国のママと話す」のも『ミモラ』でのサルマーン・カーンの役を思い出しました。全体的にインド映画愛があふれていて、そこは本当に良かった。
パンフレットが無いのが大変残念でありました。グッズはあるのになー。
『墓泥棒と失われた女神』
ポスターの絵柄くらいでほぼ情報を入れずに行って、見終わってから公式サイトで予告見たんですが、イヤあの船での像の頭のシーン出しちゃダメじゃないですか……?
まあずっと見ていてあの場まで来たら「あっ、こうするんだな」てやる前には判る。判るけど、最初っから「この先これはこうなる」てのが判ってるのと知らずに見るのとでは、映画の愉悦ってものが違ってくると思うんですよ。誰だ予告にこのシーン入れようと決めたのは。
同監督の『幸福なラザロ』見た時に、「あー、年とってくるとこういう『愚者の聖性』的な話がキツくなってくるなー」と思ったものですが、今回も同じように思いました。人と違う、特殊なパワーがあって、当人は全く邪念や悪心が無いのに周りの欲深さに利用されるだけされ尽くして、最後にはポイ。キツい。
そもそもアーサーをあんな、町の城壁の外のバラックみたいなところに住まわせておくってのがどうなのよと思うじゃないですか……アナタ達彼の特殊能力のおかげで儲けたんでしょうに。誰ひとりとして、婚約者の母親でさえ、彼に「あんなところじゃなくてウチで一緒に住もうよ」とか「いい下宿紹介するよ」とは言わない。壁の外の「よそもの」扱い。
イタリアの扱いもそうですね。態良く利用して、要らなくなったらいつでも切り捨てる。この町の人々は、決して彼等を自分達の「内側」に入れようとはしない。
だから最後の方で、アーサーがイタリアに「誰のものでもない駅」に招かれた時は正直嬉しかった。あの情無しの墓泥棒達からひとり離脱してこちらに加わった女性もいい。
でもやはり「よそものの愚者」はとどまることはできないのね。永遠の彷徨。「ここではないどこか」で、アリアドネの糸をたぐるテセウスのように彼は恋人の元へたどりつく。
できるならイタリアと幸福になってもらいたかったな。でもそれは無理なのだよね。彼のこころはベニアミーナが死んだ時からもうこの世には無いのだな。
例の「女神像」ですが、映画で出てくるオリジナルの「皆が欲しがる絵画・彫刻・音楽」みたいなのって、実際のブツを見せられて「それ程か……?」てなること結構ありますよね(笑)。でもこれは本当に綺麗だった。素晴らしい出来でした。あれが本当に古代の墓から出てきたら、そりゃオークションで大層な値がつくわ、と思える。美術さんすごい。
『めくらやなぎと眠る女』
自分も含め、原作履修済みで字幕版で見た日本人の殆どが思っていると思いますが、「Mr.Frog」が「Frog」になるのは「かえるさん」が「かえるくん」になるのとは違うんだよ……!
じゃあ英語でどう言やいいんだよ、と言われると困りますが。悩みますね。むしろ「Froggy」みたいに渾名っぽくした方が的確な気がしないでもない。
日本語ですごくいいなと思うのは、この「名前にくっつけて『相手に呼びかける為の敬称』がいくつもある」というところ。
昨今は「『くん』や『ちゃん』はよろしくないから全部『さん』で」みたいな指導もあるようですが、それこそまさに「多様性つぶし」じゃないのかと。男性を「〜ちゃん」と呼ぶのも女性を「〜くん」と呼ぶのも昔から普通にあるし。
それぞれに込められた距離感や感情も判るし、最初の関係性が変わって呼びかけ方が変わる時の互いのむずむずっとした感じもたまらない。
「かえるさん」と呼んでいた相手を「かえるくん」と呼ぶのは、明らかにある種の接近、親しみの上昇がある。「仲間」感が上がるというか。
さりとて「かえる」と呼び捨てるのとはまた違う。そこにはやはりある種の敬意と独特の距離感が漂っている。
同時にかえるくんが、「戦って倒す相手」、大災害をもたらそうとする「人間達の敵」を「みみず」や「みみずのヤツ」「みみず野郎」などでなく「みみずくん」と呼ぶのもとても良い。これも英語では「みみず」と単なる呼び捨てになっちゃってる訳ですよね。でもそれでは明らかにニュアンスが違うと思う。
