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開運の近道とは 〜六道から学ぶ〜

ふと、占星術のホロスコープを調べるため、実家の母に私の母子手帳を探して見てもらった。
欲しかった情報は出生時刻だったが、ついでに生まれた場所も教えてもらった。

奈良県奈良市山陵(みさざき)町。グーグルマップで見てみたら、山陵八幡神社や五社神古墳 (神功皇后陵)を始め、いくつも古墳があった。

私は4人家族だが、父の仕事の転勤の都合で唯一私だけ奈良で生まれた。占いや手相で「ご先祖様に守られている」と出ていたので、わざわざここに生まれた意味とか理由もあるのかな、と思ったりする。(いつも何でも都合よく信じる私…)
そんな流れで、急に日本の「神社」や「仏様」に興味を惹かれた。noteを色々見ていたら『開運天使』さんの記事が気になった。それから面白くて、開運天使さんの記事ずっと読んでいる。

開運天使さんのnoteはこちら↓

以下は、開運天使さんの記事で出てきた「六道」について、私が個人的に読み返すために、いくつかの記事の内容をまとめたもの。開運天使さん、とても為になる記事をありがとうございます!

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開運の近道は「六道を知り卒業すること」「慈悲の良心を保ち、波動を上げること」

人がその業の結果として輪廻転生する、6種類の世界「六道」は、あの世でも、死んだら行く世界でもなく、この世界、現世であり、現世の6つの感情、想念、境遇 でもある。

そして感情→想念→現実、境遇の 順に身の周りが変容していく。

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「六道」には、天道、人間道、修羅道、畜生道、飢餓道、地獄道がある。

【天道】…天人の世界→無、虚しい

楽しみの多い世界だか、悲しみも苦しみもある、享楽で一生を過ごすことが多い。経済的には苦労はないが、諦観、暇、退屈寿命を望むが、人の命には限りがあることを知る。億万長者の世界、それ故の苦しみがある。財産はあの世は持っていけない。
慈悲に目覚めれば、人格者、博愛主義者。大概は、ケチで、我由の慈悲に薄い俺様の神思考によりやすく、人をコントロールで支配するが故に、晩年は自分で自分のコントロールができない世界に行く。

人間道】…人間の世界→苦しい

苦しみも楽しみもある世界、中流。努力の先には幸福が待っている。普通の世界。生涯で1つか2つの学びを終え、一生を終える。

修羅道】…阿修羅の住む世界→この野郎、馬鹿

争いの絶えない世界、怒り、苦しみ。キーワードは、「この野郎、馬鹿野郎、ヤバい」。昔は普通の人がヤバイと言う言葉は使わなかった。

畜生道】…畜生、牛馬が住む世界→畜生、辛い

動物的な世界、弱肉強食で、本能で生きる。小間使い、使役の世界。他人を羨み、妬み、他人の不幸を喜ぶ愚痴の世界。幸せな人を「よかったね」と祝福できず、「ずるい」と言い他者と比べて生きる世界。「うらやましい」とは昔いったが、「ずるい」とは言わなかった。

餓鬼道】…餓鬼が住む世界→欲しい、損した

くれくれの世界。欲ばりで、ケチな人間で施しの出来ない人間。骨と皮のガリガリ亡者の姿とされている。餓えの世界。いくら物があっても満足せず、愛情の餓えも大きい。「欲しい、損した得した」だけで生きる。

地獄道】…罪人が住む世界→死んでしまえ、死んでしまいたい

この世は地獄と思った瞬間そこは地獄。DV、いじめ、パワハラ、セクハラ、虐待「死んだ方がまし」の感情、思考、境遇が地獄。 

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一日の終わりに、その日を 振り返る。感情、思考、境遇はどうだったのか。ここに気がつけば開運の道がある。

例えば、ある日、嫌な相手に『馬鹿野郎、死ね』と思ったとする。その「怒りの感情」は六道の「修羅道」にある。(この想念をそのまま放置してしまうと現実、境遇も修羅道に変容する)

