【織々ノ記】#101 振り返れば夏がいる
こんにちは、橘です。
6月に日記の100日間毎日投稿を達成し、「今後は週1更新を目指す」と宣言していたのですが、結局次の更新まで2ヶ月以上空いてしまいました。
今回は日記が更新できなかった反省点を整理するとともに、この2ヶ月半間の振り返りをしたいと思います。
気付いたらかなり長い記事になったので、まあ、最初の反省点だけでも読んでもらえたら幸いです。
反省点
毎日更新ができていた100日の間には、「義務感を覚えたら却って続けづらくなるから、気ままにやりたい」ということを自分自身に何度も言い聞かせていました。毎日更新ができた1番の要因はこれだった気もしています。
もちろん義務感を全く感じていなかったわけではなく、心のどこかに義務感は存在していました。100日という節目を越えて、無意識下にあったその義務感が薄れてしまったことが、今回ブランクが空いてしまった最大の原因かなと思っています。
義務感を過度に背負わないマインドは、毎日投稿する上では必要かもしれませんが、週一や月一ぐらいの頻度の場合は、むしろ無理にでもパソコンに向かって書き続ける使命感を負わないといけなかったのかもしれません。
人間ってもんは義務感がないとなかなかタスクに手がつかないもんです。もちろん義務感なぞなくても、自然に継続できる人も沢山いるんでしょうが、自分の場合、なんだかんだでそれが必要だったようです……。
そして、毎日更新していた日々に比べて、自堕落生活を送ってしまったことが何よりも反省すべき点かなと痛切に感じています。
日々実りある生活を送っているから、毎日日記を更新できたのではなく、毎日更新しようとするから日々実りある生活ができていたのだと思います。
「今日はまだなんもしてないな、せめてあれをやるか」とか、「この日はなんにも予定が入っていないから、予定を入れておこう」とか、日々の日記の種のために能動的に動くことによって、張りのある生活を送れていたのです。
このことに更新が途絶えてから気付かされました。大切だったと失った後から気付く、主人公追放もののラノベみたいですね。
まあ、とにもかくにも、ようやく長い休止期間にピリオドを打つことができました。これからまた毎日とは言わずとも、不定期に更新したいと思っています。ただ、正直なところ今日この記事を公開したあと、再び長い間更新が途絶えそうな嫌な予感もしています。
さすがに修士論文に本格的にそろそろ取り組まないと、卒業もままならないような状況になりかねません。今年の下半期はかなりの激務であることが予想されます。
とはいえ、反省点で述べた通り、日記を更新することがすなわち日々の充実に繋がるのであれば、無理にでも更新したほうが良いでしょう。忙しさを言い訳にすることはできるだけ避けて、一本でも多くの記事を書けるよう努力してまいります。
そんなこんなで2ヶ月半もブランクが生じてしまったので、前回の日記の後から今日までの日々を振り返りたいと思います。本当は他にも日記に書きたい出来事があった日もあったのですが、全部書き留めるとさすがに長くなりすぎると思ったので、特に大きなイベントがあった日だけをピックアップしています。また、書き漏れた話は別の記事のネタにしたりして消化するつもりです。
6月の振り返り
6月11日 茶道と源氏
今年で茶道を習い始めてちょうど15年になる。小学生の頃、地元の体験教室に通いだしてから早くもそんなに月日が経ってしまった。
かつては教えてもらう立場だったが、一昨年から体験教室の講師を務めてさせていただいており、ついに「教える」立場になった。なかなか恐縮なことだが、少しでも自分よりも若い世代の人たちが茶道に興味を持ってくれたら、幸いである(界隈の平均からすると、私自身相当若い方に属するのだが)。