しかしこれも多くの村上春樹読者の人が思ってるんじゃないかと思うんですが、別にわざわざ、違う話をいくつもくっつけなくても良かったんじゃないかな……? 短い話をいくつもオムニバスでやれば良かっただけのように思う。
特に一番気になったのが、『UFOが釧路に降りる』の小村の妻を他の短編に出てくる女性と重ね合わせたこと。
小村の妻の過去(小村との馴れ初めや結婚を決意した経緯も含め)や、小村との生活で抱え込んだものが読者に殆ど見えない、置き手紙はあるものの、彼女が彼女自身として言葉を喋ることが一切無い、というのがこの短編の優れた部分のひとつだと思うんですよ。
そもそも小村自身が「今まで彼女がどう生きてきたのか」「彼女が二人の暮らしの中で何を考えていたのか」を殆ど知らない、おそらく興味すら無いことが、物語中で「彼女自身」が全く描写されないところから透けて見える訳です。その「やらずぶったくり」こそが小村の妻の出奔の原因のひとつであるのだから。
小村の結婚生活に対する姿勢には、「自分が満たされること」しかなくて、これまで彼女がどう生きてきたのか、この先の人生をどう歩みたいと思っているのか、という「彼女という人間そのものへの興味」が無い訳です。自分は満たされても、「彼女を満たすこと」への働きかけが一切見受けられない。
なので特に、『めくらやなぎ〜』の女性を彼女にして、「小村と彼女の過去」にしてしまったことに「あー違うんだよな」てすごく思ってしまった。失踪した後の姿が出てきて喋ってるのもものすごい違和感がある。どうしても短編のキャラ同士をつなげたかったとしても、小村妻だけは誰ともつなげないでほしかった。
また、『UFO〜』のキモは「同僚の佐々木」だと思うんですが、つなげることで、「釧路から戻ってきた後の小村の描写」が出てきちゃうじゃないですか。それが本当に良くない。
佐々木が何を目的としてあの箱を小村に託したのか。箱の中身は何だったのか。何故妹に「彼の妻は亡くなった」と言ったのか。それが判らないまま小村の物語は釧路で終わる。そこが良かったのに。このままだと小村、佐々木と再会しちゃいそうじゃないですか。辞めたら送別会くらいやるだろうし。
佐々木という巨大な謎がこの話のツボなのになぁ。
でもってこれも多くの人が思っていると思うんですが、いくら何でもキャラの見た目があんまりじゃないですか……?
人の顔を大量に集めて平均化すると結構な美男美女になる、というのは有名な話ですが、その「平均から外れた部分ばかりを悪い方向にやたらに強調しまくった顔立ち」だらけ。
もともとこういう絵柄の人なのか、と思ったけれど、『アパッチ砦』の話をしてる時に一瞬出てきたジョン・ウェインと保安官の絵が普通にシュッとした顔立ちだったのでスン、となった。なんだ、こういう風に特徴をとらえつつも整った顔、描ける人なんですね。それなのにアレか。
小村の妻はあれでいい。描写にはっきり、「鈍重そうで十人並み」て書かれているし。
片桐さんもまあいい。40歳にしては老けすぎだし本人申告より遥かにハゲているとは思うけど、お腹も出てるし近眼だし(片桐さん談)。
でも小村はダメでしょう。しゅっとしてスマートで爽やかで、結婚前はモテまくってた。そういう男性が誰もが「似合わないんじゃ……」と思う妻と結婚して、彼女からずっと何かを奪い続けた、そういう物語なんだから、イケメンにしないと話が成立しないではないの。
村上春樹の短編はどれもほぼ外れなく大好きなので、その世界観が違うメディアで見られるのは本当に楽しかった。けど、もし次があるのなら、頼むからくっつけないでひとつひとつ別の話としてやってほしい……。
『コンセント /同意』
母「かわいそう、ガブリエル」……イヤイヤイヤイヤなに言うてんのおかあさん!????
肉体関係持ってる15歳の娘に一日に何度も、それも夜中の2時過ぎでも自宅の電話にかけてくる51歳の男が「かわいそう」!????