①六道の中の「修羅道」にいるのだなと感じる。
②怒りの原因を相手に求める。
③怒りの原因を自分に求める。
④相手の仕打ちと同じものを自分が誰かにしているかどうかを自分の心の内を見つめる。(鏡の法則)
④その時の感情を見つめる
⑤相手と自分を赦す
この流れをすると良い。
(これが簡単なようでなかなか出来ない)

そして六道にはそれぞれ救いの仏がいる。

天道…如意輪観音
人間道…准胝観音、不空羂索観音
修羅道…十一面観音
畜生道…馬頭観音
餓鬼道…千手観音
地獄道…聖観音

修羅道の救いの仏は十一面観音が 担当している。

⑥十一面観音の姿を心の中に想う。
(観想と言う)
⑦十一面観音の真言を唱える
(ネットで簡単に調べられる。南無十一面観音菩薩でもよい。)
⑧慈悲の祈りを観音に祈る
(赦しの祈りでもある)
私は幸せでありますように
○○は幸せでありますように
生きとし生きるものが幸せでありますように
万物万霊が幸せでありますように

(○○は、今日の問題の相手の名前。 )
⑨その感情を観音に託し、浄土に運んでもらう

こうした内観をすることなしに神仏に祈っても、全く通じない。本来神仏と人間の間は「パートナー シップ」でなければその先はないようで、自助努力なしに神仏へ祈ることは、「 神は私を助けるべきだ」の思考を内在することになる。

人間は日々「六道」を行ったり来たりしているが、自分の今の感情、思考、境遇と向き合い、事あるごとに、内観し、観想する。ここで、神仏と向き合うと 絆、縁、繋がりができ、 神社仏閣での祈りが通り易くなり 開運に繋がる。

内観観想ができれば、 神仏への祈りは六道の観音もよし、自身の守護霊でも守護神も 貴方を護る。なによりも、「自身に寄り添う仏」「感情に寄り添う仏「思考に寄り添う仏」「境遇に寄り添う仏」がいるという自覚が大切。
また、心を「慈悲の良心」に変えることが 神仏と繋がる一歩であり、神道で言うところの御魂磨きであり、神人合一への道 、仏教のカルマの解消への道であり、開運への道。

主役は、あくまで自分自身。神仏への丸投げ思考は改め自身の心の内を内観、観想する。
内観の観は、観音様の観。慈悲の良心が良神に他ならない。

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私の母方の祖父は、戦争時代を生き抜いて来た人だった。優しくて、手先がとても器用な人だった。

祖父母とは離れて暮らしていて、年に1度、夏休みに遊びに行くくらいの関係性だったが、いつも穏やかに、私達を迎え入れてくれた。兄が子供の頃に「機動戦士ガンダム」にハマっていて、祖父にその本を見せて、描いて欲しいとせがんだら、おじいちゃんに描けるかな〜?と困りながらも、一生懸命描いてくれた。(出来上がりはとても上手だった。)

晩年になり、木彫りの仏像をずっと掘り続け、色んな人に差し上げていた。(地方の新聞にも、小さく取り上げられていた。)まだ子供だった私は、その理由を祖父に聞くことはなかった。
私が高校生になった年、祖父は食道がんを患って亡くなった。家族皆で祖父の入院している病院に、お見舞いに行った時。帰り際、祖父は自分の目に焼き付けるように、私と兄の顔をじっと見ていた。もう会うのは最期だと、わかっていたのだと思う。今思うと、何かを悟ったような、覚悟を決めたような、真っ直ぐとした眼差しだった。

祖父は一体どんな気持ちで、たくさんの仏像を掘り続けていたのだろうか。今になって、もっとたくさん祖父と話して、色々な事を聞いておけばよかったと、ずっと後悔している。

父や母、祖父や祖母、そのずっと前の、たくさんのご先祖様が生き抜いて、命のバトンを繋いでくれたお陰で、今の私がいる。そして守護霊になって、今もずっと守ってくれている。なんてありがたいことなのだろう。そして、リレーされた命のバトンを持った、今の私。私が私を大事にすれば、きっとご先祖様達も喜んでくれる。

祖父の顔を思い浮かべながら、当たり前な事など何もない。ついつい忘れてしまうけど、普段から感謝の気持ちを忘れてはいけないな、と思った。

皆さん、いつも守って下さり、本当にありがとうございます。


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