今までは薄茶点前ばかりだったが、15年経ってようやく濃茶の稽古を始めた。15年目とはいえ、新しい作法(仕覆の扱いや、薄茶とは異なる点て方(練り方))にはまだまだ戸惑うばかり。コツコツ稽古を積み重ねて、1人前とは行かなくても半人前ぐらいにはなりたいものである。
午後は、天理ギャラリーで展示されている『源氏物語』の写本を見に千代田区へ。
図録は人気で売り切れだったので、今すぐに展示品を振り返ることはできないが、普段演習の発表で用いている写本の現物を観ることができて感無量だった。修士とはいえ研究者の端くれであるから、活字だけでなくこういった現物(くずし字)にもっと向き合わないといけないと思わされた。
6月17日 暑さと瓶コーラ
今年1番の暑さ。「夏は夕暮れ」と清少納言が書き残すのもむべなりかな。だが、今からでも「夏はアチアチ」に書き換えたほうがいいとすら思える暑さだ。暑い暑いと言っているとなおのこと暑くなるので、瓶入りのコーラを飲むことにする。
同じコーラでも缶入りと瓶入りでは、まるで感じ方が違う。多分瓶入りの方が10度ぐらい冷たいと思う。いや、本当に。
子供の頃、学童か地域の活動かなにかでコカ・コーラの工場見学に行ったことがある。夏休みのイベントだったから、暑い中バスを乗り継いでいったのをよく覚えている。その時にクーラーのよく効いた講座室で飲んだ瓶入りのコーラといったら、子供の私からすると何よりも美味しかったのであった。
確かに瓶入りコーラの美味しさ成分のうち、いくらかは実態のない「エモ」成分が含まれているかもしれない。しかしながら、それとは別に、子供の頃感じた夏休みの高揚感や、工場という未知への好奇心といったかけがえのない実体験も、また多分に含まれているのである。
6月18日 パンと変化
ずっと行きたかった「馬場FLAT」で夕食。一応このお店もマイルストーン発行の早稲田の喫茶店・カフェのリストに入っているので、いっそう訪れてみたいと思っていた(マイルストーンについての詳細はこちら)。
馬場の夜は、とかく学生やらサラリーマンやらでごった返し、喧騒にまみれているのだが、ここは駅から少ししか離れていないのに随分と静か落ち着いた空間だった。
この日は個人的に大きな出来事があったので、書き残しておきたい気持ちもあるのだが、本当に個人的なことで人におおっ広げに言うことでもないので、少しばかり婉曲的に匂わせる程度にしておこうと思う。
ここ最近、創作の感覚というか、物事に対する感度が鈍っていた。原因はよくわからないが、コロナ禍以降特に顕著だから、多分一つには人付き合いの少なさがあるのだと思う。
大学院に入ってから、人間関係を広げることもできず、かつてのサークル活動もないので、コロナが落ち着いても孤独な期間が長く続いていた。
それが今年に入ってから人間関係に大きな変化があったので、ここ最近また鈍っていた感覚が戻りつつある気がする。そもそも鈍っていたかどうかも主観的なものなので、実際にそうだったかはわからない。
だが、事実最近は創作のためのメモをよく作成しているし、しばらくやっていなかった作歌活動も徐々に再開しつつある。
そしてついにこの日の出来事は、私を徹底的に変化させたのだと思う。この感覚を己にとどめておけるように、私はまた走り出さなければならない。
7月の振り返り
7月2日 みんなと1人
弓道サークルの後輩2人が最近創作を始めたということで、合評会を開催することにした。兼サー先だった文芸サークルでは定期的に催していたが、畑違いの人たちと創作の話をするのは初めてで新鮮な会になった。
普段は1人でずっと思案して、なかなか答えが見いだせないのに、人と話してみるとすらすらと考えが出てきて、あるいはまとまったりして、拍子抜けしてしまう。普段からアウトプットが大事だと塾の生徒に教えているが、その言葉は自身にも跳ね返ってくるものだった。