映画内で最もどうかしてるのは当然マツネフなんだけど、次点はヴァネッサママンだわ。これはもう確実に保護者失格。最初にヴァネッサぶちギレてましたが、ホント、ペドフィリアだと判ってる男とターゲット年齢ど真ん中の娘を車の後部座席に並んで座らすな。娘と関係持ったと判ってるのに家に呼ぶな。どうかしすぎてるよこのママン。
ああ、ホントにヴァネッサが何を言おうが強引に警備のしっかりした寄宿学校に叩き込んでくれていれば……!
次にびっくりしたのが婦人科の医者。えっ、フランスって未成年の子供に麻酔かけてメスで切るようなれっきとした「手術」を、親の同意なくやっていいの!??
しかもその内容が内容だし。14歳の女の子に「痛すぎてムリ、でもいつまでもできないと女として飽きられて相手に捨てられる」て言われて「ようし、なら処女膜ちょっと切ってあげるよ!」てヲイ。そこは大人として、「ちょっとその相手連れておいで、先生が話すから」では? フランスフリーダムすぎる。
大体お金どうしたんだろうか。ベビーシッターのバイトくらいで手術代稼げる気がしない。
……と書いてふと気づいたが、もしかして手術代マツネフが出してたりして……うええ……(吐いている)。
とどめにマツネフ取り巻き達が見せる、マツネフと彼のペットにされてる子供への反応もえげつない。本当にフランスちょっと異次元だよ。
テレビで「虫酸が走る」と罵っていた女性にほっとした。初めてまともな大人を見たと思った。胸がすうっとした。
……が、帰って調べたらこのテレビ番組がなんと1990年のもので、抗議したこの女性、カナダ人の作家ボンバルディエさんはこの発言の為にフランスのインテリから袋叩きにあったと知る。
なんかもう……フランス、パリに抱いてる憧れみたいなもんが粉々に砕かれたよ……1990年だよ……戦中や戦後すぐとかじゃないんだよ……?
これはさすがに、この時代でも日本だったらもう100%アウトになってたと思う。てか90年なら、殆どの先進国でこれはアウトでは?
何がすごいって、「未成年少女とばんばん関係持ちました!」「マニラに子供買いに行きました!」なんてことを堂々と書いているのに、2020年にヴァネッサの手記が出るまで誰もぜーんぜん問題にしてなくて、2013年にもなって文学賞とかあげちゃってること。手記でやっと問題になって、作家年金的なものも取り消されたそうなんですが、イヤ遅い……よくこれ2020年まで放置してたな……。
何が腹立つって、手記が問題になった途端に、出版やメディア関係、政界や実業家なんかの取り巻きがあっさり突き放してさーっと去っていったそうで。
何なんだよそれ。易きに流されやがって。そこで自分がどれだけ世間から叩かれようが二度と表舞台に出られなくなろうが、「これこそが芸術なんだよ、彼は悪くない!」て主張続ける方がヒトとしてまだ筋があるよ。逃げてお咎め無しになるのがまた本当に腹立たしい。
マツネフが自分から離れようとするヴァネッサに「悪いのは君の方」て言い方をしたり、抗議する姿に「ヒステリー」「フェミニスト」て言い草かます姿も何とも醜くて、うげぇっとなりました。
当時は20世紀だけれど、こういう揶揄が、21世紀になってもいまだ変わらず世界中にあると思うと気持ちが暗くなるな。真摯に人権を主張する相手をこういう言い方で切り捨てて、「だからおかしいのはそっち、マトモなのはこっちだから相手にする価値無し」と逃げを打つのは本当にいかん(勿論、相手の主張におかしいと思うところがあれば「それはこうだからおかしい」ときちんと主張し返す権利は誰にでもあります)。
