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お酒のアルコールの品質を感じる体になってしまったことからの考察。
確か2018年8月、ローストの競技会の決勝大会の時にはお酒を飲んでいた記憶があり、コロナウイルスが蔓延し緊急事態宣言が発令された2020年には飲んでいなかったので、その間のいつ頃からかもう解らないのだが、お酒を飲まなくなってしまっていた。
お酒が嫌いになった訳ではない。
アルコールの嫌な味が解るようになってしまったことで、アルコールの嫌な味が感じないお酒は好きであり、それはとっても美味しいと感じる。
しかし、アルコールの嫌な味が感じられるお酒は、リーズナブルな価格帯のモノはそのほとんど(99.99%)が感じてしまうため、それなら飲まなくてもいいやと思うようになり、もう晩酌などしなくなってしまったのだ。
それは、ビールでも、ワインでも、日本酒でも、蒸留酒でも、アルコール飲料ならばすべてが当てはまる問題であるのだ。
そのアルコールの嫌な味を例えるとするのなら、薬品のような味わいのアルコール臭である。
たぶんお酒が好きな人には、そのアルコール臭は不快には感じないことだろう。
だからお酒が好きなのだ。
ソムリエの中でもお酒が好きではないという人がたまにいるが、そういう人たちはたぶん、そのアルコール臭をキャッチしてしまうために美味しく感じられないのだろうと思っている。
が、しかしだ。
お酒を作る人たちの中に、そのアルコール臭を登場させないように、クリーンなアルコールの味わいを作れる人がごくわずかではあるが存在している。
昔、ソムリエさんにビンテージのワインは長期間寝かせることで、そのアルコールの嫌な味が登場しなくなるという説を聞いたことがあるが、新しく仕込んだワインであっても作り手によってはそのアルコール臭を感じさせないものもあるので、長期間寝かせるという説は、間違いであるのだと思っている。
コーヒーのローストでのクリーンな味づくりと同様に、お酒づくりにおいてもクリーンなアルコールの味づくりが出来る人と出来ない人がいるのだと理解している。
それが感覚でもあり、技術でもあるのだ。
そして、コーヒーのローストでのクリーンな味づくりと同じならば、それは素材選びから始まっている問題でもある。
そして、そのアルコール臭をキャッチできる嗅覚を持ち合わせていない限り、それをクリーンに仕上げることは出来ない問題でもある。
そして、クリーンさという美味しさを探求しだすといろんなことが理解できるようになってくるのだが、アルコールの嫌な味わいを登場させないような美味しさを作り出せるようになると、良い素材を仕入れなければならないため、そのようなアルコールの嫌なところが微塵も感じさせないお酒は、素材が良いのでとっても美味しいのである。
言わば、アルコールの劣る味わいが無いため、素材がしっかりと見えることで、フレーバーの景色が美しいのだ。
良いものを作ることとは、劣るものを登場させないことでもある。
だとするならば、口の中で広がる味わいの中から、その劣るモノは、何から登場したものであるのかを感覚によって感じ取れなければならない。
その原因の元を感覚でキャッチできなければならない。
感覚でその原因の元を突き止めることができるからこそ、その原因を排除し、劣るモノを登場させないようなクリーンな味づくりができるのだ。
なので、良いものを作れるような職人になりたかったのならば、感覚で劣るモノをキャッチできるようにならなくてはならない。
そして、感覚でその劣るモノの原因が何であるのかを突き止められるようにならなくてはならないのだ。
劣るモノと美しいモノ。
その両者を感覚によって理解できるようになることが、良いモノを作れるようになるためには必要なことであるのだと、ボクは思っている。