さて、そうした話し合いの中で、作品と自分との距離といった話になり、自己分析することの重要さについて考えさせられた。そういえば、就活を乗り切ったわりには、まだあんまり自分のことを理解していない気がする。
ということで、おすすめされた16タイプ性格診断テストを受けてみた。SNSでもよく目にするアレである。自分の結果は提唱者。うーん。そうなのかなぁ。まあ自分の性格を言い当てている気もするし、そうでない気もする。こういう性格診断テストって、占いと同じ類で、言われてみるとそんな気がしてきてしまう。
とりあえず、合評会にいた後輩2人にLINEで報告してみたところ、「確かに先輩は提唱者っぽいですね」というリアクションだった。他者からみても納得できる結果なら、それなりに信憑性のある診断だったのかなと思う。
もちろんこんな数分の診断で自分のことを分かりきったつもりになってはいけないだろう。先述の通り、就活を通してでもよく分からなったのだから、理解しきるにはずいぶんと時間がかかることだろう。
今回の合評会で、皆と話し合うことの大事さを感じつつも、もっと自己というものを突き詰めていきたいという思いもまた強くなっていた。
あと、この会で自身の同人サークルの機関誌を作りたいという話になったので、時間を見つけて少しずつ企画を進めていきたい。
7月5日 2人と会話
合評会でコメダを使っていたのに、数日後、再びのコメダを訪れる。まあ、コメダなんてなんぼ訪れてもいいですからと内海さんも言っているし、モーマンタイモーマンタイ。
この日はサシでの会話だったが、先日の3人のときは違う楽しさがある。私は人と話すときはできるだけ少ない人数の方が好きで、飲みに行くときも大抵サシ飲みになることが多い。
理由を考えてみると、2人だけで時間を共有しているという状態が好きだからなのかもしれない。3人以上だと、その時の体験がその人数分で分割されてしまう気がするのである。
だから一人分の取り分が少なくなった気がして、極力2人での付き合いを大事にしている。2人であれば分けるのは半分で済むし、むしろ進んで半分こにしたいと強く思える。
独占欲に近いのかもしれないが、経験を分かち合う相手は少なければ少ないほど良い。その分自分の取り分が多くなって、愛おしく思う気持ちも強くなれるのだ。
それともう一つ。コロナ禍を通じて私は「人と話すことが好き」だと認識していたのだが、より正確に言うと「人が話しているのが好き」なのかもしれないと再発見した。
もちろん自分の考えていることや経験したことを話すのも好きだが、それ以上に人が真剣に話したり、嬉しそうに語ったりするのを聞くのも好きだ。自分が聞き上手とは決して思わないけれど、相手が色々と話してくれるのはそれだけ自分のことを信頼しているということだろうから、嬉しく思う。
前述の通り、後期は想像だにしないぐらい忙しくなるだろうが、久しぶりに友人に連絡を取ったり、まだ会ったことのないSNSのフォロワーと交流してみたり、とにかく人との語らいを大事にしていきたいと思う。
7月13-14日 鎌倉と浪漫
20歳に初めて来て以来、2度めの鎌倉訪問。やはり鎌倉は夏によく似合う。この時の思い出については、書き始めると相当な量になりそうな気がするので、ここではごく簡単な日記の文量にとどめたいと思う。
腰越の町並みを見たり、江ノ電で鎌倉高校前駅を通過したり、由比ヶ浜で花火したりと、いわゆる平凡でありきたりな「エモ」で、しかしながら、唯一無二の思い出をつくることができた。
以前訪れたときは日帰りだったが、今回は1泊だったので、時間にゆとりをもって観光できた。高徳院や長谷寺といった前回行けなかった有名スポットにも行くことができた。長谷寺は本来紫陽花で有名なお寺だが、時期が合わなかったので、またいつかチャレンジしたい(もちろん紫陽花以外の花も沢山咲いていたので、満足度は高い)。
馬場に帰ってきたのが、思いの外早い時間だったので、その足で喫茶ロマンに向かう。馬場駅前のレトロな喫茶店である。