映画内での描写として「うん、これはいい」と思ったところと「イヤこれはあかんよ」と思ったところがそれぞれあって、まず「いいぞ」と思ったのは、マツネフ役が外見的にガチ老けているところ。
これもし日本で同じ題材でやったら、男の方、西島秀俊とか福山雅治とか、「見た目が全然年相応じゃなくて若い女性からもぱっと見だけで充分モテる顔」の役者でやっちゃいそうに思うんですよ。
でもそうじゃない。「若い時はイケてたんだろうな」とは思えるし、アラフォー以降くらいの女性なら充分対象範囲になる見た目なんだけど、十代や二十代前半の女性が「アリだわ」と思うような見てくれではない。ハゲてるし皺だらけだし服の趣味も微妙で立ち姿もモサっとしてるし。
あれなら学校に迎えに来たって同級生誰も羨ましがらなくて当然。と言うか普通に「お父さん?」て反応だったし、男子達からは「ジジイ」呼ばわりで、「良し」と思う。その滑稽さがマツネフ当人には全く伝わっていないところと、ヴァネッサ自身もその反応にうっすら「アレ……?」て思ってるのも良し。その為にもここにガチのイケオジを配役してはならん。
ちなみに実際のマツネフ、ヴァネッサと関係持ってた当時の年代の写真も見ましたが、本当にただの「モッさい50代のおっさん」でした。少なくとも外見には、服装や髪型などの自力でどうにでもなる部分を含め、全く光るものがなかった。
これでこそ「えっ、なんでこんな『タダのおっさん』にこんな若くて綺麗な子がひっかかっちゃうの?」という大きな疑問が生じ、その手口の醜さが更によく見えてくるというもの。そういう意味では知性の閃きや内面の鋭さが透けて見えてしまうジャン=ポール・ルーヴではまだまだ物足りんです。
そして「イヤこれはあかん」と思ったのは、性描写が多すぎるところ。
実際にコトに及んでるところをこんなに映さなくていい。しかも「美しく見える撮り方をしてる」部分があるところが本当によろしくない。
この映画が「R15」指定になってるのは勿論ガッツリ性描写があるからなんだけど、むしろ子供にこそ見せねばいかん作品でしょうよ。「ペドフィリアでかつ本当に相手に手を出す大人はこういう風に子供を狙うんだ、その手口を知って、こういう近づき方をしてくる相手からは全力で逃げろ、一度やられたらソイツは生涯、きみの魂を喰らい続けて自らは反省もしないんだ」と伝えねば。その為にも、こんなに執拗な性描写は外すべきだった(どうもフランスの映画規制は性描写には比較的ゆるいらしいので、もしかしたら本国では子供でも見られるのかもしれませんが)。
子供に性加害を行う大人のやり口を知るというだけではなく、モラハラ気質の人が自分の行いを「原因はお前だ」「お前が自分にそうさせている、むしろ自分は被害者だ」と正当化する手口をまざまざと見られる、という意味でも大変意義のある作品なので、本当にいろんな年代、いろんな性別の人に見てもらいたいのですよね。
※2024/10/24後記
今年フランスにて、長年連れ添った妻を睡眠薬で眠らせて大勢の男性にレイプさせた、という言語道断な事件の裁判が行われているのですが、レイプに参加した男性で罪に問われている人の中に「自分は無罪だ」と主張する人がいるそうで。
その理由が凄まじくて、「夫がその場にいるのだからレイプではない」「夫がOKしている行為はレイプではない」。つまり「妻の体は夫の所有物だから、夫が許可出してるなら妻の同意なくヤってもレイプにはならない、だから自分に罪は無い」てことです。
もう絶句ですよ……内容もともかくも、これ主張してる人のひとりが34歳てのにも言葉を失う。この若さでこの思考って、一体どういう世界線でどんな教育受けて育ってきたの……ホント大丈夫かフランス……?
