生きている意味がわからない〜『心の穴』について考えてみた話〜
私は物心ついた時から、『どうして私は生きているのだろう』とずっと考えるような子供だった。
それは大人になった今でも変わらない。
好きな人と結婚し、子供もいて、平和に暮らしていける家もある。裕福ではないけれど、食べていけるだけのお金もある。
十分に幸せなはず。
なのに、突然全てを投げ出して、妻である私、母である私を辞め、消えてしまいたい衝動に駆られる時がある。
死にたい、のではなく、消えたい。
もう何も考えたくない。
『私』という意識を手放してしまいたい。
だから、スピリチュアルな世界において、死後も魂はなくならない、と聞いた時。
死してもなお『私』を『意識』を手放せないのか。
希望ではなく、絶望を感じた。
死ぬ勇気もなく、次の日の朝、目覚めれば当然のように生きていると無意識に信じている、どこまでも傲慢な自分。幸せを、幸せだと認められない。
ずっと心の奥にある、真っ黒な大きな穴。
ふと、noteで『心の穴』と検索してみた。
その中で気になった記事があった。
早速内山さんが作った『心のタイプ別診断』をやってみた。『サメタイプ』だった。
そして、この記事の中に出てくる図解を見て、自分と他人の違いを初めて理解した。
『I'm not OK You are OK』
私は大丈夫じゃないけど、あなたは大丈夫!
(自己否定•他者肯定)
要するにサメタイプの人は
『自分だけが間違っている』
『自分だけがおかしい』
という潜在意識。
この記事に書かれている『サメタイプ』の特徴が、面白いくらいモロに自分に当てはまっていた。
そうだったのか!
思い当たる節が多すぎる。
以前に書いた記事↓
どちらも、私の対応の仕方や感じ方に問題があるのでは、という気持ちで書いた。
でも、実際に記事を読んでコメントをくれた方々の意見は『相手の対応に問題がある』というものがほとんどだった。え、そうなの…?と意外だった。
考えてみれば昔から、他人から見れば『理不尽』だと思うような事をされても、いつも『私がきちんと対応出来ないから』『相手にも事情があるのだろうから』と考えていた。だからこそ、相手に対し『怒る』という感情がわかなかったのか…。
その後、内山さんから送られてきたメールの『サメタイプ』の詳しい内容を見て、『これ全部私のことやん…』と絶句した。
例えば、無意識に切ってしまう人間関係。
人と関わるのがずっと苦手で、これではいけないと思い、若い頃は頑張って色んな集まりに入ったりしてみたことがある。最初はそれなりに楽しく感じた。でも、人の輪に入れば入るほど、反比例するように『私は1人だ』という孤独感が深まっていく。
辛くなり、グループを抜ける。
また新しいグループに入る。
その繰り返し。
どうしても苦しくなり、私はもう人と関わることが無理なのだと諦めた。だから友人と胸を張って呼べるような人が1人もいない。いつも『私は友人だと思っていても相手は多分そう思ってはいないのだろう』と考えて、交流を深めること自体を諦めていた。
幸せにならない恋愛の仕方もまさにそう。
不倫や、浮気や二股をする女の人にだらしない人。失恋相手をいつまでも忘れられない人。
付き合ったのはそんな相手ばかりだった。
今の夫が、初めての真っ当な恋人。
この人と結婚していなければ、自分は今頃どうやって生きていたのだろうと思う。
全く想像が出来ない。
私は彼に救われたのだ。
『なぜ生きているのかがわからない』私は家族によって生かされている、と思う。妻と母という役割があるから、真っ当に生きられているという感覚。
大切な家族。私のベースになっているもの。
それなのに、始めに書いたような衝動にかられる時がある。でも、やりたいことはわからない。
明るい未来を思い描けない。
そんな私が子育てをしたのだから、子供が不登校になるのは当然の結果なのだと思う。
真っ黒で巨大な、心の穴。
子供達の不登校がきっかけとなり、最近になってようやく、この穴を埋めたい、変わりたい、変わらなければ。様々な情報を得ながら自己内観を続け、noteに気持を綴ってきた。
でも同時に、自分の本心にも気づいてしまった。
この穴を、埋めたくない。
生きづらさをなくすには『ライオンタイプ』になる必要がある。
I am OK, you are OK.
(自己肯定・他者肯定)
理想的な生き方。
ずっと憧れてきたはずなのに。
なのに、『変わりたくない』と強く抵抗している自分が同時に存在している。
『私が大丈夫』になったら、『生きなければ』いけなくなる。魂の本質に向かい合う日がやってくる。
その事を、想像以上に恐れている自分がいる。
『変わりたい』でも『変わりたくない』
葛藤する自分がいる。
私のことだけを心配し、そのことばかり考えていた自分は、なんて幸せだったのだろう。
心に大きな穴を持つことで、人生に向かい合わずに済んできた。心の穴が、私を守り続けてきた。
心の穴があるからこそ、生きられたのだ。
この心の穴さえも、大切で愛しい自分の一部。
『変わりたい』『変わりたくない』
矛盾を抱え続ける日々。
私はどこまで愚かなのだろう。
☆☆☆☆☆☆☆
最近ずっと聞いている、King Gnuの曲達。
『The hole』
誰にも埋められない、心の穴。
傷を治すのでも癒やすのでもなく『傷口になる』と表現した、King Gnuの常田大希さん。
そこに深い愛と葛藤を感じた。
自分の穴さえ見つめられない、埋められないのに、大切な人の穴を埋めたいと願う。
そんな人間の愚かさと美しさを、私は愛しているのだと思う。
私は『変わりたい』のだろうか。
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