昨今のロマンやらレトロやらのいたずらな消費に拒絶感を抱いているのだが、一方でそういった文化が何より好きなので、同族嫌悪みたいなものなのだろう(瓶コーラの項での発言と先の鎌倉に対する発言はそういった文脈である)。
ただ表層だけを消費するのではなく、もっと深いところで享受する必要があると感じつつも、こういった発言自体が薄っぺらいよなぁと思ってしまう。己の中にある際限のない冷ややかな視線にどう折り合いをつけていくべきか。
7月31日 花火とネタ
みなとみらいで花火大会が開催されるとのことで、久しぶりに横浜へ。横浜に来るのはこれで3回目だ。この時の話も長くなりそうなので、割愛。
花火鑑賞中、後ろに座っていたおじさんが「すげえ」「すげえ」とずっと言っていたのが少し面白かった。おじさんのように感想を思いついたままに口に出した方が、心の底から楽しめている気がするが、気恥ずかしさが邪魔してつい表現することを躊躇してしまう。
サカナクションの『ボイル』という曲の歌詞には「テーブルに並ぶメニュー 僕は悲しみだけ選び取り 口の中 詰め込んだ」とある。何かを享受する時、私はそれを何かに還元あるいは昇華しようと常に考えてしまっている。今回の花火だって、どういうnoteの記事にしようかと考えながら見ている節が少なからずあった。
先に反省点で、日々の生活から記事のネタを見つけようとする話をしたが、花火を写真に収めることに苦心したり、文章の種にしようと思ったりすることなく、後ろのおじさんみたいに純粋に花火を楽しんでみる心も、時には重要なのだろう。
8月の振り返り
8月11日 祖母と思い出
コロナで顔を合わせなくなっていた祖父母の家へ、久しぶりに会いに行った。90歳をすぎて祖母の認知症が進行しているらしいとは聞いていたが、私のことを認識してもらえなかったことは、さすがに悲しくなった(認知症以上に私が髪を伸ばして見た目が大きく変わってしまったのが原因な気もするが)。
だが、それよりも本人が「覚えているはずなのに認知できない」ということを認識しており、「わかんなくてごめんね……」と涙ぐんでいたのが、1番心にずしっときた。誰が悪いというわけでもないのに、悲しそうにする祖母の姿が強く印象に残っている。
耳もかなり遠くなってしまったようで、我々が結構なボリュームでおしゃべりしているのに、祖母は「随分静かねぇ」とぽつり言っていた。この時はじめて耳が遠くなると世界が静かになってしまうという当たり前の事実に気付いた。普段の会話がうまくいかないということ以上に、果てしない静寂に寂しさを抱えて生活しているのだと思うと、なんとかしてあげたいと思う(ただ、補聴器は本人が嫌がって付けようとしないと父が言っていた)。
祖父母の家というと、小学生の頃夏休みに兄と一緒に泊まりに行った思い出がまず思い浮かぶ。乗換駅にあったSLの模型を2人して見ていたら、乗るべき電車を逃してしまったエピソードは親戚間で語り草になっている。
それから正月に挨拶に行くたびに、四角い空き缶からお菓子をどんどんくれたのもいい思い出だ。祖父母の家あるあるとしてよく聞く話ではあるが、例にもれず私の祖母もわんこそばの如く次々にお菓子をくれるので、子供ながらに嬉しさと厄介さを感じていたものだった。
そうした祖母の姿は認知症が進んだ今でも同じで、かりんとうをかじりながら在りし日に思いをはせた。ともかくも体はまだまだ元気なようなので、少しでも長生きしてほしいと、素直にそう思う。
8月18日 誕生日と生き方
今年も誕生日がやってきた。まだまだ若者の部類のはずだが、21歳の頃ぐらいから年を取ることに感慨を抱かなくなってきた。それでも流石に25という区切りの歳には色々と思わないでもない。
学生最後の夏。就活の乗り越えた先の修論という人生最大の山場。来春からは社会人。これからの人生に不安は尽きない。