『ポライト・ソサエティ』
お姉ちゃんが「Lena」で妹ちゃんが「Ria」て日本人泣かせ(笑)。イヤそら英語圏の人にとっては「全然違うじゃん!」なんだろうけども、日本人にとっては字幕どっちも「リ」始まりなんで。
しかし、生まれた子供が自分と完全同一遺伝子であっても、それは全く「自分」じゃなくない……? 「自分」が人生やり直せる訳じゃないよね……まさか、脳移植とか意識移植とかまで考えている訳……?(そんなん当然今の医学ではムリだけどインド映画ならアリだし(笑))
それはそれでコワいけど、ただ単に「自分ができなかったことを自分と同じ遺伝子を持つ生き物にやらせたい」というのでもコワい。そして切ない。その姿を見て幸福になるのも、もしか嫉妬で引き裂かれるかもしれないのも。
しかも彼女、息子の歳から考えるとまだ五十代だよね(ちなみに役者さんご本人はまだ四十代)。
前の奥さんでも企んでた訳だから、最初に「よしこれをやるぞ」て思いついた時点ではまだ四十代の可能性が高いよね……そんな歳で「自分は自分の人生を完全に失った」と思い込むって大変に悲しくないですか……? 息子もさあ、そこで「自分の面倒は自分でみるよ、母さんはこの先何十年も、好きな場所で好きな相手と好きな人生を歩めるんだよ!」て言うてやれよ。
主人公の友達二人が好きすぎる。特にアルバが好きです。この全身からにじみでる「オタク腐女子感」よ(笑)。
いいなあ、高校生のちょっとイタめの、女子ばっかでつるん出て同年代男子のことは基本どうでもいい、周囲の「第一線女子」から見ると「あいつ等ダッサ」扱いだけど、当人達はどこ吹く風で十二分に楽しく日々充実してる女子集団の空気感。ものすごく判る(笑笑)。懐かしい。なんかもう、じーんときましたわ。
コヴァックスと仲良くなるのも良い。それにしても強い。彼女の方がスタント向いてそうだわ……。
リーナ(ベネロペ・クルスとシェリー・デュヴァルを足して二で割ったようなスマート美人)が最後、「じゃアトリエ行こう、描くわ!」てならないのも良いですね。
そうなんだよ、勿論夢を目指すのは良いことなんだけど、もしもやめてしまったとしてもそれを他人が「その選択は間違ってる!」て糾弾するのはどうかと思うんだ。情熱や意欲や創造のパワーがなくなってしまったら、その時は手を引くのは間違いじゃないよね。休んでいる内に戻ってくるかもしれないし、もう二度と戻らないかもしれない。それは当人にでさえ判らないものだよね。
しかしリアちゃんは正直、ちょっとやりすぎだと思いました(笑)。
まあ基本的にコメディノリであるからして、「外交」と「醜聞」まではいい。そこまではまだ看過できるけど、「でっちあげ」はいかん。しかもそのやり方がいかんすぎる。あれはもう「異常」レベルだわ。せめてハニトラ程度にしてほしかった。
物語として「実はホントに悪いこと考えてた」だから結果オーライになってるけど、もしも本当に悪意ない相手だったらどうすんの。これで破談になったらお姉ちゃんに生涯恨まれたって仕方ないよね。
結婚式のダンスは良かった。『デーヴダース』がイメージなんですね。あれも良い映画だった。お姉ちゃんのウエディングドレスも大変美しかったです。
欲を言えば、やっぱりアクションはもう少し何とかならなかったかと思う。パンフによるとご当人相当頑張られたそうですけども。
『Chime』
イヤ缶ゴミ出過ぎじゃないですかね松岡家……!?
奥さんがキッチンドランカーなのかと思ったけど、コーラの缶とか別の色の缶もいろいろ混じってたので、あれ全部がアルコールではないのよな、多分。とは言え、あの銀色缶はおそらくほぼビールなんだろうけど。
一度袋にまとめたものをわざわざ箱に移してどうするのか……コワい……あっ、ここまで書いて気づきましたが、あちこちから拾い集めてまとめて売ってる可能性もゼロではないのか……←と、少しでも理屈を見出して怖さを薄めようと試みる
黒沢清監督のホラー、本当に好き。きっと皆さんおんなじことをお思いでしょうが、『CURE』を思い出しました。あれの続編のようでしたね。松岡先生が最初にカフェにいるシーンで、後ろを通ったウエイターさんのエプロンが背中でクロスしてるの見た時点で「ひいっ」てなりました(笑)。
松岡奥さん、外で働いてる雰囲気ではなかったけれど、おうちを含めあの生活は一体どうやって維持されているのか。料理教室の講師だけであの家計は本当に賄えるのか。不足分のお金はどこでどのように入手しているのか。もう勝手に妄想がいろいろと渦巻きまくって本当に怖い。
ただ惜しいなあと思うのは、もうふた口食べたかったなぁと。
もうひと口食べたい、で終わるのって映画ではむしろアリなエンドだったりするんですが、もうふた口食べたかった。
ピンポン鳴らされて、なんぞ異様なものが映って、一回無視して再度チャイム、思い切って開けたら無人、て割とホラーでよくある流れなんですよ。大体無人か、あるいは鍵をなくした家人とか本当にタダの宅配みたいな全く無害な相手が立ってるかがセオリー。
