篠田桃紅さんの個展「追悼 107年のキセキ展」、古川美術館分館爲三郎記念館に出向いて。
うちの妻が好きな篠田桃紅さんの個展に出向きました。
2021年3月に他界してしまわれましたが、その生涯のほとんどを墨による抽象画という芸術創作に傾け、その生き様は、作品の中の精神世界の表現につながり、それは生地と下地の重なりの上に墨を載せることであり、筆の動きと墨の流れは精神性と篠田桃紅さんの個性そのものを表していた。
篠田桃紅さんは生涯独身であり、その生涯は晩年まで創作活動に費やしている。
そのような人だったからこそ、美術館に足を運ぶ人たちは女性の姿が多かった。
ボクは妻の目線とその分析力を高く評価をしている。
ボクの感受性と感性が育まれた背景に存在しているのは、妻のお陰であると言ってもまったく不思議はない。
ボクは、妻が好んでいるモノが、そのどこを評価してしているのかという目線を自身に取り入れることを、いつの頃からか行ってきている。
そしてボクの場合、美術館に訪れることとは、すべてボクの仕事でもあるロースト目線で考える癖がついている。
それは、表現とは、すべて同じであり、そして繋がっているからである。
なので、美術品の中の心に響く作品から、その技法の部分のロジックを考え、それをローストの技法に置き換え、自分の中の表現のための構築に置き換えるという作業をしていくことである。
そのためには、ボクのような凡人には解説が必要不可欠であるのだ。
初見で感じるモノは、ボクには理解が及ばないのだが、妻の分析されたコメントを聞いてから同じモノを見ると「なるほど」と思える「見え方」が出来るようになるものなのだ。
ボクを含めほとんどの人たちは、そのような参考書的な「解説」があることで、感じられるようになる可能性が大きいのだと思っている。
だから、学びは独りでするよりも「解説」をしてくれる人がいた方が理解が早まることを知っているので、妻が「行きたい」という場所があったら一緒に出向くようにしているのは、ボクにとって学びの場であるためなのだ。
そして、今回心に響いた作品は分館の爲三郎記念館で展示してあった「Attainment」という作品だった。
翻訳したらその意味は「達成」という意味だった。
分館爲三郎記念館は、庭園を望める数寄屋造りとなっていて、自然光が差し込む中で作品が展示されていることでの気づきがとても大きかった。
篠田桃紅さんの作品では、金箔・銀箔・プラチナ箔を生地に貼りその上に墨を載せている作品が多々あり、特にその箔そのものを活かしている作品も多いことから、いろいろと感じられることが多く、そしてその成り立ちは、ローストの技法に置き換えることができる要素が多分にあった。
それぞれの箔の意味や、その上に墨を載せることの意味。そのすべては表現のためにある。
その意味をローストに置き換えることで、思い描く表現に少しずつ近づけるようになるものであるとボクは思っている。
そして技法とは表現を成すためにあるものなので、技法が素晴らしい訳ではない。
伝えたいモノのために、どのような技法を組み合わせ表現としているのか。
そこが大切なことなのだとボクは思う。
新しいとか、古いとか、それは美しさの前ではなんら関係のないものである。
だから、それらが伝わるための感覚や感性、感受性といった感情と結びつくための能力が大切なものであるとボクは思っているので、それを育むための取り組みを必要とする人たちに伝えたいと思っている。