コロナ禍でここ数年できていないが、その前は毎年家族で誕生日を祝ってもらっていたものだった。兄が一人暮らしを始めてから、家族全員が揃う機会が少なくなり、今年も特にどこか食事に行くことはなかった。
そのかわりに、今年は1人でレストランにやってきた。
孤独にワインを傾けながら、これからのことを考える時間は案外寂しさもなく、むしろ心地よく感じる。7月は「誰かといること」や「1人でいること」を色々と考えていたが、今回の経験で思考の助けとなるピースをまた一つ手にした気分だ。
1人で生活することには、初めこそ寂しさが強くあったが、最近はもう十分慣れてきて、「独り」でいることをうまく乗りこなすことができている。今度は二人で生きていくことも考え出してもいいのかもしれない。
8月19日 同窓会と人生
今日は高校の同窓会があった。部活の友人とは定期的に会っていたが、それ以外の人たちとは実に6年ぶりの再会である。
大体の人は大学を卒業して社会人になっていて、自分とのギャップに少し寂しくもなったりした(理系で院進した人も今年卒業しているので、自分と同じように1浪して院進してまだ学生の人はかなり稀有だった)。
前日の誕生日にも考えた「これから」という漠然とした道に、再び考えが及ぶ。いや、「これから」というのは本当に「道」なのかもよくわからない。高村光太郎は「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る」と記したが、後ろにさえ道ができたか、今の私には確信が持てない。
他者と比較することは、いたずらに心を疲弊させるので極力避けていたが、同窓会という機会に否が応でも現実を突きつけられる。有名企業に就職した人。結婚・出産した人。自分とは異なる人生を歩む人を見て、己の人生を省みる。
8月31日 最終日と夏の終わり
小中学生の多くが今日という日を待ち望んではいないだろう。理由は至極明快。夏休みの最終日だからである。昨日も宿題がまだ終わっていない〜といって塾に自習に来ている生徒がいた。
さすがに修論の進捗が芳しくないので、修論の作業をしようと思いつつも、このnoteを今月中に挙げなければ毎月の連続投稿記録が途絶えてしまうので、なんとか仕上げようとこちらにばかり時間をかけている。日記の更新をさぼっていたせいで、2ヶ月半分の振り返りを一気にやっている。まさしく夏休みの宿題を最終日になんとかしようとする小中学生と姿が重なる。
小中学生の頃は計画的に宿題を進めることができていたのだが、大学生になってからは締め切りに近づかないと尻に火がつかないありさまで、なんならそのまま丸焦げになって見るも無惨な成果しか出せていないことが多い。
どうにか現状を打開しようと、近所のコメダにやってきた。ここは心のオアシスであり、気持ちを切り替えるやる気スイッチでもある。そういえば、今夏はかき氷を食べていないことに気付いたので、注文してみることにした。
コメダのかき氷は初めてだったのだが、相変わらずの逆メニュー詐欺、想像の二倍は大きかった。
夏の代名詞であるかき氷を食べながら、夏の終わりを感じる。家を出た時の涼しさに少し驚く。立秋はとうに過ぎているが、ようやく秋が顔をのぞかせ始めた。まだまだ残暑は続くだろうが、次の季節に向けて、また再び歩みを進めなければならないと決意する。
今度の決意はどこまで続くだろう。せめて秋いっぱいは続いてほしいと思うが、そもそもここ数年の秋が短いので、長続きはしないかもしれない。
まあ、将来のことは誰にもわからないものだし、先々のことを考えすぎると鬼が抱腹絶倒で大変だ。まずは、明日の着る服を考えることから始めよう。
(後記)
やはり執筆にブランクが空くと、文章力が鈍ってしまう。普段から遅筆で世界的に有名な私だが、今回は書き上げるのになおのこと時間がかかってしまった。感覚が鈍らないようにするためにも、継続的な努力が必要だ。