で、無人で、外をしっかり見回してみても誰もいない、家に戻る、すると中に何やら不吉な気配が、てのも「あるある」パターンなので、ここで終わらず何かもうひと口食べさせて欲しかった。何でもいいから。怖いもんが出てくるのでも、家族が出てくるのでも。特にここの家族、皆さん怖いので(笑)。あるいは、家に戻らないパターンでもいい。
しかし先生の職場の事態はストレート「怪異」ですが、おうちの事態は「今この日本であちこちにありそうな事態」なのも怖い。奥さんと息子のタガの外れ具合。息子この後きっと、ろくでもないやり方で金を入手して先輩に払っちゃうんだろうなあ。
松岡先生のタガの外れ方は、恐ろしくはあるんだけどどこか滑稽で物哀しくもある。必死さがことごとく上滑りしていく、耳障りでやけに高音ボイスの自分語りの早口トーク。吉岡睦雄のこの声は天賦の才だわ。
これに引き換え、教室での指導の時はむしろ「アリだ」と思いました。
特に最初に田代くんの相手してる時なんか、すごく良かった。どう考えても奇妙なことを言っている相手の言葉を完全に否定したり拒絶したりせず、言い分を聞いて、相手の主張を自分でも確認し(チャイムの音に耳をすましてみる)、それでもおかしなことをしていれば「こうなってしまうからこうした方がいいですよ」ときちんと理屈を説明しつつ、でもやってることを無下に取り下げず、受け入れて良い方向(料理の完成)に進めていく。すごくいい。これはカスハラ仕掛けてくる客対応のマニュアルとして使えるレベルではないかとすら思いました。
見終わって帰宅してから公式サイトを初めて見て知ったんですが、この作品、買い取って他人にレンタルしたりリセールしたり非営利上映したりできるんですね。面白い。
そういう作り方だから仕方がないとは思いつつも、パンフ、欲しかったなぁ……。
と言うか、むしろこういう作り方だからこそ「作品情報&アート本」みたいのつくってサイトで売っても良かったんじゃないかしらん。
『ジガルタンダ・ダブルX』
「お前が芸術を選ぶのではない 芸術がお前を選ぶのだ、マイボーイ」
痺れる程カッコいい……!!
世に映画監督多かれど全速力の馬に乗りながらカメラまわせるのはレイ先生だけ!
もう本当にどんなカメラテクですよレイSir……シェッターニさんもシーザーと戦いながら、「この前に後ろにちょこちょこ回り込むヘンな何かを片手に持ったオトコは一体……?」と思っていたに違いない。しかしあんな一瞬のスタジオ見学であんな上手くなられたんじゃ世界の名だたる監督さん達も形無しだよマイボーイ。
いやしかしそれにしても本当にキツかった……シーザーがやったことの因果がシーザーに巡ってくるのはある程度は致し方ない、でも子供は……(泣)。
エンドクレジットで「良かった、奥さん(だがレイSir結婚の決断早過ぎです)と子供も無事だった!」て歓喜した後のアレだったので、もうキツいなんてもんじゃなかった……あれはなあ、「あなたの武器はこれだ」と8ミリを渡したシーザーのこころを捨てて銃を取ってしまった先生への報いか。だとしても悲しすぎる。暴力の因果は消え去ることはないのね……。
もう本当、映画館を出た後も胸にずしんと重たく沈む作品です。けれども冷静に全体的に眺めると、ちゃんとエンタテインメントになっているのが凄い。
重くて意義があってでも抜群に面白くて、これを絶妙なバランスでつくりあげる監督も、真っ向から受け入れるインドの観客さん達も凄いなと思います。
シーザーが全然いい奴じゃないけどいい奴なんだよね(涙)。故郷で村人解放して、本当にこころから「ありがとう、あなたのおかげ」「あなたが救ってくれた、私達の神」と感謝された時のとまどった顔つきがたまりませんでした。彼の中でおそらく初めて芽生えた感情が透けて見える顔つき。そこから始まる、彼の新しい人生、新しい生き方。
最後に「これが俺達の反撃だ」と太鼓を選んだのがもう切なくて切なくて。レイ先生と同じで、シーザーもやはりまた「シネマに選ばれたマイボーイ」なのだね。生き方がシネマ。そして完成されたシネマは、多くの観客のこころを揺り動かす。
しかしあのバリバリのギャング時代にもしっかりカミさんの尻にはしかれてたのが何とも(笑)。ほんのちょっとの舌禍で命奪われちゃう周囲の皆さん、マラヤラシが暴言吐く度に内心「ひいっ」ってなってたんじゃ。
レイ先生の「先生じゃない時」と「先生な時」の目つきの差が凄い。撮っている内にだんだんと、「真の映画監督」へと成長していく姿。シネマに選ばれてしまったらこうなるしかないんだな。映画の魔力よ。
じわじわと深まっていくシーザーとのバディ感。自らを冤罪に陥れた相手だと判っても、レイ先生のこころからは彼に対する憎しみや恨みが消えていく。相手を深く知り理解することで、そういうものが消えることが時に世には起こり得るのだね。
だがそれにしても「レイ・ダース」て雑な偽名(笑)。もうこれが脳にこびりつき過ぎて、帰宅後パンフ見て「キルバイ? 誰?? ……ああ、レイ先生!」となりました。しかし血を見ただけで卒倒するようでは、普通に警官になっていたとしても勤務し続けるのは困難では……?
甥っ子ドゥライがイイ奴すぎた。おそらく周囲が皆「アイツ人殺しだ」て去っていったろうに、彼だけは叔父さんを信じてたのね。
ところで「ジガルタンダ」て超覚えにくいけどなんだこれは、と思ったら、飲み物の名前なんだそうです。甘くしたミルクベースの飲み物に、ぷるぷるしたアーモンドの樹脂とアイスクリームを入れた夏のひんやりドリンクだとか。
てことは「ジガルタンダ極悪連合」はつまり、「ミルクセーキ極悪連合」とか「クリームソーダ極悪連合」とか「コーラフロート極悪連合」とか、そういうことになるワケ……? なんかかわいいなヲイ……??
もう気になりすぎる、と思っていたら、京都は四条大宮の名店・ティラガが映画公開にあわせ提供されるとのこと。
甘い食べ物は好きだけど甘い飲み物は不得意で躊躇してましたが、先に実食したインド映画好き友人が「そんなに甘くないです!」と言っていたのに励まされ訪問。
ホントだ、美味しい……!
中に入ってるアイスがバニラアイス(苦手)じゃなくてクルフィなのも良かった。クルフィ大好きなんですよ。あの独特のサキサキした食感とナッティーさが大好き。これのおかげでかなりあっさりさっぱりといただけました。また飲みたい。
更にティラガさん、こんなこともなされていまして。
愛だな……!
そんな訳で激写してきました。
ワル警視の俳優兄ちゃんが出てた映画が、いかにも「70年代のインド映画感」があって大変良かった。もうちょっと長く見たかったです。
「こんな色黒に主役俳優なんかできるかよ!」みたいなセリフが出た時に、「ああ、でももうすぐラジニが現れるよ!」と思ってたら本当に現れた。セリフでだけだけど。全体的に映画愛があふれ返ってていて、そこは本当に楽しかったです。
あー、円盤出てほしいな。絶対買います!
それにしても、出町座さんと言いティラガさんといい『ジガルタンダ・ダブルX』への愛が熱い……!
関西一円の皆様もそうでない皆様も、ぜひ観てね!
本当に良い映画です!
まとめ
今期はあまり本数見れていないんですが、その中でのこの圧倒的インド映画率(笑)。
たまたまなんですけども、特集上映でもないのに数ヶ月の間にこれだけの数のインド映画が観られるってすごくないですか。なんて良い時代になったものだ。配給の皆様、公開してくれる映画館の皆様、インド映画を盛り上げてくれる数多くの観客の皆様、本当にありがとうございます。
来月からも観たいインド映画が目白押し。と言うか、10月はインド映画以外も観たいのが山程あって、今から時間と体力と懐が心配です。
最初は『Cloud』か『憐れみの3章』かなぁ……ついに10月に突入しようというのに日中の気温は余裕で30度を超えてくる恐怖の日々、コワかったりぶっ飛んだりしている映画を見て脳髄を内側からうっすら冷やしたい。
『チャーリー』のパンフ、勿論買ってるのに何故か見当たらない……わたしの部屋はブラックホールか。発見できたら写真撮り直します。
※10/2後記・無事発見して撮り直しました。家具と壁の隙間に落ちてたんだけど、探してて見つけた訳ではなく、たまたまそのデッドスペースに置いてた別の物を取り出そうとして発見した次第(笑)。さすがブラックホールルーム。